第90話

 放課後、俺はギランと並んで寮棟へと向かって歩いていた。


「どうしたァ、アイン? 最近難しい顔ばっかりしてるぜ。もしかして……やっぱり、学院を出ねぇといけないことになったのか?」


「い、いや、そういうことじゃない。本当に大したことはないんだが……」


「アインが大したことのないもんで悩むとは思えねえがな。まぁ……その関係の話は、下手に口にできないとも言っていたからな。できれば、いなくなる前にちょっとくらいは教えてほしいけどな」


 ……大したことはない、というのは嘘になるかもしれない。

 俺の頭の中にあるのは〈名も無き三号ドライ〉の手紙のことばかりだった。


―――――――――――――――――――――

 また、学院内で最悪の事態が起こらないよう、〈幻龍騎士〉から一人、近い内に学院へと特別編入させることになった。

 ネティア枢機卿は、学院内に〈幻龍騎士〉が潜伏していることが敵方に知られたのならば、下手に白を切るより殲滅してしまおうというお考えのようだ。

―――――――――――――――――――――


 あの話はいつからなのだろうか。

 既に手紙が届いてから七日が経とうとしているが、特に進展はなく、例によってこちらから出した手紙に対する返事もない。


 淡白な〈名も無き三号ドライ〉のことだ。

 必要なことは伝えた、後のことはどうせじきにわかると考えているのだろう。

 ただ、こちらとしては心臓に悪い。


 ネティア枢機卿からしてみれば〈幻龍騎士〉は自身の最大の駒である。

 学院は気軽に入学したり退学したりできる場所ではない。

 目的を果たせば退学すればいいとしても、それでもある程度まとまった長期間拘束されることになる。

 特に考えもなしに次から次へと決定するとは少し考えにくい。


 確かに〈逆さ黄金律〉は危険な集団だが、ここまでする理由があったのだろうか?

 特に今はまだ警戒の段階だ。

 龍章持ちの騎士や教会魔術師を教師として数名迎え入れれば、それで充分であったのではなかろうか?


 動きやすいよう少数である必要があった?

 王家や騎士団、或いは教会や貴族連中に対して今回の事情を伏せておきたかった?

 組織より、ネティア枢機卿個人の意思を直接反映する〈幻龍騎士〉である必要があった?


 ネティア枢機卿は思慮深い御方だ。

 恐らく、そうするだけの事情が何かある。

 既に何らかの情報を掴んでいるのかもしれない。


 ただ、〈幻龍騎士〉とて俺を合わせても四人しかいない。

 〈幻龍騎士〉を長期間拘束するのはネティア枢機卿にとって痛手であるはずだ。


 そう考えると、療養中で全力を出せない〈名も無き二号ツヴァイ〉を入学させるおつもりなのかもしれない。

 ……もっとも、彼女が集団生活を卒なく熟すことができるとは、俺にはどうにも思えないが。

 ギランの十倍は喧嘩っ早いといえる。


 或いは今回厄介な事態に陥っていることを危惧しているのならば、器用な〈名も無き三号ドライ〉か。

 慎重なネティア枢機卿は〈名も無き三号ドライ〉を手許から放すのは嫌がりそうだが、短期間で済むと考えているのならば有り得ないことではない。

 彼女ならばごく普通に学院に馴染むこともできるだろう。


 最近どうにも不安定らしい〈名も無き四号フィーア〉を送り込んでくることはまずないだろう。

 ネティア枢機卿でさえ扱いに困って拘禁している状態だ。

 あの頑丈な〈名も無き二号ツヴァイ〉が大怪我を負わされたらしいので、下手に外に出せば大変なことになるのはネティア枢機卿もわかっているだろう。


「おい、アイン。こっちを見てる女がいるぜ。見覚えはねぇが……上級生か?」


 ギランの言葉に、俺は顔を上げた。


 小柄であり、小動物を思わせる少女だった。

 絹のような銀髪が、緩やかな曲線を描いて広がっている。

 少し眠そうな赤い瞳が、俺の顔を見て大きく見開き、嬉しそうに口を開けて微笑んだ。


 学生服に身を包んでいるところは初めて見たが、その顔に俺は見覚えがあった。

 彼女は歩幅を広げ、俺達の許へと走ってきた。


「兄様、お久し振りです! どれだけお会いしたかったことか……。すう……お母様に懇願して、やっとのことで許可が下りたのです」


 その台詞を聞いたギランが、何かを察したように顔を引き攣らせた。

 学院に送り込まれてきたのは〈名も無き四号フィーア〉だった。


「厄介払い……」


 俺はすっと腑に落ち、手を叩きながら思わずそう零してしまった。

 

