第71話

「ハーム、お前はあの二人を殺していない、そうだろう? だが、この迷宮奥深くに、見張りも無しに人質を安全に確保していられる場所があるとは考えにくい。二人をどうした?」


 生かしたならば、何かしらの理由があったはずだ。

 魔物の蔓延る迷宮内に、何の対策も講じずに放置したとは思えない。

 殺してよかったのなら、ハームの言葉通り、残忍な手段で殺していたはずだ。


「さぁ、ねぇ、ヒヒ、ヒヒ、どうだろう? 案外、君の推理が全て外れていて、とっくに死んでいるのかもしれないよ? ヒヒ、それに……冷静振って、偉そうに語っている場合なのかな?」


 ハームはだらりと両腕を垂らし、俺達へと向かって歩いてくる。


 悪魔は嘘吐きだ。

 どうにかマリエット達の情報をハームから引き出したいが、単純に力で押さえつけても、この場ですぐに口を割らせるのは難しい。


 悪魔が何のためにマリエット達を生け捕りにしたのか、何故安全の保障のできない迷宮の中に置き去りにすることができたのか。

 それについてこちら側の情報が少なすぎて、悪魔の言葉の真偽を確かめることがほとんど不可能だ。

 嘘を真実と言い張られれば、それ以上追求することはできなくなってしまう。

 再生能力の高さ故に、痛みに対する感覚も人間とは違う。

 当然精神構造も異なる。

 拷問は有効ではない。


「ヒヒ、ヒヒヒ、まさか討伐隊の第一陣が、ただの騎士見習いだなんてね。悪いけれど僕は、そこらの騎士相手にだって遅れを取るつもりはないんだ。君達、死んだよ」


 ハームはそう言って、俺達を見回す。


「ヒヒ、でも、僕だって、ただ殺すのなんて退屈なんだ。もう飽いてしまった。君達四人の内……そうだね、半分の二人は見逃してあげるよ。君達さ、二人になるまで殺し合いなよ。ああ、勿論、自害して他のニンゲンに席を譲ったって、構わない……もっとも、そんなことはしないだろうけれどね」


「ハッ! 四人相手だと、戦闘になったら逃げられるとでも思ったか? 悪魔ってのは恐ろしい化け物だと聞いてたが、案外打算的な小物なんだなァ! だが、そんなもんより、テメェの身を案じてた方がいいぜ。今からテメェを、派手にぶっ殺してやるからよ!」


 ギランが剣を構える。

 ルルリアもヘレーナも、ハームの言葉に動揺した様子は一切見せなかった。


「ヒヒ、身の程を知らないみたいだねぇ。騎士見習い如きが、ちょっと頭数を揃えただけで僕に勝てるだなんて」


「いや、ギラン達は下がっていてくれ。こいつは俺一人でやる」


「……はい?」


 ハームが顔や身体を強張らせる。

 顔付きこそさほど変わりはしなかったが、激怒していることは間違いなかった。


「おい、アイン! このままじゃ、付いてきただけみたいじゃねぇか。俺だって、ここ一ヵ月でかなり腕を上げた自信があるぜ。このくらいの魔物相手……!」


「まだマリエット達も見つかっていない。帰りもあるから、体力は温存しておいてもらわないとな。それに、ハームからはまだ聞き出しておきたいことがある。ギランに勢い余って、派手にぶっ殺されちゃあ困る」


「こ、言葉の綾って奴だ。倒すっつっても、締まらねぇだろ? そんくらいの気持ちでやるってことだよ。……まぁ、アインがそういうなら任せるけどよ」


 ギランが剣先を下ろした。

 その動きを見て、ハームが一層と苛立ちを露にする。


「これまで僕の見てきた騎士見習いは、皆僕に恐れを抱き、諂っていたものだけれどね。君達……本当に僕を舐めているみたいだ。愚かさや無知とは、罪なものだ。その言動、僕を怒らせたと思いなよ」


「マリエットもか? あの誇り高い女が、お前のような下劣な悪魔に媚を売ったとは思えないがな」


「…………」


 俺の言葉に、ハームが沈黙した。


「やはり悪魔は嘘吐きだな。生徒から恐れられていたというのも、案外嘘かもしれない」


「本当に減らず口を叩くねぇ!」


 ハームが地面を蹴り、俺へと接近してくる。

 長い腕を大きく振るう。

 俺は剣を構え、刃でハームの腕を防いだ。

 ミシリと、刃が悲鳴を上げた。


「……市販品の剣を使うのは避けるべきか」


 こうも毎度のように、愛着が出てきた頃に破損させられていればキリがない。

 魔技の〈装魔〉で刃にマナを伝わせて瞬間的な強化もできるが、戦闘中に毎回武器の保護に意識を向けさせられていれば、それだけで大きなハンデになる。


「へぇ……一撃で沈めるつもりだったけれど、なかなかいい反応じゃないか。大口を叩いていただけのことはありそうだね。四人共連れていくのは無理だから半分は殺すつもりだったけれど、とりあえず君は残すことにしようかな」


 ハームが大きく口の両端を吊り上げさせる。

 その後、腰を大きく左右に捻り、両腕を俺へと激しく打ち付けてきた。

 威力の底上げのためだろうが、あまりに動作が大きすぎて隙だらけだ。

 俺は右腕の一撃を身体を逸らして避け、左腕の一撃を刃で受け流した。

 

