第57話

 俺は地面に突き刺さった、血塗れの剣を拾い上げた。

 修羅蜈蚣の甲殻を強引に突いたためか、刃がかなり脆くなっている。

 おまけに修羅蜈蚣の、錆臭さと髪の焦げたような匂いの混じった悪臭が、剣に染みついていた。


「そこそこ気に入っていたのだが……」


 勿論〈装魔〉で剣を強化していたのだが、さすがに限界があったようだ。

 そろそろ買い替えねばならないだろう。

 俺は溜め息を吐き、軽く振るって血を飛ばす。

 

「た、倒しちまったのか……? 巨鬼級レベル5の魔物を、あんなにあっさりと……」


 ギランが驚いたように俺へと声を掛け、修羅蜈蚣の死骸を見上げる。


巨鬼級レベル5の中では、動きが単調で扱いやすい。速さには驚かされたが、細長い身体の分、弱点を守る肉の鎧も薄いからな」


 市販品の剣で対応するのは少ししんどかったが、こんなものだ。

 名も無き二号ツヴァイのような馬鹿力や、名も無き三号ドライのような装甲貫通攻撃、名も無き四号フィーアのような高火力魔法があれば、もっと楽に決着はついていただろう。

 ただ、俺の強みは元々、対人剣技と各種の魔剣を扱える器用さにある。


 下手に人前で魔剣を出せない今の状況だと、耐久力に長けた大型の魔物はあまり相性がよくない。

 修羅蜈蚣くらいならどうにかなるが。


「よ、よく、そんなこと軽く言ってくれるぜ……」


「アインさん、本当に何者なんですか……? 絶対ただの平民じゃありませんよね?」


 ギランとルルリアが、茫然とした表情で俺へと声を掛けてくる。

 ヘレーナは無言のまま、呆気に取られた顔で、俺と修羅蜈蚣を交互に見比べていた。


「悪いが、俺のことはあまり言わないでおいてもらえると助かる。ネティ……フェルゼン学院長との約束でな」


 俺はカプリスへとそう言った。

 カプリスの二人の取り巻きは、恐々と顔を見合わせた後、俺へと向き直ってこくこくと頭を下げた。


「な、何が何なのかは知らんが、助けられたのは事実だ……」


「カプリス様を守っていただいたこと、感謝する。仮にお怪我を負わせることがあれば、我が家の危機だった。公爵家の名に懸けて、他言はしないと誓う。学院長も絡んでいるのなら、詮索するまい」


 二人が俺へと頭を下げた。

 俺の気が緩んだ、その瞬間のことだった。


「やはり、余の勘は当たっていたのだ! 貴様だったかアイン! この余の目を以てしても、底が知れぬ! このような退屈な学院に通ったのも、無駄ではなかったということだ!」


 カプリスは言うなり、剣を抜いて俺へと飛び掛かってきた。

 二人の取り巻きの表情が真っ蒼になった。

 俺もまさか、こんな流れで斬り掛かってくる奴がいるとは思えなかった。


「カッ、カプリス様!? いくらなんでも、その蛮行は!」


 飛び掛かってきたカプリスの剣を、俺は剣で受ける。


「よくぞ、よくぞあんなちゃちな演技で、この余の目を欺いたものだ! 認めよう、この余でさえ足が竦んだ修羅蜈蚣を、貴様は容易く討伐してみせたのだ! 貴様の武勇は、この余にさえ勝る!」


「ならば、斬り合う意味はないだろう!」


 カプリスの前で実力を見せるべきではないとはわかっていたが、さすがに助けた手前、ここは下がってくれると思っていた。

 本気でカプリスの思考が理解できない。

 今まで全く見たことのない人間だった。


「だからこそ意味があるのだ! この余が、ただ弱者を弄ぶための戯れに剣を磨いていると思ってか! アイン! 貴様という深海に、どれほどこの余の剣が通用するのか、確かめねばならん! 受けてみるがいい、余の至高の一撃を!」


 カプリスは競り合っていた刃の角度を変え、自身を上へと跳ね上げる。

〈軽魔〉を用いて、飛距離を稼いでいる。


 カプリスの腕の筋肉が膨れ上がり、身体から赤い蒸気が昇る。

 膂力を強化する〈剛魔〉を、人間の限界近くまで発揮している。


「受けてみよ! 〈轟雷落斬〉!」


 俺は腕を上げて剣で受け止める。


「おお! 凄い……凄い、凄いぞ! 素晴らしい! 余に剣を指南した〈銀龍騎士〉の男とて、こうもあっさり余の〈轟雷落斬〉を受けることはできなかっただろう! アディア王国に、それも余と同世代に、こんな男がいたとは!」


 カプリスは大口を開け、歓喜の声を上げる。


 俺は剣を下ろしながら身を引き、カプリスを地面へと叩き落とした。

 カプリスは横っ腹を地面に打ち付けたが、跳ねるようにして素早く起き上がった。


「それで満足か? いい加減にしてくれ、カプリス」


「余を止めたくば、その程度の攻撃では無意味よ! 言ったであろう、余は〈魔循〉と反応速度故に、ロクに怪我を負ったことがないとな! 叩き付けるのならば、本気でやってみせよアイン!」


 どうにもカプリスは一向に止めるつもりがないらしい。

 カプリスの取り巻き二人は、あわあわと俺とカプリスを交互に見ている。

 どうすればいいのかわからないのだろう。

 俺もこんな変人は初めて見たので、全くどう対応すればいいかわからない。

 王族なので叩き伏せるわけにもいかない。


「見せてやろう! 剣聖ゼロスの編み出した、王家にのみ伝えられる秘技〈理剣十一手〉! 相手に一切の反撃を許さぬ、究極の理によって作り上げられた、十一の斬撃だ!」


 カプリスがいくつもの斬撃をお見舞いしてくる。

〈理剣十一手〉は知っているが、〈魔循〉に差があれば、打破できる隙はいくらでも存在する。

 しかし、仮にも王子相手、下手に破っても、その先を考えなければ意味がない。

 突き飛ばして、とっととルルリア達を連れて地上へ逃げるべきか。


「ぐっ……」


 七手目を受けたとき、俺の刃が砕けた。

 元より市販品の剣。

 これまで散々酷使してきたのもあるが、修羅蜈蚣の甲殻に強引にねじ込んだのがやはり響いていた。

 その上で、カプリスに馬鹿みたいに何度も打たれていたのだ。

 破損もやむなしだろう。


 しかし、勝負を止める丁度いい切っ掛けになったかもしれない。

 俺はそう思ったのだが、カプリスの剣は止まっていなかった。


 剣聖ゼロスの編み出した〈理剣十一手〉の第八手目。

 理詰めで回避を潰した剣が、正確に俺の逃げ場を潰す。

 余計なことを考えなければ回避もできただろうが、まさかノータイムで次の剣を振るってくるとは思わなかった。

 カプリスの変人振りを見落としていた。


 俺は咄嗟に、剣の柄の部分でカプリスの顎を突き上げた。

 ゴシャ、と人体の関節部の鳴らしたとは思えない音が響く。


「ふぶぶうぅ!」


「あっ……」


 カプリスの顔の肉が大きく持ち上げられて歪み、首が大きく傾いた。

 中で出血したらしく、カプリスの鼻から血が舞った。

 高く弾き飛ばされたカプリスの身体が、一切の受け身も許されぬまま地面へ叩き付けられる。


 カプリスの身体が大の字に開く。

 手足が痙攣していた。

 顎を柄で抉られたため、脳が揺らされたのだろう。

 白眼を剥いていた。


 口から血が垂れていると思えば、折れた歯が唇の横から落ちた。

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