第84話
「武器はそれでいいのかい? 随分と手荒い使い方をしていたようだけれど」
ウィザが俺の構える刃を指で示す。
ハームとの戦闘でへし折れた上に、その後の道中でも酷使したため歪に曲がっている。
「生憎、丁度いい持ち合わせがない」
「何か用意してあげようかい? このままでは、いくら何でも可哀想だ。ほら、私って、結構優しいだろう?」
ウィザは大仰に腕を振ってそう口にした。
随分と余裕ありげな態度であった。
いや、実際にそうなのだろう。
〈逆さ黄金律〉は危険思想の秘密結社にして、国内随一の高位錬金術師の集団だと聞いていた。
ウィザはその中でも、平然と仲間を殺して逃げてきたような人間だ。
これだけの自信があるのも理解できる。
それを踏まえても必要以上に余裕ありげに見えるのは、ウィザが〈魂割術〉によって、自身の命のストックを千個以上有しているためだろう。
まともにウィザを殺そうと思えば、彼女に千回以上は致命傷を与える必要がある。
この戦いで何がどう転んでも自身が死ぬことはないと、彼女にはそうした確信があるのだ。
ウィザは俺と対峙していながら、檻の中に入った魔物を安全な位置から観察しているような気分でいるのだろう。
二つ名である〈知識欲のウィザ〉の通りの性質だといえる。
〈逆さ黄金律〉を裏切ったのも、学院迷宮に身を潜めているのも、俺相手に対話や観察を優先しているのも、全ては彼女の知識欲のためなのだろう。
だとすれば、俺の取るべき行動は決まった。
俺は地面を蹴り、ウィザの背後へと回り込んで折れた刃の一撃を放った。
ウィザの首が抉れて鮮血が舞った。
壁に叩きつけられた彼女の身体が、大きく折れ曲がる。
「お前の相手は、この剣で充分だ」
常人ならば即死していたであろう外傷を受けながら、ウィザはゆらりと立ち上がる。
身体の傷は、最初からなかったかのように癒えていた。
「残念だ。私は本気で言ってあげているんだけれどね。まさか君、その程度で私に勝てると思っていないかい? だとしたら、がっかりだよ。ネティアも流石に老いたのかな?」
俺の取るべき行動は決まった。
この剣では、ウィザを殺し切ることはできない。
俺がすべきことは、ルルリア達が安全なところまで逃げ切るだけの時間を稼ぐことだ。
「闇の精霊を束ねる王よ、その神が如く力の片鱗を、この私にお貸しください」
ウィザが手を組み、祈りを捧げる。
一瞬にして床一面に巨大な魔法陣が展開された。
「
魔法陣から青白い光の靄のようなものが伸びたかと思えば、それは無数の半透明の巨大触手へと変わり、暴れ狂って部屋内を蹂躙した。
並んでいた本棚や、ウィザの研究成果が触手の暴力に沈んでいく。
俺は触手を蹴って宙へと逃れようとしたが、寸前で嫌なものを感じ取り、宙で身体を回転させて倒れた本棚を蹴って逃れた。
触手に触れた本棚が、黒ずんで目の前で消滅していくのが見えた。
いや、本棚だけではない。
触手に触れたものの全てが、まるで急速に腐敗でもしていくかのように朽ちていく。
触手そのものが強力な呪いの塊だ。
地下迷宮の一室が、あっという間に異形の触手の蔓延る地獄へと成り果てた。
覚悟はしていたが、当たり前のように
「フフフ、頭と胴体には当たらないでおくれよ。君の身体は、丁重に標本にして、この私の大事な蒐集物にするのだからね。なにせ、ネティアの技術だ。たっぷりと可愛がってあげるよ」
ウィザが口許から涎を垂らし、それを長い舌で舐め取った。
「闇の精霊の王の触手とはな」
精霊が再び伸びて、真っ直ぐに俺へと迫ってくる。
俺は床を蹴ってその場から逃れた。
相手の基地だから当然のことではあるが、この場所はあまりにウィザにとって有利過ぎる。
この部屋の範囲であの触手攻撃を避け続けるのは俺でも難しい。
とりわけ時間稼ぎの持久戦には特に向いていない。
「ほらほら、どうしたのかな? 〈幻竜騎士〉はそんなものなのかい?」
ウィザは自身の身を守るように触手を動かす。
さすがに精霊の王、触手の動きは速かった。
だが、その動き自体は単純なものであった。
数と速さは厄介ではあるが、決して対応不可能であるわけではない。
俺は目と身体を慣らしつつ、時間稼ぎを兼ねて、ウィザとの距離を一定に保ったまま逃げて回った。
その間に、触手の攻撃がやや緩くなるタイミングがあることに気がついてきた。
触手はどうやら一部の棚と、壁……恐らくは、壁に掛かった絵画に攻撃したくはないようだった。
〈魂割術〉は、自身のマナを物に付与することで命のストックを作る魔術である。
