第82話
ルルリア達は階段を駆け上がり、地下四階層に踏み込んだところで、追ってくる修羅蜈蚣に備えて待機した。
背負われていたマリエット、ミシェルの二人も地面に降り、剣を構える。
「ほ、本当に大丈夫ですか、マリエットさん、ミシェルさん?」
ルルリアから尋ねられ、マリエットがフンと鼻を鳴らす。
「ここを乗り切らないとどうしようもないんだから、やってみせるわよ。人任せは性に合わないの。いけるわね、ミシェル?」
「勿論ですの! マリエット様に任せたまま、床に這っているわけにもいきませんわ」
ミシェルも刃を抜き、そう息巻いていた。
ギランもやる気充分らしく、剣を構えて不敵な笑みを浮かべている。
「格上面してる奴をぶん殴るってのは、悪い気分じゃねぇな」
各々が士気を高めている中、ヘレーナは真っ蒼な表情で、フーフーと息を吐き、小刻みに身体を震えさせていた。
「大丈夫ですわ……やれますわ……絶対に問題ありませんわ……」
「ヘ、ヘレーナさん……あの、どうしても駄目そうでしたら、後ろで休んでいてもらっても……」
「大丈夫です、大丈夫ですわよ、ルルリア! わわ、私だって、パパ……じゃなくて、お父様の娘なんですもの。民を守るために立ち上がるのが騎士の務めでしてよ。こんなところで、私一人だけ怯えて下がっているわけにはいきませんわ」
ヘレーナはそう言って、自身の顔をバシバシと叩いて気合を入れていた。
ただ、やはりどうしても頼りなく見えてしまう。
ルルリアは少し眉を顰め、ヘレーナの横顔を見つめていた。
轟音が近づいてくる。
修羅蜈蚣が、階段通路を崩しながら地下四階層へと這い上がってきているのだ。
一同に再び緊張が走った。
「わ、私が魔弾を撃ちます! それを合図に、一斉に掛かりましょう!」
修羅蜈蚣は身体が大きく、重く、そして長い。
階段では間違いなく速度が落ちる上に、重心も不安定になる。
動きも固定化されるのだから、叩く機会としてはこれ以上ないタイミングであるはずだ。
「ヒヒヒヒヒヒ! どこに隠れようと、どう足掻こうったって無駄なことだよ! 死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ねっ!」
ハームの叫び声が聞こえてくる。
「
ルルリアの剣先に展開された魔法陣の中央より、炎球が放たれた。
炎球は丁度、姿を現した修羅蜈蚣の顔面へと当たった。
だが、逆さの人面を模した甲殻は、あっさりと炎球を散らす。
想定はしていたが、修羅蜈蚣はあまりに頑強であった。
それを合図に、各々は一斉に前へと飛び出した。
「〈
ギランが叫ぶ。
彼の身体から漏れた魔力が実体を持ち、赤い光の鎧となって全身を覆っていく。
「そして〈剛魔〉ァ!」
ギランは地面を蹴って跳び上がり、修羅蜈蚣の逆さの頭部を狙って一撃をお見舞いした。
修羅蜈蚣の顔面が僅かに横に逸れたものの、失速さえしない。
次の瞬間、ギランは跳ね飛ばされて地面へと落ちた。
「ぐうっ……!」
「ミシェル、行くわよ!」
「はい、マリエット様!」
マリエットが綺麗に跳んで、ギランが斬ったのと同じ位置に剣を振るった。
一撃を入れた直後に、ミシェルが同じ位置へと刃を振るう。
しかし、修羅蜈蚣の人面は、依然としてほぼ無傷であった。
直後、弾かれたマリエット達が地面を転がる。
受け身は取ったはずだが、二人共元々万全とは言い難い状態であった。
逃がし切れなかった衝撃が身体にしっかりと伝わっていた。
ギランとマリエット、ミシェルの攻撃で、修羅蜈蚣は僅かに減速したようだった。
だが、ルルリアから見て、それでまともにダメージが通ったとはとても思えなかった。
人面の甲殻があまりに頑強すぎる。
修羅蜈蚣からしてみれば、狭い通路を駆けていて、顔に小石が当たった程度のものなのだ。
容易く貫通してみせたアインが異常なのだと、ルルリアはそう再認識させられた。
ルルリアの前を駆けていたヘレーナが、足を止めてその場に立ち尽くした。
彼女もギラン達が叩いて、ここまでダメージがないとは思っていなかったのだろう。
ヘレーナは困惑気に自身の足へと目線を落とし、必死に足を前に出そうとしているようだったが、恐怖に麻痺した足が、どうにも動くことを拒絶しているようだった。
「私が、やるしかない……」
ルルリアは小さく零し、息を深く吸い込んで覚悟を決め、足を速めてヘレーナを追い抜いた。
先の攻撃で、修羅蜈蚣に充分なダメージが通ったとは思えない。
だが、ここを逃せば、もうギランもマリエットもミシェルも立て直しが効かない。
「こうなりゃ、破れかぶれ……!」
ルルリアは先の三人を見て、わかったことがあった。
修羅蜈蚣が反対側から突進してきているがために、その分修羅蜈蚣とぶつかる際の刃の速度が相対的に上昇しているのだ。
ルルリアには他の三人のように、豪速で迫ってくる修羅蜈蚣に対して、同じ場所を狙ってピンポイントで刃を振るうような真似はできない。
だが、剣をしっかりと構えて固定することさえできれば、修羅蜈蚣の突進のお陰で刃の速度は賄える。
