第56話

「アイン、なんで反応しなかったんだ? 確かに速かったが……見えなかったわけじゃねえだろ?」


 ギランが声を掛けてくる。

 俺は小さく首を振った。


「斬る気はなさそうだったからな。ここで止まったのがその証明だ」


 俺は首の傷口を指で示し、そう答えた。

 ギランは俺の言っていることが理解できなかったらしく、顔を顰めた。

 少し考えてようやく腑に落ちたらしく、呆れたように息を吐いた。


「んな、あっさりと……。そこまで斬られて、よく反応しないでいられたな。ま、これであの馬鹿王子も、もう俺達には付き纏っちゃ来ねえだろうよ」


 俺はカプリス達へと目をやった。

 カプリスは苛立ったように、取り巻きの二人へ怒鳴り散らしている。

 二人はぺこぺことカプリスへ頭を下げていた。


「迷宮探索を邪魔されたのは癪だが、馬鹿王子との繋がりが切れたのはラッキーだったな。念のために、あいつらの姿が見えなくなってから、地下四階層を覗いてみようぜ」


「そうするか」


 ギランの提案に俺は頷いた。


「結局行きますの……? もう、いいじゃありませんの。魔石も集まったんですし、カプリス王子の一件で、私、なんだか疲れましたわ……」


「テメェ、何もしてねぇだろうがヘレーナ!」


 ギランが腕を上げると、ヘレーナが素早く両手を上げてガードに出た。


「無駄に対応が早くなりやがって……」


 そのとき、一面に不気味な声が響いた。


「ケ、ケタ、ケタケタケタケタケタ!」


 甲高く、酷く耳障りな声だった。

 魔物のようだが、あまりにも声量が大きい。

 まるで迷宮そのものが悲鳴を上げているかのようだった。

 声の主は、地下四階層へ続く階段から響いているようだった。

 明らかにバグベアとは格が違う。


「や、やっぱり、止めませんの……? 地下四階層より下は、入った学生の数が一気に減りますわ。もしかしたら、騎士殺しの大鬼級レベル4が出てくるかもしれませんわよ?」


 ヘレーナがギランの袖をぐいぐいと引っ張りながら口にする。

 ギランが眉を吊り上げ、ヘレーナを振り払う。


「出たからってなんだ! ハッ、倒せば、箔が付くってもんだ。ビビってんなら、ここで待っていやがれ。地下四階層へ入った学生は、他にもいるんだ。俺にできねぇわけがない」


「いや、ギラン、止めておこう」


「ア、アインまでそう言うのかよ……」


 たかだか大鬼級レベル4の魔物に、今の大きさの声を出せるだろうか?

 いや、できはしないはずだ。

 魔物の強さの基準の一つとして、体格がある。

 これだけ響く鳴き声の持ち主となると、かなり危険な魔物だと推測できる。


 先を行っていたカプリスも、鳴き声を聞いて足を止めていた。


「技術のない魔物との斬り合いは退屈だと思っていたが……今の鳴き声、学院迷宮地下四階層は、思いの外に期待できそうではないか」


「カ、カプリス様……? きょ、今日はもう、お戻りになられますよね? ね?」


 懇願する取り巻きを無視し、カプリスがこちらへと向かってきた。

 どうやらカプリスは地下四階層へと挑むつもりらしい。

 取り巻き達が顔を真っ蒼にして彼の後を追っている。


「カプリス様! お待ちください!」


 そのとき、通路の外壁を削るような轟音が響いた。

 何かが豪速で通路から上がってくる。


「ケタケタケタケタケタ!」


 階段を駆け上り、二メートル近くある巨大な女の顔が現れた。

 顔は逆さまで、髪の毛のようなものが地面に垂れている。

 続いて、異形の身体が姿を現した。

 黒々とした甲殻に覆われており、木の根のような無数の足が生えている。


「聞いたことがある、逆さの女の面に、長い身体……! 修羅蜈蚣! 巨鬼級レベル5の魔物だ!」


 ギランが声を張り上げて叫ぶ。

 大鬼級レベル4がいるかもしれない、どころではなかった。


「こんな学院迷宮で出会っていい魔物じゃありませんわ! 地上に現れたら、《金龍騎士》が部隊を率いて討伐に向かう類の化け物じゃありませんの!」


 意気揚々と剣を抜いたカプリスも、目前の化け物に息を呑む。


「まさか、これほどとは……。余も、巨鬼級レベル5など初めて見たぞ」


 素早く取り巻きの二人がカプリスの横に並び、修羅蜈蚣へと剣を構える。

 

「カ、カプリス様! 早く引きましょう!」


 修羅蜈蚣が首を持ち上げ、カプリス達へと照準を定める。

 

「ケタケタケタケタケタケタケタ!」


 頑丈な迷宮の地面に、修羅蜈蚣の這った溝が生じていく。

 修羅蜈蚣は、その巨体に反して恐ろしく豪速であった。


 さすがに見殺しにするわけにもいかない。

 俺は地面を蹴り、《軽魔》で素早く修羅蜈蚣の前へと飛んだ。

 

 女の面は、ただの甲羅のようなものだ。

 眼球を狙ってもあまり意味はない。


 俺は修羅蜈蚣の唇、鼻を斬りながら着地し、額へ剣を突き刺した。

 修羅蜈蚣の突進にやや押されたが、巨体の動きを止めることに成功した。


 その間、カプリスは修羅蜈蚣に剣を構えたまま、全く動けないでいた。


「……この剣だと、硬さを売りにした相手とは戦い難いな。カプリス、とっととこの場から離れろ」


「き、貴様……! まさか、あれだけ踏み込まれて、敢えて首を斬りつけられるまで反応を見せなかったというのか?」


 カプリスが目を見開き、俺を見る。

 その場から動く様子がない。


 カプリスの近くで修羅蜈蚣とぶつかるのは少し危険過ぎる。

 俺は修羅蜈蚣の額に突き刺している剣を素早く横に振るい、修羅蜈蚣の頭を横へと大きく飛ばした。

 頭が向かった先へと、《軽魔》で素早く飛んで回り込む。


 修羅蜈蚣の弱点は、逆さの顔面の、地面へ向いている頭の部分だと、そう聞いたことがある。

 だが、自身の顔面と地面で隠しているため、直接叩くのは難しい。


 俺は修羅蜈蚣の顎を叩き付けるように斬り、地面にぶつけて軽く頭部を跳ねさせる。

 着地と同時に、修羅蜈蚣の上がった頭を素早く突いた。

 剣をねじ込むように突き入れ、柄の先を《剛魔》で強化した足で蹴り、より深く刃を抉り込ませる。


 修羅蜈蚣の頭を貫通し、剣が地面へと落ちた。

 修羅蜈蚣の全身が激しく痙攣し、その場で動かなくなった。


 まさか、地下四階層に巨鬼級レベル5が出てくるとは思わなかった。

 長らく誰も踏み込んでいなかったためだろうか?

 とはいえそれも、十年以内のことのはずだ。

 そうそう簡単に巨鬼級レベル5が迷宮内で発生するとは考えにくいのだが……。

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