第69話

 学院迷宮ことレーダンテ地下迷宮へと潜った。

 頼まれていた見張りに誰も残らないのは申し訳ないが、元々受付の人も、俺達が見つからなければそのまま見張りは置かずに教師らを呼びに行くつもりだったようだった。


 実際、わざわざ午後の遅いこの時刻より、それも教師らが戻ってくるまでの短時間に、学院迷宮に受付不在を無視して入り込む生徒が偶然現れるとは思い難い。


「……非常事態を知った上で、受付記録無しで学院迷宮に入り込んだのって、やっぱりかなりまずかったりしないかしら? これでもし退学になったら、父様にブチ殺されますわ……」


 ヘレーナが表情を歪めてそう零す。


「今更んなことグダグダ言い出すんじゃねぇぞヘレーナ! 嫌ならとっとと一人で戻って、見張りでもやってやがれ!」


「戻りませんわよ別に! ……ちょ、ちょっと、不安になっただけですわ」


 ヘレーナが小声でそう言い訳する。

 ヘレーナは騎士になれなければ、騎士の父親が死んだ際に平民扱いになってしまう。


 ヘレーナが騎士になれる見込みを失った時点で、彼女の家名は滅ぶことがほぼ確定してしまう。

 そうなった時点で実質取り潰しの扱いを受けるはずだ。

 そのためヘレーナの父親も、彼女が騎士になることを熱望しているに違いない。

 今になって迷いが出てきてしまうのも、また仕方のないことかもしれない。


「大きな問題になる前にさくっと片付けば一番いいんだがな。後は学院長と受付の人に頭を下げて、どうにか口裏を合わせてもらうか、だな」


「そ、そうよね! アインだっているんですもの、すぐに片付きますわよね? ね?」


「期待させて悪いんだが、相手が人質を取って広大な迷宮に隠れている上に、時間制限まであるとなるとな。俺も一人ですぐに片付きそうにないと判断したから、同行してもらうことにしたんだ」


「……そりゃそうなるわよね」


 ヘレーナががっくりと肩を落とす。


「捜索も人質救助も、俺はあまり得意でなくてな。こういうのは〈名も無き三号ドライ〉が得意だった」


「ドライ……?」


 ギランが目を細める。


「俺の知人だ。彼女は戦闘面はやや苦手だが、捜索や人質救助が得意でな。この学院迷宮くらいの規模なら、感知魔術と転移魔術を駆使して、階層内の魔物の数と座標を一分程度で把握できるはずだ」


 もっとも戦闘面が苦手と言っても、それは〈名も無き三号ドライ〉の攻撃魔術が速さと規模に欠けるというだけだ。

 防御と逃げに徹した彼女に決定打を与えるのはほぼ不可能だ。

 実際に俺と彼女が戦えば、恐らく千日手になる。


「んな化け物が知人にいるのかよ……。じょ、冗談だよな? んな奴がいたら、有名人になってねぇとおかしいと思うんだが。実在すんなら会ってみてぇけどよ」


 俺は〈名も無き三号ドライ〉のような便利な魔術は有していない。

 残念ながら自分の足で捜すしかない。


 悪魔が地下一階層にいるとは考えにくい。

 悪魔は賢い。

 生徒を逃がした時点で、学院側が討伐と救助に向かうのはわかっているはずだ。


 悪魔とて、人間から本気で目を付けられれば、命の危機がある。

 迷宮深くに潜り、討伐に出てきた人間が疲弊するのを狙ってくる可能性が高い。


 だが、それは、あくまで可能性だ。

 絶対でない限り、見逃がしを警戒して階層ごとにある程度全体を確認しておくべきだろう。


「修羅蜈蚣討伐の際、通った経路は覚えているか? 三人でそこを移動して、地下二階層への階段まで向かってくれ。俺はそこ以外の、地下一階層内の経路を軽く調べておく。悪魔が出てきたときは、絶対に交戦せず、走って逃げて大声を出してくれ。マリエット達だけを見掛けても、安易に近づかずにまず俺を呼んでほしい。悪魔の罠の恐れがある」


 ギランが突っ走りそうだが、そこはどうにかルルリアとヘレーナに押さえ込んでもらうしかない。

 少し過保護なようだが、今回の騒動は本来、騎士見習いを同行させていいようなレベルの事態ではない。

 気を付け過ぎているくらいで丁度いい。


「えっと……私達が最短に近いルートで地下一階層を抜けている間に、アインさん一人で他の道を見てくるってことですか?」


 ルルリアが困惑したように話す。


「さすがに見縊り過ぎだぜアイン。ルルリアは〈魔循〉が苦手だが、入学当初程致命的な弱点ってわけでもなくなっただろ? 第一大まかとはいえ、階層内全体を確かめるなんて、いくら時間があっても足りやしねぇぜ」


「事態が事態だから、久々に本気を出す。ギラン達も急ぎつつ、気になったことがあったら後で報告してくれ」


 俺は通路の先へと顔を向け、息を深く吸って意識を集中する。

 目を見開き、〈剛魔〉で膂力を強化して地面を蹴り、その刹那に〈軽魔〉へと切り替えて移動速度と距離を稼ぐ。

 膝を軽く曲げながら壁に足を付け、再び〈剛魔〉と〈軽魔〉を用いて自身の身体を斜め前方へと打ち出す。


 左右の壁が狭い迷宮内では、マナの消耗を度外視するのであればこれが一番速い。

 上手く〈軽魔〉と膝関節を用いれば音を殺すことができるため、足音から逃げられる危険も低い。

 もっとも悪魔はマナで人間を感知できるため完全に接近を隠すことはできないが、少なくとも『大きな音が連続しているため危ないものがくるかもしれない』と危機感を抱かせることはない。


「また、地下二階層への階段で会おう」


 俺は軽く振り返り、三人へとそう叫んだ。


 ルルリア達は、口をぽかんと開けて俺の背を見ていた。

 ギランが慌てて、俺とは別の道を指で示した。


「は、早く行くぞ! 遅れて足引っ張るわけにはいかねぇんだからよ!」

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