第62話

 ギランはカプリスに対し、万全の地の利を得ている。

 力を乗せやすく、攻撃しやすい上を取り、かつカプリスの態勢が不完全なところを叩けている。


 加えてカプリスは片手持ちである。

 ギランはこの一打に全てを懸けているらしく、長くは持続できない〈羅刹鎧らせつよろい〉を用いて膂力を強化している。


 圧倒的にギランが有利な状態ではあった。

 だが、相手は入学試験で過去最高点を叩き出したカプリスである。


 ギランの刃と、カプリスの刃は拮抗していた。


「ここまでやっても、届かねえのかよ……!」


「有り得ぬ……。この男もまた、片手とはいえ余の膂力に匹敵する力を出せるというのか?」


 ギランとカプリス、両者共に苦悶の表情を浮かべていた。


「舐め腐られたまま、負けて終われるかよ……!」


 ギランの腕の筋肉が膨張する。

〈剛魔〉を最大まで使っているらしい。


 カプリスもまた〈剛魔〉を用いているらしく、腕に力が漲っている。

 ただ、カプリスは意地でも片手しか使わないつもりのようであった。

 ギランを凡人と嘲り大見得を切った手前、対等に戦うつもりはないらしい。


「だが、このままカプリスが片手で戦うつもりならば、ギランが押し切れる……!」


「言ってる場合ですかアインさん! あっ、あれ、止めた方がいいですよ絶対!」


 ルルリアは慌てふためいた様子で俺へと声を掛ける。


「しかし、両者が乗り気であるのならば、真剣勝負にあまり水を差すわけには……」


「人前で王子に大怪我負わせたら、前の時のようにはいきませんわよ! それにギランの馬鹿、手加減とか寸止めとか、器用なことが苦手ですもの!」


 確かに俺は、厄介事でしかないカプリスとは極力接触しない方針である。

 それは今でも変わらない。


 だが、俺はこれまで〈幻龍騎士〉として大きな使命を負って戦っていたが、そこには俺個人の夢や目標は存在していなかった。

 この学院に来たのは平穏に学院生活を享受するためだったが、それは既に叶いつつある。

 ギランのように、自分の全てを賭して挑めるような、そんな大きな目標を有してはいないのだ。

 だからこそ、友人が本気で挑んでいることは、応援して見守っていたいと思っている。


「二人共活き活きとしているし、水を差さないでやらないか?」


「時と状況によりますわ! アイン、ギランにちょっと甘いんじゃなくって! しっかりしてくださいませ! あの凶犬、アインの言うことしか聞きませんのよ!」


 ヘレーナが顔を赤くして腕を振る。


「私も、さすがに止めた方がいいかなと」


 ルルリアも控えめにそう口にした。


「そ、そうか……。わかった、二人がそう言うのなら……」


 思いの外ルルリアとヘレーナから反発を受けた。

 目標を尊重したいとは思っていたが、それにもやはり限度があるらしい。

 俺とはあまり縁のないものだったので、必要以上に神聖視してしまっていたかもしれない。


 俺が止めようと前を向いたとき、ギランの〈羅刹鎧らせつよろい〉が赤の輝きを増した。

 ギランの剣が、カプリスの剣を押した。

 押し勝ったのは、ギランだった。


「くらいやがれカプリス!」


「押し切られはせんぞっ!」


 そのとき、カプリスは片手持ちから両手持ちへと切り替えた。

 カプリスの剣はギランの剣を押し留め、そのまま勢いよく弾き飛ばした。

 ギランの身体が横に吹き飛ばされる。


「うがァッ!」


羅刹鎧らせつよろい〉に巻き込まれた机や椅子が倒れ、破損していく。


 ギランの身体が壁に叩き付けられる前に、トーマスが前に割り込んでいた。

 トーマスはギランの身体を抱き留め、壁に背を軽く打ち付けた。

 ギランの身体から、〈羅刹鎧らせつよろい〉の輝きが消える。


「そこまでだ。お前ら、教師の前で何てことしやがる」


 トーマスがギランの身体から手を放す。

