第86話

 ウィザとの決着がつき、俺は上の階層へと急いで移動していた。

 ルルリア達だけでの地下五階層の移動は本来無謀に近い。

 本人達の強い希望があり、かつマリエット達の救出とウィザの討伐を同時に行うのが難しかったとはいえ、やはりあまり賢い選択だったとはいえない。

 下手すれば、魔物相手に全滅している可能性も充分に考えられる。


 地下四階層へ上がる階段に、巨大な黒々と輝く肉の壁を見つけた。

 修羅蜈蚣である。

 ぴくりとも動いていないため、死んでいるのは明らかであった。


「まさか、ルルリア達だけで倒したのか……?」


 骸を飛び越え、地下四階層へと移動する。

 そこでは壁に凭れて休息しているルルリア達の姿があった。

 マリエットとミシェルも無事な様子である。


「アインさん! 無事だったんですね!」


 ルルリアが駆け寄ってくる。


「よかった……本当によかった……。下で大きな崩落が起きていたみたいでしたから、巻き込まれたんじゃないかって話し合っていたんです」


「ルルリア達も無事でよかった」


 俺はそう言って小さく頷き、言葉を続ける。


「崩落を起こしたのは俺だから安心してくれ」


「……崩落を、起こした?」


 ルルリアが表情を凍りつかせる。


「ああ、あの魔術師が命の予備をどこに隠しているか、細かい位置がわからなかった。まずは周囲一帯を崩落させて数を減らして、そこから地道に削ることにしたんだ」


 崩落させた時点でウィザが時空魔法を用いて逃走を試みて失敗したため、幸いというべきかそのような泥仕合はせずに済んだわけだが。


「しばらく地下五階層の奥には行かない方がいいだろう。不安定なためしばらく不意の崩落が続くだろうし、魔物の数もかなり減少しているはずだ。学院には悪いことをした」


「……も、元々地下五階層は長年人が足を踏み入れていないみたいでしたし、そこは心配しなくてもいいと思いますけれど」


 ルルリアが少し、呆れた様子で俺へとそう返す。

 そのときルルリアの身体越しに、俺の方をじっと見ていたマリエットと目が合った。


「貴方が無事でよかったわ。民を守るための貴族が平民に命を擲って助けられたなんて噂になったら、マーガレット侯爵家の名に傷がつくところだったもの」


 マリエットはそう言うと、気まずげに俺から目を逸らす。


「……ありがとう、助けられたわ。貴方に事情があるらしいことはルルリアからも聞いているわ。マーガレット侯爵家の名に懸けて、貴方の不利になるようなことは話さないから安心しなさい」


 マリエットはこう言ってくれているが、俺がこの先学院に残れるかどうかは怪しい。

 相手が相手だ。


 〈知識欲のウィザ〉は、王国騎士団だけで対応できるかどうかが怪しい程の強敵だった。

 学院迷宮に潜伏していたウィザを早期討伐できたのはよかったが、それがネティア枢機卿の隠し戦力である〈幻竜騎士〉の尾を掴まれる切っ掛けに繋がるかもしれない。

 そのことをネティア枢機卿がどう考えてくれるのか、そこ次第である部分が大きい。


「心配はしておらんかったぞ、アイン。何やら下の階層で騒ぎがあったようだな」


 ぬっと死角からカプリスが出てきた。

 俺は咄嗟に腰に手を当てて、自身の剣を探してしまった。

 元の剣はウィザの魔術で完全に朽ちてしまっていたため丸腰だったため、手は空を切るばかりだったのだが。


「ほう、丸腰で余と戦おうというのか? それも悪くはあるまい。手を抜かれているようで気は悪いが、アインと余の力量差であればそれも仕方なかろう」


 全く意味がわからない。

 俺は事態が把握できず、助けを求めてルルリアへと目を向ける。


「カ、カプリスさんはその、私達を助けてくれたんです。だから、ぶん殴ったりはしないであげてくださいね……?」


「……カプリスは、単独でここまで来たのか? 何をしに?」


 俺はカプリスを指で示しながら、ルルリアへと尋ねた。


「おいアイン、余のことで疑問があるのならば、余に問えばよかろう。無視をするな、余のことを言葉の通じぬ獣だとでも思っているのか?」


「……アイツ、一人で突撃してきて、弱っていたとはいえどハームを一撃で斬り殺しやがったぞ。アインが別格なのはとっくにわかってたが、アイツもアインの影に霞まないくらいにゃ化け物だな。安易にこういう言い方したくはねぇが」


 ギランが答えてくれた。

 ……ただ、これまで学生の最高到達階層は、今まで地下四階層だったのではなかろうか?

