第72話

 俺はハームへと歩む。

 ハームは腕の千切れた右肩を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。


「なんだ、今の剛力……! それに、僕の攻撃を受けて何故そんなにも平然としていられる! 騎士見習いに扮して、〈金龍騎士〉でも交じっていたというのか? まさか、あの御方のことが既に露呈していたとでも?」


 俺は軽く剣を振った。

 ビュウと、刃が宙を斬る。

 刃はハームの一撃を防いだ際に罅が入っていたが、まだ使えそうだ。


「お前を捕まえるまでは持ちそうだ。その御方とやらのところへ、案内してもらうぞ」


 俺は刃の先をハームへと向ける。


「捕まえる? ヒヒ、この僕を、捕まえるだって? 随分と余裕があるんだねぇ。殺さず無力化するのは、殺すよりも遥かに難しいのだと、理解しているのかい? 特に僕みたいな、頑丈な悪魔相手にはね」


 ハームは笑い声を上げた後、俺を睨みつけた。


「やれるものならやってみるがいい! 僕はねぇ、騎士って人種が一番嫌いなんだよ! 建前ばかり並べて、有りもしない騎士道精神なんてものを持っているごっこ遊びをする。なんて薄ら寒い! 君達さぁ、気色悪いんだよ! 高潔振りやがって! ニンゲンの中でも一番理解できない奴らだ」


「俺も正式な騎士ではないから、知ったようなことは言えない。与えられていた任務を、ただ任務だからと熟しているだけだった。そこにそれ以上の意味を求めてはいなかった」


 そんな日々に疑問を感じたからこそ、こうして〈幻龍騎士〉を抜けて学院に来たのだ。

 人生を懸けて騎士を目指そうとする生徒達の意志や、貴族の建前と自身の本音に翻弄されながら自分の在り方を模索する者達を見て、むしろ〈幻龍騎士〉にいた頃よりも騎士への理解がずっと深まったように思う。

 だからこそ、いい加減な暴言を並べ立てる悪魔が、如何に薄っぺらい存在なのかがよくわかった。


「何かを成すために、誰かを守るために、苦しみながら高潔であろうとすること、それ自体が高潔なのだ。悪魔は何体か見たことがあるが、今思えばどいつも、世の真理を突いているような口振りで、的外れなことばかり宣う。お前達は本当に、人間の心というものが一切理解できないのだろうな。哀れな生き物だ」


「ニンゲン如きが、僕を哀れむんじゃあない! 多少〈魔循〉の守りがあるとは言え、ニンゲンは脆い! 内臓一つ潰れればそれでお終いさ。まさか片腕もいだくらいで、勝った気になっているんじゃないだろうねぇ!」


 ハームの右肩が震え、千切れていた腕が再生する。

 ばかりか身体全身が激しく震え、膨らみ、二十近い数の長い腕が伸びる。

 最初から異形の魔人であったハームは、ここに来て人を模しているのかどうかさえ怪しい化け物へと変貌した。


「な、なんですの、あの気味の悪い姿……!」


 ヘレーナが口許を手で覆った。


「僕は、あの御方が造った悪魔だ! 圧倒的な身体能力に、君達ニンゲンをも凌ぐ頭脳! だが、それだけじゃあない! 僕の再生速度と変異性は、自然発生の悪魔なんかとは桁違いなんだよ!」


「じ、人造の魔物……それも、特殊な力を持った悪魔だァ? んなもんがあり得るのか?」


 ギランが顔を蒼くして、そう口にした。


「有り得ない。魔物を造ることのできるニンゲンなど、俺も両手で数えられる程しか知らない」


「……結構ご存知なんですね」


 ルルリアが引き攣った表情でそう零した。


 ここアディア王国を含む周辺各国で禁忌とされている。

 危険思想の錬金術師が個人で行っているケースもあるが、国主導で秘密裏に行っているところも多い。

 因みにネティア枢機卿もその内の一人である。


「そっちの三人は、君より遥かに弱いんだろう? 君がいくら速かろうと、力が強かろうと、この手数の前にはそんなものは関係ない! マナがある限り無尽蔵に身体を造り出せる僕と、負傷すればそれまでのニンゲンでは、覆しようのない差がある。ニンゲンの範疇では、たった一人じゃ僕には絶対に勝てないんだよ! ヒヒ……ヒヒヒヒ! 僕の腕が尽きるまで斬ってみるかい? できるわけがないけどね!」


 ハームが飛び掛かってくる。

 俺は〈装魔〉で、壊れかかっている武器にマナを伝わせて強化し、床を蹴って前方へと飛び、彼の横を通り抜けた。


 ハームの長い腕、十八本。

 それらが全て、バラバラと床へと落ちた。


「……はい?」


 ハームが間抜けな声を上げる。

 それから慌てて、背後に立つ俺へと振り返る。


「い、今の刹那に、僕の腕を全て切り落としたというのか!? 嘘だ、有り得ない! こんなの、ニンゲンじゃな……」


 振り返った衝撃で、切断していたハームの首が地面へと落ちた。

 頭部を失った身体が力を失い、膝を折って地面へと倒れた。


 俺の剣の刃が、中央で真っ二つにへし折れた。

 マナを伝わせて強化していたのだが、既に罅が入っていたこともあって耐えられなかったらしい。

 俺は折れた刃へ目を向け、溜め息を吐いた。


「まあ、まだ使えないことはないか」


 また買い替えなければいけなくなってしまった。

 学院では悪目立ちするわけにはいかなかったし、訓練と低ランク魔物の討伐くらいしか行わないだろうと踏んでいたので市販品の中でも安価なものを使っていた。

 だが、こうなると多少値の張るものを選んだ方がいいかもしれない。


「結構強そうな悪魔でしたけれど、蓋を開けてみればアインさんの圧勝でしたね……」


 ルルリアが、転がった悪魔の頭部を見下ろす。


「……俺はもう、アイン絡みじゃ何があってもビビらねえぞ」


 ギランがぽつりとそう呟いた。


 俺はハームの道化帽子の先端を引っ張り、頭部を持ち上げた。

 装飾に見えるが、本体の一部であるためくっ付いているのだ。

 

「ヒ、ヒヒ……ヒィ!」


 身体を再生するマナももう残っていないように見える。

 仮にブラフであったとしても即座に対応できるが。


「さて、あの御方とやらの許まで案内してもらうぞ。この迷宮の中にいるのか、この迷宮がどこかに繋がっているのかは知らないが、そこにマリエット達がいるのだろう?」


 悪魔が嘘吐きなのを危惧していたが、ハームがペラペラと喋ってくれたおかげで、ある程度は事情を把握することができた。

 相手の言葉を全て信じなければならなかったさっきまでとは状況が違う。

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