第70話
地下一階層、地下二階層の探索を終え、俺達は一度集まり直して、四人で地下三階層への階段を降りていた。
「やはり低階層にはいなかったか。ここからが本番だな」
「……なんで迷宮中、高速で飛び回ってたアインが一番疲れてねえんだ?」
ギランが肩で息をしながら口にする。
「さすがに俺も少し疲れた。ただ、あまり顔に出ないだけだ」
「……少し、ですか」
ルルリアがやや引き攣った顔でそう言った。
「ただ、ここからは危なすぎるな。一階層、二階層と同じように動き回るのは避けた方がいい。三人は入口近辺を当たってくれ。俺は奥を捜索して、一通り見てから戻ってくる」
地下三階層からは
群れる魔物ではないが、運が悪ければ他の魔物から横槍を入れられることもある。
そこに
かなり慎重に動いてもらわなければ、運が悪ければルルリア達三人の身が危ない。
「悪魔が地下一階層か地下二階層にいるならば、自分の存在が露呈したことに対して学院側がどのような動きを取って来るのかの偵察、或いは人質を用いた交渉、それを匂わせての騙し討ちが目的だと仮定していた」
凶悪な悪魔とて、人間に存在が露呈することは好ましくない。
所詮単体の魔物である。
人間が組織ぐるみで対処に当たれば、いずれは命を落とすことになる。
今回の件も、学院側は悪魔を討伐するまで学院迷宮を封鎖し、教師を送って悪魔の討伐を試みるはずだ。
仮に教師で戦力不足と見れば、騎士団の手を借りることもあるだろう。
最終的にどれだけの被害になるかはわからないが、存在が露呈した時点でいずれは討伐できるはずの相手ではあるのだ。
悪魔もまた、学院側の動きに対して何らかの対策を行ってくることは間違いなかった。
「地下五階層以降に潜ったのならば、それは自身の姿を晦ますためだ。地下五階層は、騎士団の調査もあまり進んでいないという。悪魔がそこに隠れ続ければ、短期で決着を付けるのは困難になる」
解決しなければ、長期的な学院迷宮の閉鎖も考えられる。
世界の奥底にある巨大なマナの流れ、〈深淵〉。
そこで特定の条件が重なったときのみ、高い知性を有する魔物、悪魔が現れるとされている。
悪魔はそれだけ稀少であり、危険な存在であるのだ。
「じゃあよ、地下三、四階層にいたらどういう狙いだとアインは思うんだよ」
「それは……」
俺が答えるより先に、通路の先から声がした。
「ヒッ、ヒヒ……それは勿論、迷宮探索で疲弊したニンゲンを狙って攻撃するためだよ。僕の存在が明るみになれば、ニンゲンを捕える機会が減ってしまう。今のウチに、数を狩っておかないとね」
甲高い、奇妙な声だった。
声に続き、腕の異様に長い、道化を模したような化け物が現れた。
道化服らしきものは身体の一部らしく、一体化しているようだった。
表情からは一切の感情が窺えない。
顔というより、人間の顔を模しただけのただの飾りのようだ。
どうやら件の悪魔らしい。
ギラン達が一斉に道化姿の悪魔へと剣を構える。
「こっ、こいつが、推定
「悪魔……とは、失礼だね、ヒ、ヒヒ、そんなまるで、知性のない獣でも呼ぶかのような言い様。君達は、友人を『ニンゲン』と呼ぶのかい? 僕はハーム、〈害意のハーム〉さ。親しみを込めて、そう呼んでおくれよ、ヒヒ。僕達悪魔は、最もニンゲンに近しい魔物なんだから」
「マ、マリエットさんとミシェルさんの姿がありません! あの二人をどうしたんですか!」
ルルリアが道化姿の悪魔、ハームへと叫ぶ。
「マリエット……ミシェル……? ああ、あの二人の子のことかな?」
ハームは無機質な顔の大きな口の両端を吊り上げ、笑みを作った。
長い腕を曲げ、指を口の中に入れ、涎を垂れ流しながらしゃぶり始める。
「ああ、おいし、美味しかったなぁ、本当に! 死にたくない、死にたくなぁい! 助けて、助けてぇって! そういうこの世への未練がたっぷりな子が、一番美味しい! 美味しい! 美味しいいい! 僕達はねぇ、ニンゲンを食べても、そのニンゲンの肉を味わうわけじゃない。生きたまま噛んでバラバラにしてねぇ、その苦痛と嘆きを楽しむんだよ。僕はね、ヒヒ、美食家なんだ!」
ハームが狂ったように笑い始める。
「う、嘘……そんな……」
ルルリアの声が震える。
「嘘なものか! ああ、心外だ! ヒヒヒ! 僕達悪魔は、穢れたニンゲンと違って純粋でねぇ。言葉足らずで誤解を招くようなことはあっても、絶対に嘘を吐いたりしないのさ。ああ、ああ、楽しみだ! 君達の中で、一番美味しいのは誰かなぁぁああ!」
「絶対に許しません……! 騎士を志す者として、マリエットさん達の友人として、貴方を殺してみせます!」
ルルリアが怒りに顔を赤くし、ハームへ剣を向けながら前に出る。
俺はそれを手で制した。
「落ち着け、ルルリア。この悪魔は俺が生け捕りにする」
ルルリアは疎か、ギランでもまだハームの相手は早い。
魔物のランクは、規模や膂力、マナの保有量に則ったものでしかない。
変わった性質と高い知性を有する悪魔は、推定ランク以上に厄介なはずだ。
「どうしてアインさんは、落ち着いていられるんですか! マリエットさんとミシェルさんが、殺されて……!」
「悪魔の嘘だ。そのお陰で、むしろ二人の無事が保障された」
ハームの身体がぴくりと震えた。
「ほ、本当ですか、アインさん……?」
「ヒヒ、ヒ、都合のいい方にしか考えられないのは、ニンゲンの大きな欠陥だよ。ヒヒ、僕ら悪魔からしてみれば、ニンゲンの脳は余計な機能が多すぎて、お粗末な劣化品……。薄っぺらい心を守るために、有りもしないでっち上げを頭の中に作り出し、そうであるはずだと信じ込む。結局はそれが、自分をより惨めにするだけだと知りもせずにね。ああ、ああ、なんて滑稽な……」
「悪魔に嘘を吐かない、なんて性質はない。わざわざそんなくだらない嘘を吐くのは、その先に言った言葉も嘘だったと自白したようなものだ」
恐らくハームは、俺達が騎士見習いだと見て、悪魔と実際に対峙したことのある者はいないと判断したのだ。
悪魔は稀少な魔物だ。
この国の童話や教訓話にも悪魔が度々登場するのだが、その恐ろしさと珍しさからか、勝手な設定が付与されていることがある。
嘘を吐かないだとか、人間との契約を必ず守るだとか、そういった類のものだ。
ハームはそれに便乗して、俺達を騙そうとしたのだ。
ハームがわざわざ『言葉足らずで誤解を招くことはあっても』と付け足したのは、悪魔が狡猾で冒険者や騎士を欺いて騙し討ちすることが広く知られているため、その帳尻を合わせようとしたのだろう。
「ヒ、ヒヒ……この期に及んで、都合のいい話ばかり。どこからそんな嘘が出てきたのかな? これだからニンゲンは。ああ、そうかい、お友達が僕を恐れて士気を下げないように、気を遣ってそんなことを言っているんだね。よくそんな残酷なことができるねぇ、ヒヒ」
ハームはこの期に及んで揺さぶりを掛けに来た。
「俺は何体も悪魔を狩ったことがある。例外なく残酷でずる賢く、そして嘘吐きだった。本当にハームがマリエット達を噛み殺していれば、間違いなく俺達の前に惨死体を用意していただろう」
ハームは首を奇妙な動きで回して、俺達の表情を窺う。
その後、細長い不気味な指先を天井へ向け、わなわなと肩を震わせていた。
悪魔は人間の負の側面に近い性質を有する。
特に嗜虐心と自尊心が突出している。
要するに、意地悪でプライドが高い。
全く嘘が通用しなかったことに腹を立てているようだった。
「なるほど……ヒヒ、気に喰わないガキだ。騎士見習いの分際で、よく吠えてくれる」
ハームがゴキリと首を鳴らし、俺を睨み付ける。
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