千以上のストックを何らかの形でこの拠点内に保管しているのはわかっていたが、だいたいその位置がわかってきた。
とはいえ、この部屋だけに〈魂割術〉の対象物を置いているわけがない。
本体から遠すぎれば〈魂割術〉が機能しなくなるはずではあるが、拠点内であれば充分発動条件を満たしているだろう。
壁に埋め込んでいるものもあるだろうし、拠点外の迷宮内に隠しているものも当然あると考えるべきだ。
今得た情報のアドバンテージは結局、〈魂割術〉はブラフではない可能性が多少上がった、程度のことである。
ウィザの性格や様子を見るに、元よりフェイクである可能性はそこまで追っていなかったが。
俺は触手の合間を抜けてウィザへと接近したが、強引に距離を詰めたのが裏目に出た。
死角から迫ってきた触手から剣で身を守った際に、その剣が弾き飛ばされてしまった。
地面を転がった剣は、触手の呪いを受けて朽ち果てていく。
「ついに武器がなくなったね。どうする? やっぱり私から何か貸してあげようかい? はっきり言わせてもらうけれど、君、確かに強いけれど、想定を大きく下回ったよ。少しがっかりしている……がっ!」
俺はウィザの腹部を蹴り飛ばした。
彼女の身体が、触手と衝突する。
背中の衣服があっという間に朽ち果て、肉が黒ずんで削がれていく。
ウィザの片目が溢れ、腐った左肩が床へと落ちる。
「まさか、〈魂割術〉でほとんど不死になった私を倒すために、〈クドゥルフィーラ〉を利用できるタイミングを窺っていたのかい……? そんな、だとしたら……」
腐ったウィザの首が床へと落ちる。
その次の瞬間、ウィザはあっさりと立ち上がっていた。
腐っていた肉体も、千切れた腕や首も、そうであることが当たり前かのように元通りになっている。
「だとしたら、本当にがっかりだよ。〈魂割術〉はね、そんなものであっさりと破れるような生半可な魔術じゃないんだ。そもそもこの私が、自分の魔術の弱点となるような魔術を使うとでも思ったのかい? むしろ術者を呪殺しかねない〈クドゥルフィーラ〉と、〈魂割術〉の相性は抜群なのだけれどね。いざとなれば、自分ごと攻撃したっていいんだ」
ウィザが邪悪な笑みを浮かべる。
「まぁ、 〈魂割術〉には、そもそも弱点なんてないのだけれどね。君は力尽きて、指一本動かなくなるまで、不死身の私と踊り続けるのさ」
ウィザが指を鳴らす。
周囲の触手が俺へと迫ってきた。
「……そろそろいいか」
俺は避けずに、触手を敢えて素手で受け止めた。
触手と俺の腕との間に黒い光が走り、触手の動きが止まった。
「〈クドゥルフィーラ〉を、受け止めた……? フ、フフ、素晴らしい! そうかい……君、今のでわかったよ。身体の中に、〈クドゥルフィーラ〉じゃ比べ物にならない程の呪いを既に飼っているんだね。いやぁ、さすがネティアだよ。とんでもないことをするなぁ。なるほど、私を油断させるために、ギリギリまで隠していたわけか。いやぁ、ちゃんと期待通りのものを見せてくれるじゃないか! ここからが本番だよ! それでこそ私も、本気が見せられるというものだ!」
ウィザが興奮げに叫んだ。
「
俺は触手を押さえているのとは逆の手を伸ばし、魔法陣を展開する。
手許に光が走り、それは一本の剣へと変化した。
〈ウェポンシース〉は、隠し持っている武器を手許へと召喚することのできる魔術だ。
魔術はあまり得意ではないが、攻撃魔術の調整や制御が効かないことはさておき、騎士として最低限必要なものはちゃんと習得している。
俺は現れた剣を手に取った。
〈怒りの剣グラム〉……俺がネティア枢機卿よりいただいた、四本の魔剣の内の一つである。
俺は刃を振るい、押さえていた触手を切断した。
上半分が消滅し、残った根の部分が痙攣し、魔法陣へ沈むように消えていった。
「……精霊の王の、触手だぞ? それを、一振りで……?」
ウィザの顔から表情が失せた。
ウィザの〈魂割術〉を無力化するのは簡単だ。
馬鹿正直に千回殺してもいいし、命のストックを付与した物を直接全て叩き壊してもいい。
だが、どちらにせよ、それをするにはこの迷宮の階層自体を崩落させかねない事態になる。
ルルリア達がこの階層から逃げられるだけの時間を稼ぐまでは、ウィザとの戦いを相手を油断させたまま引っ張っておく必要があった。
「ここからが本番だと、そう言ったな」
俺は魔剣を軽く振るい、ウィザへと向けた。
「悪いがそうはならない。これを抜いた以上、戦いはここまでだ」
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