第87話
地下迷宮の事件の翌日。
俺は寮よりギランと並び、〈Eクラス〉の教室へと向かっていた。
「……なぁ、アイン。結局、その、大丈夫なのかよ? 学院を出なきゃいけねぇかもしれねぇとか、学院長と話してたみたいだったが」
「それはまだ、俺にもわからない」
ギランの疑問に、俺は首を振って答えた。
フェルゼン学院長は俺が学院に残れるように上手く誤魔化しておくと言っていたが、これに関してはネティア枢機卿次第のところが大きい。
ネティア枢機卿は、百年以上に渡って影よりこの国を操ってきた御方である。
彼女の目を欺くことはできないだろうし、俺もそのつもりはない。
今の俺はネティア枢機卿の判断待ちの状態である。
仮に出ていくことになった場合、俺はギラン達には何も伝えず、黙ってこの学院を去ることになるだろう。
現状、地下迷宮の事件については、〈知識欲のウィザ〉が黒幕であったことは伏せられている。
ただ、安易に表に出していい名前ではないのだ。
下手をすれば〈知識欲のウィザ〉に恨みを持つ〈逆さ黄金律〉を学院へ招く結果になりかねない上に、今回の件に〈幻竜騎士〉が関わっていたことを明かすことに繋がりかねない。
この辺りの判断もネティア枢機卿次第となるだろう。
そして……悪魔に誘拐された二人の女子生徒と、先走って迷宮に飛び込んだ〈Eクラス〉の四人組を助け出したのは、〈狂王子カプリス〉である、ということになっている。
カプリスが俺を庇ってくれたことはありがたい。
……ありがたいが、一番借りを作りたくない人間に借りを作る結果になってしまった。
ネティア枢機卿も、俺が考えなしに王族と接触していると、そう評価することだろう。
王族と貴族、そして教会の力関係は複雑である。
裏で牛耳っているのはネティア枢機卿率いる教会であるが、それを快く思っていない王族や貴族も勿論存在する。
教会上層部にもネティア枢機卿を排除したいと考えている人間がいるくらいだ。
明確に敵だとも言えないため、安易に武力に訴えることもできない。
ネティア枢機卿もこの対立には神経を使っている。
もしも俺が王子であるカプリスと接触し、事情を察された挙句に借りを作ったと知れば、ネティア枢機卿は間違いなくお怒りになられることだろう。
その上俺がカプリスの顔面を殴ったと知れば、間違いなく〈幻竜騎士〉に呼び戻されることになる。
正直、五分五分……というよりは、やや分が悪いくらいに考えておいた方がいいだろう。
「なぁ……ギラン、もし俺が突然学院から消えたとしても、俺のことを覚えておいてくれるか?」
「お、おい、物騒なことを言うなよ。まだ決まったわけじゃねえんだろ?」
「あー! アイン、ギラン! 聞いてくださいまし! 大変なことになっていますわよ!」
ギランとの話の最中、甲高い声が割って入ってきた。
顔を上げれば、ヘレーナであった。
横にはルルリアもいる。
二人共、困惑した表情を浮かべていた。
「何があったんだ?」
「ちょ、ちょっと、こっちに来てちょうだい! 二人共!」
ヘレーナに案内されて廊下を歩く。
段々と進路先より喧騒が聞こえてくる。
教員室の前に人だかりができていた。
「なんだァ、ありゃ……?」
ギランが顔を顰める。
背伸びをすれば、銀髪の女子生徒が床へと頭を付けようとして、周囲が必死に止めているのが見えた。
あれは、カプリスのお目付け役のシーケルだ。
彼女の先には、困惑した顔の教師が立っている。
「すいません、すいません、本当にすいません! カプリス様から目を離した私が悪いんです! 先生方がカプリス様に強く出られず、処罰を行うことも難しいことはわかっています! ですが、カプリス様の愚行については、王族の方々にも正しく伝えなければならないかと……! どうか、お付きの私に処罰を! そうすれば、少しは王族の方にカプリス様の現状が伝わることかと思います! 元々、私がカプリス様をしっかりと監視できていなかったのが悪いのです! それが私の学院での最大の役割であったというのに、私などでは奔放なカプリス様の抑止力にはなり得なかったのです! 本当にすいません! どうか、私を煮るなり焼くなり、学院から叩き出すなり、好きになさってください! そうしていただかなければ、私は申し訳なさと羞恥のあまり、顔を上げることさえできません! もういっそ、辱めて殺してください! まさかカプリス様が、このような真似をするとは……! 私は、私は……!」
「止めよシーケルッ!!」
カプリスが怒声を上げる。
今まで聞いた彼の声の中で、一番大きなものであった。
「カプリス様は、ご自身が何をなさったのか理解しておられるのですか……? カプリス様が暴走して学院迷宮に突入したばかりに、老齢のフェルゼン学院長が、無理をしてカプリス様の後を追う事態になったのです。もう少し待てば、現役の手慣れた騎士達が、囚われた女子生徒達の救出に当たっていたというのに! そもそも単純な討伐の話ではなく、悪魔に人質も取られている状況。なぜカプリス様は自信満々に後を追い掛けて、事態を引っ掻き回されたのですか……? これでもしフェルゼン学院長や、悪魔の人質であった女子生徒達の身に何かあったとすれば、私はこの場で自刎して学院に詫びていたところでした……!」
ギランが気まずげに俺を見た。
どうやらシーケルは、先日の学院迷宮の件でのカプリスの暴走について、学院側に詫びているところのようであった。
カプリスが本気で嫌そうな表情をしている。
俺達は他人事ではなく同罪であるどころか、カプリスの行動に助けられた側であるため、ただただ苦しい心持ちであった。
今回に限っては止めてあげてほしい。
「落ち着け、シーケル! 落ち着け! 一度引いて、余ら二人で話し合おうではないか! 今回ばかりは違うのだ! 誤解である!」
「何が違うのですか?」
カプリスはシーケルの言葉に、大きく頷いた。
「うむ、事情があって説明はできないが、とにかく違うのだ」
「皆様本当にすいません! カプリス様が、カプリス様がまたこのようなご迷惑を……! これは全て、幼少期よりカプリス様のお傍にいた、私の責任にであり、罪なのです! だって王族は、何をしても罪にはなりませんから! ですが、その罪の所在を曖昧にしていれば、カプリス様は何も学習なさることなく、また同じ事件を繰り返してしまうことになるでしょう……。そうしないためにも、やはり私が私自身の尊厳と命を伴って謝罪を行う必要があるのです! たとえカプリス様が私のことを、ただの顔を知っている煩わしい女程度にお考えだとしても、私がその罪を受けることで、ほんの僅か、少しでも、彼に考え直していただくことはできるのではないかと自負しております……!」
「止めよシーケルゥ! 説明はできないが、本当に違うのだ! おい、貴様ら、とっとと教室へ行け! 余もこやつも見世物ではないぞ! 今すぐ去らねば、余への反逆と見做して叩き斬ってやる!」
カプリスが刃を抜いて周囲を威嚇する。
俺達四人はその光景も、何とも言えない表情で眺めていた。
ルルリアの「……行きましょう」という言葉に三人で静かに頷き、他の生徒達に紛れてその場を後にすることにした。
カプリスは苦手であるし、立場的にも深く関わるわけにはいかない相手である。
……ただ、次会ったときにはもう少し優しくしようと、俺は心中でそう誓った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます