第65話

 マリエット達は学院迷宮の地下三階層まで進み、そこでバグベアという魔物と対峙していた。

 狼鬼級レベル3の魔物であり、黒い毛むくじゃらの毛皮と、硬い爪、そして高い俊敏性を持った単眼の鬼である。

 バグベアの毛は硬質で、毛皮越しに傷つけることは困難である。


 マリエットは下がり、ミシェルとロゼッタが前面に立ってバグベアと戦っていた。

 ミシェルは自身の小さな体躯を活かし、バグベアの死角へ潜りながら剣を振るう。

 ロゼッタはミシェルに気が取られがちなバグベアの隙を突いて剣を振るう。


 一見互角の形勢を保っているが、実態は異なる。

 ミシェルとロゼッタはバグベアの素早い一撃を受ければ致命打となりかねない。

 しかし、二人にはバグベアの厚い毛皮を貫通する術はない。

 おまけに形勢有利を取って、ようやく互角の状態なのだ。

 少しでも二人の連携が乱れれば、そこから一気に崩される。


「グモォッ!」


 焦れたバグベアが、大きく腕を振るう。


「今ですのマリエット様!」


 ミシェルはバグベアの側部へと回り込む。

 バグベアの正面が空いた。その隙を突いて、マリエットが地面を蹴って跳び込んだ。


 マリエットの刃が迫る。

 だが、バグベアは足を振り上げてロゼッタを牽制しつつ、マリエットの刃を爪で防いだ。


「グモモ……」


 バグベアが奇怪な声を上げる。

 笑っているかのようであった。


 狼鬼級レベル3の魔物は、騎士でも気を抜けば殺されかねないような相手である。

 頭数頼みの学生の攻撃で、そう容易く仕留められるような魔物ではない。


「刃はフェイクよ」


 マリエットは左手に宿した魔力の爪で、バグベアの単眼を引き裂いた。


「グモォッ!」


 バグベアの単眼から血を噴き出し、その身体が床に倒れた。


 バグベアの毛皮を斬るのは困難である。

 大きく開いた単眼が、最大の弱点であった。

 マリエットは長い剣をフェイントに用いて、短く小回りの利く〈魔獣爪〉の魔技で仕留めたのだ。


 指先で操る五本の刃は、動きも長さも自由自在。

 相手の弱点を突くのに適していた。


 ミシェルは戦いが終わったのを確認し、安堵の息を吐きながら剣を鞘へと戻した。


「さすがマリエット様ですの! マリエット様に掛かれば、バグベアなんて敵ではありませんの!」


 そのとき、ロゼッタがよろめいて膝を突き、剣を床に転がした。


「マ、マリエット様ぁ……私、もう、疲れました……。きょ、今日は引き上げませんか……? 身体もそうですが、あんな速い魔物との戦闘は、凄く精神を消耗すると言いますか……」


「騎士見習いが、そう簡単に剣を手放すものではないわよ」


「うう……で、でももう本当、限界なんです……。足とかも、すっごくパンパンで……」


「……仕方がないわね。無理をして大怪我されても仕方ないわ。人数も、無理があったかもしれないわね。この人数だと、個々の負担が大きすぎる」


 マリエットはそこまで言って、ミシェルへちらりと目をやった。


「ミシェルも口にはしないけど、かなり疲労が来ているみたいだし。ロゼッタ程正直になれとは言わないけれど、貴女もあまり無茶はしないで頂戴。私の右腕なんだから、怪我をされれば損失よ」


「マ、マリエット様……すいません」


 ミシェルがやや照れたように頭を掻く。

 実際、ミシェルの体力の限界が近いことも事実であった。

 バグベアは、気軽にそう連戦できる魔物ではない。


 地下三階層を満足に探索するには、もっと大人数で、個々の負担を軽くする必要があると、マリエットはそう考えた。


「体力がなくって、申し訳ないです、マリエット様。マリエット様が想い人のためにハートの魔石が欲しい気持ちはわかりますし、応援はしてあげたいんですけど……」


「だ、だから、わかりやすい実績作りのためだって口にしているでしょう! ロゼッタ、貴女は、本当に余計なお喋りが大好きなようね! 私の婚姻相手は卒業すれば親がその時の情勢に合った相手を見繕ってくるし、私に変な噂が付き纏いかねないような真似をするわけにもいかないのよ!」


 マリエットが顔を赤くし、怒ったように口にする。


「ご、ごめんなさいマリエット様、もう言いませんから……!」


「まったく……本当にどの子も、口を開けば色恋ごとばかり……! 私達は、この国を支える騎士の見習いなのよ。もう少し自覚を持ちなさい」


 ミシェルは腑に落ちないといった顔を浮かべていたが、マリエットに睨まれて慌てて表情を取り繕った。


 そのとき、三人へと近づく足音があった。

 マリエットが素早く剣を抜き、それに続いて後ろの二人も武器を構える。


「例の魔石は見つからないのに、魔物ばかり出てくるのね……。狼鬼級レベル3じゃないといいけれど。貴女達、前衛は疲れたでしょう? 私も前に出るわ」


 マリエットが下がって確実に隙を突いた方が効率はいいが、既にミシェルとロゼッタは疲弊しつつあった。


「本当ですか!? いやぁ、嬉しいですぅ。さすがマリエット様」


「ロゼッタ……遠慮ってものがありませんのね」


 ミシェルが苦々しげに零す。


 曲がり角の先から、明らかに異質な化け物が姿を現した。

 三人はやや気が緩んでいたが、その化け物を見た瞬間、一気に表情が凍り付いた。


 それは、異様に細長い腕や脚をしていた。

 首には捻じれた痕があり、横に倒されている。

 カラフルな衣装と融合したかのような異様な胴体。

 先が二つに分かれた帽子を被っている。


 口は大きく裂けており、目は生気がない。

 まるで服のボタンでも取り付けているかのようだった。


 一言で言えば、それは子供の作った道化のぬいぐるみのような姿をしていた。


「よ、よよ、ようこそ、ようこそ……。僕はハーム、〈害意のハーム〉。ヒッ、ヒヒ、お嬢さん達、僕の作る、ハートの魔石が欲しかったのかな?」


 甲高い声が迷宮内に走る。


「悪魔……」


 マリエットはぽつりとそう零した。


 悪魔とは、瘴気より生じる魔物の一体である。

 その姿は千差万別だが、共通する特徴としては、子供の見る悪夢のような姿をしている。

 人語を介し、瘴気の扱いに長けている。


 そして高い知性を有するが故に、迷宮内の階層を頻繁に跨いで自在に歩き回る。

 だが、人間より警戒されないようにその姿を隠し、目立つ行動を避けるのだといわれている。


 悪魔の危険度は個体によって異なる。

 だが、マリエットは、その姿を見ただけで理解した。

 相手は狼鬼級レベル3なんて甘い魔物ではない。

 明らかに大鬼級レベル4以上である。

 おまけに悪魔は高い知性やトリッキーな性質を有しているため、同ランクの魔物よりも遥かに凶悪である。

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