第97話

 朝、〈Eクラス〉の教室で俺はギランと話をしていた。


「……なぁ、アイン。聞くのも怖いんだが、あのフィーアって女、結局納得して〈Bクラス〉に入ってくれたのか? 学院長は無事だったのか?」


 ギランが話しているのは、〈Eクラス〉に入るはずだったフィーアが、なぜか〈Bクラス〉配属になったことについてだ。


 昨日、フィーアは大分怒っていた。

 学院長の背中に炎魔術で刻印を彫ってやると言っていたし、実際俺が止めなければ本当にそうなっていたかもしれない。


「大丈夫だ。少々苦戦したが、俺がどうにか宥めた。フェルゼン学院長が少し可哀想だったが、とりあえず納得はしてもらえたようだ」


「お、おい、可哀想だったってなんだ!? 学院長、何されたんだ!?」


 ……昨日、フェルゼン学院長は、身体中から汗を流しながらフィーアに頭を下げていた。


 フェルゼン学院長は直接的には口にしなかったものの、『自分の意思ではなく指示があった』ということを匂わせていた。

 どうやら学院の方針ではなく、ネティア枢機卿が俺とフィーアを別クラスに配属するように指示していたようだ。


 実際、それくらいの理由がなければフィーアにあそこまで迫られても学院長がクラス替えの許可を出さないことはあり得なさそうなので、間違いないだろう。

 週に一度の休みの日である〈太陽神の日〉にはまた一緒に出掛けようとフィーアと約束し、どうにか彼女の機嫌を取ることができた。


「なんであんな生きる爆弾みてぇな女がぽんとやってきやがるんだ……。俺も喧嘩っ早い自負はあったがよ、アレはもう次元が違うぞ」


「フィーアはちょっと人見知りが激しくてな……。俺もフィーアも、拾ってくれた教会が世界の全てのようなものだったから。寂しがり屋で、すぐ俺や他の奴の背をずっと付いてくるところがあって……そういうところも可愛いんだがな」


 俺は苦笑しながらそう話す。

 だが、ギランの顔は笑っていなかった。


「アイン、あれはちょっと人見知りが激しいで済む範囲じゃねぇぞ」


「す、少し、慣れない環境で怖がっているんだろう。本当にその、優しい子なんだ。……身内には」


「小声で付け足しても聞き逃さねぇからな?」


 ……しかし、ネティア枢機卿もなぜわざわざ俺とフィーアのクラスを分けたのか。

 いや、考えてみれば、理由はいくらでも説明できる。


 俺と同様に世間を学ばせておこうと考えた結果、同じクラスにしておいたらフィーアが俺にべったりになって〈幻龍騎士〉のときと変わらないのが目に見えていたからなのかもしれない。

 ネティア枢機卿は学院が〈知識欲のウィザ〉絡みの禁魔術師に狙われるかもしれないと危惧しているようだったので、〈幻龍騎士〉を一ヵ所に固めるより少しでも分散させて配置しておきたかったのかもしれない。


 ……なんなら、自分に刃向かって暴れてツヴァイに大怪我を負わせたフィーアに対する、ちょっとした嫌がらせだったりするのかもしれない。

 それならそれでフェルゼン学院長を巻き込まない形にしてあげてほしかったものだが……。


「おはようございます、アインさん、ギランさん」


「御機嫌ようですわ。朝から陰気臭そうな顔をして、何の話をしていましたの?」


 顔を上げれば、ルルリアとヘレーナだった。

 

 彼女達にはまだ、フィーアが編入してきたことも、俺とギランが編入試験に付き添ったことも話してはいなかった。


「聞いてくれよ、ルルリア、ヘレーナァ。実はアインのあの、手紙の女が……」


 手紙の女、とギランが口にした瞬間、ルルリアとヘレーナの表情が強張った。

 二人共、以前のフィーアの怒涛の長文手紙事件のことを色濃く覚えているようだった。


 ギランがその先を話そうとした、そのときだった。


「兄様っ! おはようございます!」


 教室の外からの言葉に、ギランの背筋がピンと伸びた。


「朝にお会いできる時間は僅かではございますが、せっかくなのでこうして挨拶に伺わさせていただきました! 今日からはしっかりと毎朝兄様のお顔を拝見できるのかと思うと、このフィーア、とても幸せでございます!」