そしてその状態であれば、他の三人同様、攻撃する箇所を揃えることもできるはずであった。
ルルリアは剣をがっしりと硬く構え、〈魔循〉を最大に高めて速度を上げ、体当たりをお見舞いした。
だが、反動で吹き飛ばされ、地面を転がることになった。
身体がバラバラになるかのような激痛が走る。
「あうっ!」
さすがに体格差があり過ぎた。
剣でどうこうしても有効打になり得ないと判断したがの故の特攻であったが、仮に階段でなく地上で修羅蜈蚣の突進とぶつかっていれば、間違いなく身体が拉げていただろう。
ルルリアは地面に頭を打ち付け、その衝撃で動けなくなった。
辛うじて意識はあるが、視界が明滅していた。
頭にどろりとした感触がある。
それが血液であることに、少し遅れてルルリアは気が付いた。
「ル、ルルリアッ!」
ヘレーナが声を上げる。
その声も、意識の薄れた今のルルリアには、どこか遠いものに思えていた。
ルルリアが残る気力でどうにか顔をあげれば、迫ってくる修羅蜈蚣の巨体が見えた。
「ヒ、ヒヒヒ、ヒヒヒヒヒ! 本気で正面から、修羅蜈蚣を止められると思ったのかい? 君達みたいな騎士見習い如きで、コイツがどうにかなるわけがないだろうに! 雑魚は雑魚らしく、逃げ回っていればよかったのにね!」
修羅蜈蚣の上で、ハームが大きな笑い声を上げる。
「ヒヒ、一番愚かなのは、そこに立っている君だよ。ヒヒヒ、震えちゃって、そんなに死ぬのが怖いのなら、他の奴を囮にして一人で逃げていればよかったのに! 君達ニンゲンって、本当に底抜けに頭が悪いよね」
ハームが揶揄したのは、最後に残ったヘレーナのことであった。
ただ一人立つヘレーナ目掛けて、修羅蜈蚣が突進していく。
「確かに……怖いですわよ。今だって、震えが止まりませんもの。アインもあまり乗り気ではなかったみたいでしたし、こんなところ、来たくだってなかったですわ。騎士が命懸けなのはわかっていますけれど、割り切れるかどうかは別ですもの。お父様には悪いですけれど、やっぱり私には、剣の才だってありませんし……。ええ、自分がそんなに賢くないってことだって、わかってますわよ。貴方みたいな化け物に指摘されなくったって」
ヘレーナが剣を持つ手を強く握り締める。
「でも……そんなこと、できるわけがないじゃない。友達が死ぬのは、もっと怖いんですもの」
ヘレーナが剣を前に突き出す。
その動きを見て、ハームは笑い声を一層と大きくした。
「ヒヒ、剣の才がないのは本当みたいだね。見習いとは言え、そんな無様な剣を振るうニンゲン、迷宮内で見たことがなかった。剣速があまりに遅すぎる。そんな刃じゃ、修羅蜈蚣どころか、ゴブリンだってまともに斬れやしない」
ハームが笑うのも無理はなかった。
剣を振るうというより、本当に剣をただ前に突き出しただけのような状態だった。
動作が大きすぎて隙だらけな上に、そもそも修羅蜈蚣の動きと噛み合っていない。
せめて、もう少し修羅蜈蚣を引き付けてから剣を振るうべきだったのだ。
修羅蜈蚣が到達する頃には、刃の勢いは既に止まっていた。
すぐに修羅蜈蚣の甲殻が剣を弾き、ヘレーナを吹き飛ばすと、ルルリアから見てもそう思えた。
刃と修羅蜈蚣の顔面が衝突した。
勢いよくヘレーナの剣が後方へと弾かれた。
その瞬間、ヘレーナは姿勢を落とし、右足を軸にその場で一回転した。
「ヒヒ……ヒ?」
その様子を見たハームが、笑い声を止める。
ヘレーナより再び放たれた刺突が、修羅蜈蚣の顔面へ突き立てられる。
直後、刃はへし折れ、ヘレーナの身体は後方へと弾き飛ばされた。
肩から地面に落ち、腰を打ち付ける。
修羅蜈蚣の硬い甲殻に、一筋の亀裂が走った。
「ギィィィイイイイイイイイイイイイイイイイ!!」
修羅蜈蚣は頭部を揺らし、階段の段差へと激しく打ち付けた。
「……ヘストレッロ家三大絶技の一つ、〈車輪返し〉ですわ」
ヘレーナは血塗れで地に這ったまま、そう口にした。
剣先で受けた衝撃を円運動へと転化し、剣の速度を高めて相手へ刺突を放つ返し技である。
修羅蜈蚣の突進の威力に刃がついに耐え切れず悲鳴を上げたが、しかしそれは修羅蜈蚣の甲殻もまた同じことであったのだ。
先の四人の攻撃によって傷ついていた甲殻は、〈車輪返し〉によって返された自身の突進の衝撃を耐え切ることができなかった。
〈車輪返し〉は相手の攻撃を点で受けて返す必要がある。
元々対人より対魔物に特化した絶技であり、今回のように相手が巨体である方が扱いやすい技であることは間違いない。
加えて今回は狭い通路で相手の動きが大幅に制限される上に、階段を上がってきていたために自重に引かれ、本来の速度も発揮できていなかった。
とは言えども、 へレーナが〈車輪返し〉に成功したのは、先の四人の捨て身の攻撃によって、僅かながらに修羅蜈蚣が減速していたことにあった。
そうでもなければ、元々扱いが難しく身に付けられていなかったヘストレッロ家三大絶技を、ヘレーナが土壇場で成功させることはできなかっただろう。
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