 考えてみれば当たり前のことだった。

 なぜ大事な戦力である〈幻龍騎士〉から選出する必要があったのかと悩んでいたが、逆だったのだ。

 〈名も無き四号フィーア〉が言うことを聞かなくなって制御不能になり、おまけに身内に怪我人を出したため手許に置いておくのはまずいと判断して学院に送り込んできたのだ。

 

 〈名も無き三号ドライ〉の手紙でも、ネティア枢機卿が〈名も無き四号フィーア〉の扱いに悩んでいるという記述があった。

 その末の決断ということだろう。

 完全に厄介払いであった。


「今、何かおっしゃいましたか、兄様?」


 〈名も無き四号フィーア〉が首を傾げる。


「……いや、手紙で少し荒れていたと聞いていたが、変わりなさそうで何よりだ。学院の件は悪かった。それで……」


「フィーアと、いつも通りそう呼んでいただければ。アイン兄様」


 俺のときと同様に、識別の数字をそのまま学院での名前とすることにしたらしい。


「もしかしてっつうか……そいつ、アインの妹分か? 警戒してたせいで変に身構えちまったが、全然普通じゃねぇか。今は落ち着いてるみたいだな。ちっと鈍臭そうだが」


 ギランが安堵の息を漏らす。


 確かにフィーアの凶行は、元々学院への入学を希望してネティア枢機卿に突っぱねられたことに由来する。

 ネティア枢機卿も、学院編入の使命であればきっちりと熟してくれると考えてのことだろう。


「さっきからなんなんですか……貴方。兄様の横で、ぺらぺらぺらぺら、ぺらぺらぺらぺらと、馴れ馴れしいです。今、私が兄様とお話をしていますので、どこかへ消えてもらえませんか? 目障りです」


 フィーアはギランを振り返り、額に青筋を浮かべて睨み付ける。

 ギランはフィーアの獰猛な視線を受け、咄嗟に剣を引き抜いて後方に跳び、彼女へと剣先を向けた。


 ギランの過剰反応……とは言えない。

 フィーアの視線と言葉からは殺気が漏れていた。


 というより、手が剣に触れていた。

 さすがに剣を抜きこそはしなかったが、フィーアが自制しなければいきなりこの場で大惨事を引き起こしていた可能性もある。

 ギランは本能的にそのことを察知したのかもしれない。


「……鈍臭いっつったのは訂正しといてやろう。ついでに、今は落ち着いてるって方もな」


 俺はフィーアの身体を押さえ、ギランから引き離す。


「ご、ごめんなさい、兄様のご友人に対して、適切な言葉遣いではありませんでした。学院で妙な騒ぎは起こさないようにとは、母様やドライ姉様からも言われていたのですが……」


 フィーアはこめかみを押さえ、自身を落ち着かせるように息を整える。


 さらりとドライ姉様、と口にした。

 〈名も無き三号ドライ〉のことだろう。


 俺だけでなく、続いて学院に来たフィーアもそのまま名前に転じて名乗っているのだ。

 確かに他の二人だけ物々しい呼び方をするのも違和感がある。


「その……その、私と会わなかった数ヵ月の間に、兄様が私の知らない場所で、私の知らない人達と親交を深めていたのだと思うと……兄様の中で私の存在がどんどん薄くなって消えていってしまったのではないかと……そう思うと、頭が、かっと熱くなって……」


「よし、よし、よく耐えた、偉いぞフィーア。悪いギラン、フィーアは少し……その、寂しがり屋で、人見知りが激しいんだ。また、俺からも厳しく言っておく」


「明らかに人見知りって度合いじゃねえよな!?」


「できれば、ギランもフィーアも、二人共仲良くしてくれると俺は嬉しい」


「……そ、そいつ、本当にルルリアやヘレーナと会わせて大丈夫か?」

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