第58話

 カプリスの取り巻きの二人に、ルルリア、ギラン、ヘレーナ。

 全員が押し黙ったまま、蒼褪めた表情で失神したカプリスを見つめていた。

 俺の額を、冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。


 やってしまった。

 怪我を負わせないようにどう切り抜けるか考えていたのに、まともにカプリスの顔面を剣の柄でぶん殴ってしまった。


 これなら適当に剣を弾くなりしておいた方がよかった。

 これ以上妙な執着を持たれないようにいい手はないかと余計なことを考えていたのがよくなかった。

 まさか、このタイミングで剣が折れるとは思っていなかったのだ。


「カ、カップリス様ー!」

「しっかりしてください! い、生きていますか!?」


 取り巻き二人が必死にカプリスの身体を揺らす。


「アインさん、これ、まずくないですか……?」


 寄ってきたルルリアが、泣きそうな目で俺を見る。

 俺は手許の剣の柄へと目線を下げる。

 カプリスの血がべったりと着いていた。


「まずいかもしれない」


「お、落ち着いて言っている場合じゃありませんわ! 一応あんなのでも王子ですのよ! あんなのでも! 向こうが悪いとは言え、正面から顔に大怪我を負わせた以上、どうなるか……」


 ヘレーナはそう言うが、落ち着いているわけではない。

 内心焦っているが、俺はあまり怒りや焦りが顔に出ないのだ。

 俺がカプリスの恨みを買えば、下手をすれば王家と教会の抗争へ発展する。

 そうならないように、何が何でもカプリスと関りを持ちたくなかったのだが、顎を柄でぶん殴って気絶させるという珍事を引き起こしてしまった。


「ハッ、あの馬鹿王子にいい薬になっただろ。感謝されることはあっても、恨まれるなんてお門違いだぜ。アインは命を助けた上に殺されかけたところを反撃しただけなんだから、教育に失敗した王家が悪いんだよ」


「そんなこと言いましても、相手は第三王子ですわよ、第三王子!」


 ギランとヘレーナが言い争いを始める。


「そ、そうです! いっそトドメを刺しておきましょう! 修羅蜈蚣とぶつかって相打ちになったことになるかもしれません!」


「ルルリア、貴女、落ち着きなさい! 本当はそんな子じゃないでしょう! 貴方はいい子だから!」


 ヘレーナはルルリアの肩を掴み、必死にそう言い聞かせる。

 カプリスの取り巻き二人は、その間も必死にカプリスの身体を揺らし、彼へと声を掛けていた。


 そのとき、がくんとカプリスの身体が揺れたかと思うと、彼はゆっくりと立ち上がった。


「熱い……熱い! 顎が、熱い! 頭に熱が走る! 思考が纏まらぬ、世界が揺らぐ……! まるで、脳が鎖で縛られるようだ!」


 カプリスは顎を右手で押さえながら、大声でそう嘆き始めた。


「アイツ、本当に頑丈だな……。まともに一撃入ってたのに、こんなにあっさり起き上がるとは」


「あの様子なら、思ったよりダメージは浅いのかもしれない……。首に嫌な感触があったが、とりあえず最悪の事態は避けられそうだ」


 幸い、カプリスも根に持つ性格ではない……と思う。

 後遺症でも遺ればどうなるかわかったものではなかったが、本人さえ無事なら、さほど大事には至らないかもしれない。


 ……もっとも、カプリス自体が未知数過ぎて、どうなるのかわからないのが怖いところだが。


「これほどまでの激痛、余は生まれて初めてだ! 物心ついてから、まともに出血したこともなかったというのに! これが痛みというものか!」


 何故かカプリスは、歓喜したようにそう口にする。

 背筋にぞくりと、冷たい悪寒が走った。


「アイン、アインよ! 素晴らしい、素晴らしいぞ! もっと余を驚かせてみよ! アイン、貴様の技を、余に見せよ! 出さぬというのなら、引き摺り出してやろう!」


 カプリスは地面を蹴り、獣のような構えで俺へと向かってきた。

 大怪我を負っているはずなのに、〈軽魔〉を用いた歩法のキレが、何故か先程までより上がっている。

 速度が明らかに違う。


「アイン、アイン、アインッ……ぐぼっ!」


 俺は右手の拳で、カプリスの顔面を殴り抜いた。

 カプリスの身体が勢いよく地面に叩き付けられる。

 さっきは倒れても握り締めていた剣を、今は手放していた。

 今度こそ完全に意識を失ったらしい。


「アインさん……どうして……?」


 しんと静まり返った中、ルルリアが俺へと尋ねる。


「すまない、気色悪さで、つい……」


 命の危機でもない状況で、これほどの恐怖と嫌悪を覚えたのは初めてのことだった。


 この後、取り巻きの二人がカプリスを担ぎ、俺達から逃げるように慌ただしく迷宮を出ていった。

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