「なら、これはどうかな!」


 ハームが首を捻りながら頭突きを放ってくる。

 人間ならば首の骨が折れているような捻り方だった。


 人間の身体を模してはいるが、関節も動かし方も滅茶苦茶だ。

 なまじ先入観がある分、動きを読むのが難しい。


「ぐっ!」


 俺は右腕で防御し、ハームの頭突きを防いだ。

 背後へ飛び、腕への衝撃を逃がし、ダメージを軽減する。

 俺が地面に着地したところで、ハームの右腕が俺の首目掛けて一直線に伸びてくる。


「お、おい、アイン、大丈夫か? 動きが普段よりかなり鈍いぜ。やっぱり、迷宮駆け回って捜索してたの、かなり負担になってたんじゃねぇのか?」


 ギランが不安げに声を掛け、迷いながら剣を構えていた。


「大丈夫だギラン。心配を掛けたな」


 俺は言いながら、身体を背後に逸らしながら、迫ってきたハームの右腕を叩き斬った。

 黒い腕が綺麗に切断され、宙を舞った。


「ぐうっ! ぼ、僕の腕が……! なるほど……先の二人とは確かに、桁が違うらしい! 見習い騎士だと舐めていたけれど、これじゃあまるで〈龍章〉持ちレベルだ」


 俺は床を蹴り、ハームへの距離を詰める。

 ハームの胴体目掛けて刃を構え、大きく振るった。


「少し手こずったが、これで終わり……」


「君の方がね」


 切断したばかりのハームの右腕が、一瞬で元に戻っていた。

 悪魔の再生能力が高い。

 マナさえ充分にあれば、腕の一本を一瞬で再生するくらい、なんてことはないのだ。


 ハームの右腕が、俺の頭を掴んで地面へと叩き付けた。


「ヒ、ヒヒヒヒヒ! 実力は多少マシだったけれど、所詮はガキだ! 油断したねぇ! ヒヒヒヒヒ!」


「うぐっ!」


 俺は顎先に〈魔循〉のマナを高めてガードし、ダメージを押さえた。


「ア、アイン!」

「アインさん!?」

「嘘……まさかアインが、敗れるなんて!」


 ギラン達が三方向からハームへ飛び込もうとした。

 ハームは俺の後頭部に手を押せたまま、背中に足を掛けた。


「おっと……ヒヒ、ストップだ。それ以上近づけば、この男の腰を踏み抜いて骨を潰して、二度と立つことさえできなくしてしまうよ、ヒヒ」


「ぐっ……!」


 ギラン達が足を止める。


「そう、それでいい。逃げるのも禁止だよ、ヒヒ」


「俺を、殺しはしないのか……?」


 普通こういう場合、身体の破壊など回り諄い真似をせずに、シンプルに俺の命を天秤に掛けてくるはずだ。

 思えばハームは対面時にも、『存在が露呈すればニンゲンを捕まえる機会が減る』と口にしていた。

 今さっきも、俺をどこかへ連れていこうと考えているかのような発言をしていた。

 マリエット達を殺さずに捕まえ、迷宮内に放置しながらも他の魔物に手出しをされないと確信していることと何か繋がりがあるのだろうか。


「随分と怯えているようだねぇ。ヒヒ、ああ、そうだ。君は殺しはしないよ。でも、ヒヒ、そうだねぇ、すぐに死んでいた方がマシだったと、そう思うようになる」


 ハームは俺へと顔を近づけ、ギラン達に聞こえないように小声で口にした。


「……何をするつもりだ?」


「ヒヒ、君達を、ある御方の許へと連れていく。僕も確かに残酷だけれど、あの御方のそれには遠く及ばない。いつの世だって、悪魔なんかよりニンゲンの方が、ずっと邪悪なものだ。僕達はただ本能に従って、君達を狩っているだけなのだからさ。可愛らしいものだと思わないかい?」


「人間が噛んでいるというのか?」


 それは、予想だにしていなかった。

 学院側の人間が噛んでいるのか?

 いや、いくらなんでも考えにくい。

 そんな噂はこれまで耳にしたこともなかった。


 俺の問いに、返答はなかった。

 しばしの沈黙の後、ハームは俺の顔を覗き込む。


「……随分と質問が好きだねぇ。なんか君、余裕ない?」


 悪魔は嘘吐きだ。

 それに俺達には情報が少なく、時間にそれほど余裕があるとも思えなかった。

 単純にハームを追い詰めても、突飛な嘘を真実だと言い張られてしまっては、それ以上は対応不可能に追い込まれる可能性もあった。

 だからハームが優位だと思い込んでいる間に、彼に語らせる必要があったのだ。


「だが、ここまでのようだな」


 俺はハームの手首を掴んだ。


「ン……? これは、何の真似……」


 一気に〈剛魔〉で膂力を強化する。

 ハームの腕越しに、彼の身体を振り乱した。


「なっ、なななな! なんだ、この、馬鹿力は……! 君、ニンゲンじゃない……! アガァ!」


 ハームの腕が引き千切れ、彼の身体が地面を転がった。

 ハームは膝を突いて起き上がりながら、自身の右肩を、逆の腕でがっちりと掴んでいた。

 怯えるように俺を睨みつけている。


 俺は軽く腕を振るう。


「思いの外、脆いんだな。もう少し威力を乗せてから地面に叩き付けるつもりだったが」


 しかし、人間の関与か……。

 あのタイミングで口にしたのだ、嘘ではないだろう。

 あまり腑に落ちてはいないが、大まかには背景が推察できる。

 どうやら想定していたよりも、ずっと大きな事件になっているらしい。

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