第107話

「ちょ、ちょっと、アイン、なんですの、この状況!? どうして、人が倒れて……!」


 遅れてやって来たヘレーナが悲鳴を上げる。

 ルルリアとギランが、素早く戦闘態勢に入った。


「その方達は……!」


「って、悠長に状況確認してる場合でもなさそうだぜ」


 ……ただ、状況が悪すぎる。

 学院迷宮内……倒れた〈Bクラス〉の生徒三人に、ラヴィは女の触手に取り込まれて人質状態になっている。


 合成獣キメラの女の方は間違いなく化け物だ。

 身体を断っても、全くダメージになっているように見えない。

 あの余裕っぷりだ、頭を潰して死んでくれるのかも怪しかった。

 最低でも〈カトブレパスの心眼〉持ち……恐らく、他の魔獣も取り込んでいる。


 そして灰色の体表を持つ男は、合成獣キメラの女以上の化け物だ。

 対峙しているだけで、奴の身体から流れ出ているマナの濃度を、ひしひしと感じる。

 〈幻龍騎士〉に近いものさえ感じる。

 奴がまともに動き出せば、この場が、いや、この階層自体がどうなるものか怪しかった。


 ルルリア達を庇いつつ、人質に意識を割きながら戦える相手だとは思えなかった。


「〈知識欲のウィザ〉をやった男となれば、少々厄介そうだな。身勝手さとしぶとさでは、奴には我も一目置いていたのだが。我が出てきただけの甲斐はありそうだ」


 灰色の体表の男が手刀を構え、ゆらりと前に出てくる。

 俺に向かって来るのかと思えば、大回りするように動き、地面を蹴り、ルルリア達の方へと向かう。


「あら、性格の悪い」


 合成獣キメラの女が楽しげに漏らす。

 俺は地面を蹴り、〈軽魔〉で即座に男の横へと並び、そのまま追い抜いてルルリアの前へと出ようとした。


上級魔術ランク4〈アースフィッシュ〉」


 〈アースフィッシュ〉……土の中を、水のように泳げるようになる魔術だ。

 男の身体に光が走り、瞬間的に地面へと沈んだ。


 俺の視界から逃れた男は、そのまま俺の足首を掴む。


 掴まれた足が、地面へと沈む。

 最初から、強引に接近してきた俺を罠に掛けるのが目的だったらしい。


「土の中で溺れ死ぬがいい」


 俺の身体が一気に学院迷宮の床を透過し、その奥へ引きずり込まれる。

 本来、長らく瘴気を帯び続けてきた迷宮の床や壁は魔法に対する高い耐性を有しているはずだが、男のマナの前ではその程度、障害にはならないようだ。


 俺は全身が床下に沈められてから二秒待ち……男の身体を、勢いよく下へと蹴り飛ばした。

 男の〈アースフィッシュ〉の影響下から外れ、迷宮の壁に取り込まれる。

 俺は〈魔循〉で身体を強化し、勢いよく回転して砕き、地面へと降り立った。


 男は起き上がり、俺の蹴飛ばした首を倒し、音を鳴らす。


「小僧……ネティアの製造物だな? 貴様の足を掴むとき、目が合ったが、何故避けなかった」


「あの女はあくまで〈心眼〉のための補佐だろう? お前の方が危険度が高いと判断したから、場から離脱するのに利用させてもらった。〈逆さ黄金律〉の総帥……〈奈落のドルガ〉」


 俺が名前を呼ぶと、灰色の男……ドルガは、ニヤリと笑みを浮かべた。

 姿を見たのは初めてだ。

 ただ、〈逆さ黄金律〉の人間だとわかれば、奇怪な容姿と、その力量から、相手の正体は絞れる。


「あの不死性を目前にして、〈心眼〉の価値に気づている上で、〈不死なるボルクス〉をオマケ扱いか。なるほど、これは想定以上の強敵らしい」


「お前達がウィザの件で学院に押しかけてくる可能性は危惧していた。だが、まさか貴族のお遣いでやってくるとはな。派手にやってくれる。こんな真似をすれば、戦争になりかねないぞ」


 〈逆さ黄金律〉は元を辿れば百年前……アディア王国のヴァーレン公爵家が秘密裏に抱えていた錬金術士団である。

 しかし、元を辿れば原型の錬金術師団が既にあり、他国から流れてきたのではないか、とされている。

 その後も国内の有力商人や貴族、犯罪組織を誑かしては、パトロンを得て研究を続けてきていた。

 

 個人は知らないが、団体としての政治的な思想は持っていないはずだ。

 彼ら自身には、わざわざ学院に乗り込んでまで特定の貴族の子息を狙う理由がない。

 彼らの今の飼い主の命令なのだろう。


 金と実験体さえ差し出すなら、どんな相手にでも擦り寄るのが〈逆さ黄金律〉である。

 国外か国内かは知らないが、騎士学院に〈逆さ黄金律〉を送り込んできた権力者がいるというのは大事件だ。


 考えなしにも程がある。

 強力な手札こそ代償がつきものであり、使いどころを弁えなければならない。

 〈幻龍騎士〉が派手に戦地を引っ掻き回せば、戦争自体が何でもありになってしまって結果的に犠牲が増えると、ネティア枢機卿はそう口にされていた。

 〈逆さ黄金律〉も同じことだ。

 この平和な時代に禁忌の魔術師集団を動かして、アディア王国の顔ともいえる王立レーダンテ騎士学院で暗殺を行わせるなど……アディア王国の王家が絶対に見過ごせない事件になると、理解していないのか?


「それが狙いだとしたら?」


 ドルガは楽しげに口にする。

 俺は目を細め、彼を睨みつけた。


「クク、魔女の製造物にしては考え方が甘いな。確かにボルクスは我と比べればマナでも劣る……戦闘よりも偵察。だが、たかだか騎士見習い数人にどうにかなると? 無意味で中途半端な下策を取ったな、小僧。貴様が優先すべきは、我々の誘拐対象の奪還か、或いは我々の殲滅であったはず。わざわざ切り離しに応じて、距離を置くとはな。貴様は死人が出なきゃいいと願ってる、夢見がちで哀れなガキだ。そういうのは、我ら戦争家の考え方ではない」


「俺はあいつらを信じている。誇り高き、アディア王国の未来を担う騎士だ。それに……今の俺は、一学生の身だからな」


 普通に考えれば……あの合成獣キメラの女、〈不死なるボルクス〉は騎士見習いにどうこうできる次元の相手ではない。

 戦闘は得意分野ではないようだし、ドルガに比べればひと回り格も落ちる。

 しかし、それでも、最低でも〈金龍騎士〉がいなければ話にならないだろう。


 だが、今は、俺の外にもフィーアが騎士学院に来ている。

 フィーアの〈Bクラス〉編入の意図が全くわかっていなかったが、恐らくネティア枢機卿はラヴィが狙わている可能性を知っていたのだ。

 俺もドルガをすぐに片付けるつもりでいるし……それに、時間が経てば、フィーアが駆けつけてくれるはずだ。


 フィーアは人質がおり、狭い迷宮内では本領を発揮できないのだが……それでもボルクスに対する強力な牽制として機能するはずだ。


「随分お遊びの学院生活に思い入れがあるらしい……クク、なら学刀祭は、貴様にとって最高のお祭りになるだろうな」


「……なんだと?」


 まだ、何かしでかしてくれているのか……?


「いや、無駄口だったな。それに残念ではあるが、ここでくたばる貴様には、元より関係のないことだ」

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