 フィーアがこちらへと駆けてきた。

 ギランの表情が完全に凍り付いている。


「あ、ああ、フィーア、おはよう。挨拶に来てくれたのは嬉しいが、さすがに時間が少し厳しいんじゃないのか?」


「ええ、そうですね。名残惜しいですが、すぐに〈Bクラス〉の教室の方に向かわせていただきます」


 フィーアはそう口にした後、素早くギラン達へと目を向ける。


「……ギランさんには先日お世話になりましたが、そちらのお二人は初めましてですね。どうも、フィリオ騎士爵の子女、フィーア・フィリオと申します。随分と、兄様と親しくしていただいているご様子で」


 含みのある言葉だった。

 フィーアの様子を見て、ヘレーナがぽんと手のひらを叩く。


「手紙の子……」


 雰囲気で素早く察したらしい。

 或いは、兄様という呼び方か。


「わ、私がルルリアで……こっちの子がヘレーナです。フィーアさんっていうんですね! 名前は初めて聞きましたが、アインさんから少しだけお話は伺っていました」


 ルルリアが恐々と対応する。

 フィーアはジトっとした目で、ルルリアの顔を観察する。


「……随分と貴女、私の兄様と仲がいいご様子ですね」


「あ、あははは……」


「そんな困ったような笑い方をしないでください。責めているわけではないのですよ、ルルリアさん。兄様のご友人に失礼は働かないようにすると、我慢すると、私、そう決めていましたから」


 なんとも言えない、冷たい空気がこの場を支配していた。

 謎の生徒の来訪に少し浮足立っていたクラスが、『ちょっとこの子おかしくないか?』と勘づき始め、奇妙な沈黙に包まれていた。


「そっちの人……ヘレーナさん、でしたか?」


「ひゃっ、ひゃいっ!」


 ヘレーナは突然自身に矛先が向けられたことに怯え、呂律が回らなくなっていた。


 フィーアはじっとヘレーナの顔を探るように見つめる。

 その間、ヘレーナは微動だにせず硬直する。

 正に蛇に睨まれた蛙であった。

 十秒程経ってから、フィーアはにこっと人懐っこい笑顔を浮かべた。


「兄様と仲良くしてくださり、ありがとうございます。今後も兄様のことをよろしくお願いいたしますね」


「えっ? も、勿論ですわ! 私とアインは、大の親友ですもの!」


 ヘレーナは普段の調子を取り戻し、得意げに胸を張る。

 〈Eクラス〉の担任であるトーマスが入ってくると、フィーアは時計へ目を向けた。


「では兄様、また後程。これからは兄様と毎日お会いできると思うと、私はとても幸せです」


 トーマスと擦れ違うようにして、フィーアは教室から出ていった。

 フィーアの姿が見えなくなってから、ルルリアは大きく息を吸っていた。


「な、なんだか、空気が重くて、私、自然と息が止まっちゃっていました……。手紙の子ですよね? あの子……絶対に! な、何があったんですか? 騎士爵を名乗ってましたけれど……」


「事情があってな……。悪いが、あまり訊かないでもらえると助かる」


 教会孤児を途中編入させるのはどうしても目立ってしまうため、フィリオ家の子女を名乗っているのだ。

 ただ、ルルリア達には同じ教会育ちの子だと説明していたため、ちょっと噛み合わなくなってしまっている。


「よくわかりませんけれど……わ、私、なんだか、あの気難しそうな子に好かれたみたいでしたわ。なんだあの子、ちょっと怖かったけれど、とってもいい子じゃありませんの! 滅茶苦茶可愛いですし!」


 ヘレーナはフィーアから敵意を向けられずに済んだからか、上機嫌な様子であった。


「珍しいな。フィーアが初対面で、あそこまで人見知りせずに明るく接するなんて」


「うふふ、まあ、これが人徳って奴かしらね! 心配しなくても、ルルリアとあの子の仲も私が取り持って差し上げましてよ!」


「……ヘレーナの奴、フィーアに人畜無害だと判断されたんだろうなァ」


 燥いでいるヘレーナを他所に、ギランがぼそりとそう呟いた。




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 『王国の最終兵器、劣等生として騎士学院へ』第一巻、七月七日に発売いたします!

 詳しくは近況ノートにて記載しております。(2021/7/7)

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