 ギランは力を出し切ったらしく、その場に力なく膝を突いた。

 息を荒げながら、カプリスを睨む。


「チッ……どこまで馬鹿力なんだ……。あれだけやっても、届かねえのかよ……」


「両手も魔技も使わされるとは。だが、剣技も〈魔循〉も、魔技を用いた一発技も、この余には遠く及ばぬ。余の敵ではない」


 カプリスは鼻を鳴らし、剣を鞘へと戻す。


「次は最初から両手で相手をしてやる。必死に研鑽を積むがいい、ギラン・ギルフォード。そのときも今程度の未熟な技量であれば、つまらぬぞ」


 ギランは目を開き、カプリスを見る。


 カプリスはこれまで、ギランとの戦いを面倒だと口にしていた。

 だが、今の発言は、またギランと戦うという意思表明であった。

 荒い言い方ではあるが、カプリスが初めてギランを認めた言葉であった。

 

「……二人共、個人成績とクラス点へのペナルティは覚悟しろよ。下手したら寮への謹慎もあるからな」


 トーマスが呆れたように口にする。


「ほう? 教師如きが、余の行動を咎めるか」


「生徒の喧嘩くらい俺個人としては見逃してやりたいんだが、そんな真似すりゃ他の生徒と教師から突つかれるんでな。それに、上級貴族相手にぺこぺこと頭下げてるだけじゃ、ここの学院の教師は務まらない。王子といえど、校則を軽んじた言動を見逃すわけにはいかん」


 トーマスとカプリスはしばし睨み合っていたが、カプリスは鼻で笑って表情を崩した。


「フン、好きにするがいい。余は成績もクラス点も、寮への謹慎もどうでもよい。それとも、この余を退学にしてみるか? 父上はさぞお怒りになるだろうがな。フッ、トーマスよ、余は、余の好きにやらせてもらうぞ」


 カプリスがそう言い放ってトーマスに背を向けようとしたとき、シーケルが勢いよくトーマスへと頭を下げた。

 土下座しかねない勢いだったので、周囲の生徒から身体を押さえられて止められていた。


「申し訳ございません、トーマス先生……! カプリス様の失礼をお詫びいたします。カプリス様は天邪鬼でして、規則や建前があまり好きではなくて、少しムキになっているだけなんです。カプリス様が校則を軽んじて学院の格調を下げるような真似をしないよう、私も全力を尽くします」


「止めよシーケル!」


 カプリスが怒鳴り声を上げる。

 内心を知ったように語られたことへの怒りか、本心を突かれたことへの気恥ずかしさか、色白の顔が赤くなっていた。


「カプリス様は個人の成績はあまり気にしないので、クラス点の方にペナルティを課すのはいい考えだと思います。カプリス様は強がってこそいますが、自分の我が儘で周囲の足を引っ張り続けるのは、さすがに好ましくないと考えているはずですので。他生徒からの反発があるかもしれませんが、彼らへの説得は私も尽力いたしますから!」


 カプリスは憎々しげにシーケルを睨んだ後、足音を大きく鳴らして教室から出ていった。

 シーケルはカプリスの背を見て満足げに笑みを漏らした後、トーマスへと一礼して素早く彼の後を追い掛けていった。


「……俺も助かってはいるんだが、あの子はあの子でなんか怖いな」


 トーマスはシーケルの背を眺めながら、そう呟いた。


 ギランは制服の埃を払いながら立ち上がる。


「本当に傍迷惑な自信家ヤローだぜ。次があったら、そんときこそぶっ飛ばしてやらァ」


 ギランの言葉に、ヘレーナが目を細める。


「……再戦を匂わされて、ちょっと嬉しそうでしたわね。ギランがカプリスに敵意を向けていたのって、眼中にない扱いされて拗ねてただけじゃなくって?」


「あァ!?」


 ギランに睨まれ、ヘレーナがびくりと肩を震わせる。


 ひとまずカプリスは、これでしばらくは大人しくなりそうな様子であった。

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