 それをカプリスは、単身で余力を残して地下四階層の奥地まで突撃してきたらしい。


「しかし、何をしに、か。何か騒ぎになっていると思えば、アインの名が聞こえたので首を突っ込んだまでだ。それに……貴様とまた一戦交わすには、人目につかぬ地下を使うしかないのでな」


 カプリスが一歩俺へと歩み寄ってくる。

 俺は危険を感じ取って反射的に身を引き、握り拳を構えた。


「い、一応王族ですからね、アインさん! か、顔は目立つから駄目です! せめてボディーにしてください!」


「王族相手にお腹もまずいですわよルルリア!?」


 動揺からかよからぬことを口走るルルリアを、ヘレーナが慌てて訂正する。


 そこへ風を切る音が響き、砂嵐が吹き荒れる。

 一人の巨漢が目の前へと現れた。

 長髪の老人が、鋭い眼光で俺達を見回す。


「フェ、フェルゼン学院長……!? どうしてこちらへ?」


 ルルリアが姿勢を正す。


 遅れてトーマスが到着した。


「現役の竜章騎士を手配していたが、急いた生徒が立て続けに迷宮へ突入したと聞いてな。その中には王族の姿もあったと聞いて、緊急で俺と学院長が後を追うことになった」


 どうやらマリエット達を助けるために騎士を呼んでいたが、カプリスが勝手に飛び込んだと知ってそれどころではなくなってしまったらしい。

 〈金竜騎士〉であったフェルゼンが、彼が一番信頼しているトーマスを連れて飛び込んできたようだ。


「被害が出なかったようで何よりだが……俺は、お前達を褒めはしないぞ。自分のやったことがわかっているのか? 死人が出なかったなど、結果論だ。規律を乱す騎士は、騎士の存在意義そのものを脅かす。詳細を把握しきれてはいないため今はこれ以上は言わないが、騎士学院側としては、お前達に何らかの重い罰則を加えなければならないかもしれん。そのことは覚悟して……」


 トーマスが話している途中で、フェルゼンがさっと俺の目前へと飛び込んできた。

 大柄の身体を少しでも小さくしようと丸め、皺を伸ばして朗らかな笑みを浮かべる。


「おお、アイン様! 早々に迷宮に突入されておられたとは。さすが、判断が早い! 我々も悪魔騒動を耳にしてどうしたものかと手をこまねいておりましたが、アイン様のお陰でまた一つ助けられましたわい! ははは!」


 トーマスがフェルゼンの背へと冷たい視線を向ける。


「……学院長、それでいいんですか?」


 フェルゼンはトーマスを振り返りながら胸を張り、縮めていた身体を大きく伸ばす。


「フン、的外れなことをぺらぺらと。元より悪魔一体相手に、手こずるような御方ではない。詳細を聞かずとも、最良の判断であったことは間違いないわい」


「魔女へはどう説明するおつもりで? こうなった以上、隠すにも限度があります。アインのことが漏れれば、学院自体が怒りを買いかねないと随分と恐れていましたが……」


 トーマスの言葉を聞いて、フェルゼンが顔を真っ青にした。


「そ、それは、上手くやればよかろう。儂がどうにかするわい! そして、そのっ、今はその呼び方をするな! 聞いておるだろうが、アイン様が! ま、魔女だとか、そんな言い方……!」


 フェルゼンがトーマスへと必死で何かを言い聞かせていた。

 トーマスは溜息を吐く。


 トーマスが言っていたことは俺も懸念している点だ。

 俺が下手に動いて、裏で名の通った人間……それも大きな組織である〈逆さ黄金律〉と関わりの深い魔術師を討伐するのは、危険なことだった。

 〈幻竜騎士〉である俺の情報が漏れれば、それはネティア枢機卿の弱点にも繋がりかねない。

 手駒である〈幻竜騎士〉の実態が不透明であることが彼女の強みでもあるのだから。


 〈知識欲のウィザ〉については、下手に名前を大きく出すのも危ないような存在だ。

 場合によっては、彼女が事件に絡んでいたこと自体が伏せられるかもしれない。

 ただ、生徒だけで迷宮深くの悪魔を討伐したという話が広まれば、やはりネティア枢機卿がこのまま俺を学院に置いてくれるとは思えない。


 元より、そのことは覚悟していた。

 ネティア枢機卿の怒りを買うことになるかもしれない。

 もしかすれば〈幻竜騎士〉の足を引っ張るような事態になるかもしれない。

 ただ、だとしても、俺はこの学院で知り合った友人を見捨てるような真似は、絶対にしたくなかったのだ。


「貴様が特別なのはとうに知っていたが、何やらややこしい話になっているようだな。おいアイン、貴様、まさかこの余を置いて学院を出て行くつもりか?」


 置いて行くも何も、そもそもカプリスと親しい仲になったつもりもないのだが。


「……少し事情がある。学院は出て行くことになるかもしれない」


「ならば、余が引き受けてやろう。余が先陣を切って悪魔を打ち倒し、マーガレット家の女を助けてやったことにすればいい。余の勇猛さは、国中に知れている話。敢えてそれを疑う者もおるまい」


「なに?」


「勘違いするでないぞ、アイン。つまらぬ手柄が欲しいわけではない。この学院から貴様が去ったら、余が困るからこう言っているのだ」


 フェルゼンが手を叩いた。


「……ふむ、それでいけるかもしれん」


「本気ですか……?」


 トーマスが恐々とフェルゼンへと尋ねる。

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