第61話

 放課後、教室の扉が勢いよく開かれた。

 現れた〈狂王子カプリス〉であった。


 カプリスは昨日の怪我がまだ癒えておらず、顔中包帯だらけになっていた。

 右眼が包帯に隠れており、ぎょろりとした左眼が教室中を見回す。

 明らかにただごとでない様子の乱入者の出現に、〈Eクラス〉中がざわついていた。

 

「アインはどこだ! アインを出せ!」


 担任のトーマスは、私室で害虫を見つけたような目を、この国の第三王子へと向ける。


 カプリスは俺を見つけると、素早く剣を抜いて床を叩いた。

 床に罅が入り、教室内に悲鳴が上がった。


「見つけたぞアイン! 余と戦え……」


 俺の横に立っていた、銀髪の女生徒がカプリスの前へと出る。


「すいません、〈Eクラス〉の方々! また王子がご迷惑を……! すぐに連れ出しますので!」


 カプリスと同じ〈Aクラス〉の生徒、シーケルである。

 シーケルは四方八方へと、深くぺこぺこと頭を下げる。

 見ているこっちが憐れになってくる勢いであった。


「シッ、シーケル! 何故ここにいる!」


 カプリスの顔が蒼褪める。


 シーケルは、カプリスが〈Eクラス〉に乗り込んでくることを見越していたらしく、授業を早退してこっちで待機してくれていたのだ。

 トーマスは彼女の話を聞いて半信半疑の様子であったが、結局シーケルの言う通りになった。


「すいません、皆様方……! 特にギランさん達には、〈太陽神の日〉に学院迷宮でご迷惑をお掛けしたと窺っております! なんとお詫びしたらよろしいものか!」


「余の保護者面をするなシーケル! おい、止めろ! 頭を下げるなといつも言っているであろうが!」


 カプリスが苛立ったように叫ぶ。

 

 カプリスの傍若無人ぶりを止められるのは、シーケルだけだ。

 彼女が来てくれていてよかった。

 カプリスは王家であるため下手に手出しをできない上に、異様に頑丈なのでちょっとやそっとのダメージではすぐに起き上がってくる。

 確かに〈魔循〉のお陰でまともに怪我を負ったことがないと豪語していただけのことはある。


 おまけに外聞を一切気にせずに突っ込んでくるので、目を付けられたら最後、ほぼ打開策がない。

 ただ、シーケルだけは弱点のようなので、どうにか彼女にカプリスを止めてもらうしかない。


「シーケル貴様、必要以上に卑屈に出て余を貶めようとしているであろう! おい、止めろ! 土下座しようとするな! 頭を上げよ、おい、止めさせろ!」


 カプリスが必死に喚く。

〈Eクラス〉の女子生徒達がシーケルの許へと集まり、身体に手を触れて彼女の土下座を止め始める。

 起こされたシーケルは俺にだけ見えるように顔を上げた。

 口端を吊り上げ、悪い笑みを浮かべていた。


「すいません、これが一番、カプリス様には効果的ですので」


 小さな声で、シーケルが俺へと言う。

 俺は曖昧に頷いた。

 何にせよ、カプリスを連れ帰ってくれるのであればありがたい。

 

「チッ! もうよい! 余は寮へ向かうぞ!」


 カプリスが声を荒げてそう叫び、身を翻した。

 教室内全体に安堵の空気が広がる。


 そのとき、ギランが長机に足を乗せた。


「カプリス、待ちやがれ。俺も散々、テメェに虚仮にされて来た。帰路に一方的に襲撃されるわ、迷宮探索を妨害されるわ。その上、お前なんざに眼中はねぇっていう、その傲慢さが気に喰わねえ。アインへの用事が終わったっていうんなら、俺の相手をしてもらうぜ。昨日の怪我引き摺ってるくらい、ヤワじゃねえだろ?」


 ギランが剣の柄へと手を触れる。


「ギラン、さすがにそれはまずい。ここは教室内だ」


 ギランは権力を嵩に着た相手を嫌う傾向にある。

 これまでカプリスには、一方的に襲撃を仕掛けられてきていた。

 相手が王子だからと言って、下がってくれそうだからそれでよかった、とは思えないのだろう。

 ただ、それでも、カプリス相手に下手に関りを増やすべきではないと思うが……。


「先に室内で剣を抜いたのはあちらさんだろうがよ。おいカプリス、聞こえてんだろ! 俺と勝負しろ!」


「困りましたわ、ウチにも面倒臭い人間がいらっしゃったのを忘れていましたの」


 ヘレーナが疲れたように口にする。

 シーケルは、困り果てた顔でカプリスとギランを交互に見やる。


「あ、あの、あまりカプリス様を刺激しない方が……」


 シーケルがギランの説得を試みる。

 だが、ギランはシーケルを完全に無視している。


「諄いぞ、ギルフォード家。貴様如きでは、余の相手は務まらん。前に片腕で捌いてやったのを忘れたか? 元より余は、貴様に喧嘩を売ったつもりなどないのだから。余を誰だと心得ている? 道端の野良犬を蹴飛ばしたとして、それを咎められる謂れはない。二度目だ、ギルフォード家。余への不敬には、相応の対価をいただくぞ」


 カプリスがギランを睨み付ける。

 シーケルの奮闘によってぐだぐだになっていた場が、ピリついた、剣呑な空気に支配されていた。


 カプリスの言葉の後、教室内が静まり返った。

 誰もが場の成り行きを、ただ黙って見守っている。


「ハッ!」


 静寂を破ったのは、ギランの笑い声であった。


「テメエのその態度が気に入らねえ!」


 長机を蹴飛ばし、ギランがカプリスへと飛び掛かる。


「この状況で、ただの〈魔循〉か。〈軽魔〉さえ使い熟せぬ凡人が、この余に楯突くとは」


 カプリスは鼻で笑い、ギランへと片手で剣を構える。


「〈羅刹鎧らせつよろい〉!」


 ギランの身体が、赤い魔力の輝きに覆われていく。

 空中で速さを増した。


「俺には、あんなチマチマした魔技は必要ねえんだよ!」


 カプリスはギランの剣を、剣で防ごうとした。

 だが、ギランの身体はカプリスの横を駆け抜けて背後を取り、そのまま壁に足を付けて止まった。

 ギランの勢いで、教室の壁が足型に凹んだ。


「卑怯な真似を」


 カプリスが振り返りながら、剣を掲げる。

 ギランが一直線に攻めてくると思っていたので、予想が外れたのだろう。


 俺もギランの性格上、ああいった攻め方は珍しいように感じた。

 先の敗北が響いているのだろう。

 確かにカプリスは、生徒の中では間違いなく出鱈目な強さを有している。


「どうしたァ? アテが外れて、焦っちまったか?」


「いや、結構。凡人は知恵を絞り、策を練るものだ。しかし、余にそのようなものは不要! 全て纏めて叩き伏せてみせよう」


 ギランはカプリスの死角と上を取った。

 ギランは剣に体重を乗せやすい上に、カプリスはあの姿勢では力が入りにくく、狙える箇所も少ないため、自然と剣の変化の幅が狭まる。

 この位置取りは、圧倒的にギラン有利である。


「くらいやがれ馬鹿王子!」


 ギランが両手で剣を振り下ろす。

羅刹鎧らせつよろい〉の膂力強化が乗った渾身の一撃に対し、カプリスはあくまで片手持ちのままで対応した。

 両者の刃が衝突した。


「教えてやろう、ギルフォード家! 圧倒的な力の差というものを!」

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