第55話
「さぁ、邪魔者は退け! 余が用があるのは、そこのアインだけだ! 平民なりに、この余を楽しませてみせよ!」
カプリスは興奮気味に叫ぶと、剣を振り、俺へと突き付ける。
「……俺のために手間を掛けてもらったようで悪いが、それはできない」
俺はそう言い、頭を下げた。
「お、おい、アイン。んな奴に頭なんか下げなくても、一発わからせてやりゃあ……」
「ギランさん!」
不満げなギランを、ルルリアが窘めた。
ギランは納得のいっていない面持ちでルルリアを睨むが、口を閉ざした。
ギランには悪いが、俺もルルリアと同じ考えだ。
第三王子、カプリス・アディア・カレストレア。
学年トップでもあるこの男は、あまりに危険過ぎる。
権力や影響力はエッカルトより遥かに上だ。
そして、この男はエッカルト以上に行動に理性がない。
やり口の卑劣さや考え方の偏りはあれど、エッカルトは血統主義の思想と団体のために行動していた。
カプリスは、ただ個人の欲によって暴れる獣だ。
自身を満たすためには手段を選ばない。
カプリスと因縁を作るべきではないのだ。
敵に回せば、エッカルト以上に厄介な存在となる。
最悪の場合、王家と教会の間に亀裂を入れる行為になりかねない。
ネテイア枢機卿も、俺とカプリスが接触するのを好ましく思うわけがない。
「何が不満だというのだ? フ、この余にここまでさせたのだ。戦いたくないなど、そんな戯言が通ると思ってか?」
俺は黙って、頭を下げ続けた。
カプリスはフンと鼻を鳴らし、言葉を続ける。
「余と戦うのが怖いか? アイン、そんなことよりも、余の期待を裏切ることの方が怖いと考えないか? まさか……余に怪我をさせるのが怖いなどと、不遜にもそんなことを考えているのではなかろうな? その傲慢、罪に値するぞ。前にも言ったが、余は生まれつきの天才だった。膨大な魔力と恵まれた反応速度のお陰で、怪我らしい怪我を負った覚えがないのだ」
「カプリス、お前の期待には応えられない。俺は、お前が思っているような優れた剣士ではない」
「誤魔化しても無駄だ。〈銅龍騎士〉のエッカルトを倒したのだろう? そして……学院迷宮の地下三階層奥地に、劣等クラス四人が容易く辿り着いた。この余を欺くことなど、できんのだよ、アイン。余の勘が囁いている。貴様には、余と剣を打ち合うだけの資格がある」
カプリスはそこまで言うと、指を三本立てて俺へと向けた。
「三手だ。余も、たかだか一学生が余と対等に戦えるなどとは思っておらん。もしも仮に、貴様が三手耐えてみせれば、褒美を取らせよう。余は天邪鬼で気が短いとは自覚しているが、嘘は吐かぬ。お前が騎士に上がっても、一生稼げぬであろう額の黄金をくれてやろう。どうだ?」
「……一生稼げぬ額の黄金」
ルルリアが呟き、ギランとヘレーナに睨まれていた。
ルルリアは素早く首を振り、涎を拭う。
「エッカルトの件は間違いだ。エッカルトが暴れたのは事実だが、すぐにフェルゼン学院長が鎮圧した。エッカルトの実家の名に傷を付けないように伏せられることになっていたため皆明言を恐れ、曲解された形で中途半端に耳に入ったのだろう」
「つまらぬ嘘を吐くな! この余がここまで言ってやっているというのに、逆らうつもりか? 狂王子と、余がそう呼ばれておることは知っておる。それ以上くだらぬことを申せば、この余の怒りを買うと知れ!」
カプリスの表情に、段々苛立ちが表れ始めた。
「カプリス様……あの平民を、さすがに買いかぶり過ぎなのでは? 剣とは、血筋と幼少からの修練の集大成です。確かに下級貴族の中には、偶発的に生まれた才ある平民に劣る者も少なくありません。この学院の方針の一つに、そういった才能を拾い上げる、といったものもあります。ですが、俺達でさえ務められないカプリス様との打ち合いの相手を、ただの平民が務められるとは思えません」
カプリスについて来ていた二人の片割れが、カプリスへとそう口にした。
「黙るがいい、ロドリゴ」
「三階層奥地まで来る程度であれば、魔物との接触頻度次第で、〈Bクラス〉生徒だってできるでしょう。カプリス様は満足なさらなかったそうですが、あのギランは、カマーセン侯爵家の子息を正面から打ち破ったと聞きました。彼を中心に動けば、ここまで辿り着くことも充分に可能だったのでは……?」
カプリスは素早く、ロドリゴという生徒へと、振り向きもせずに裏拳をお見舞いした。
ロドリゴはカプリスの拳に殴り飛ばされ、なすすべなく迷宮の地面を転がっていく。
「うぶっ!? カッ、カプリス様……」
ロドリゴがよろめきながら、地面に膝を突いた。
「余は、黙れと言ったのだ。余の命令が聞けぬなら、次はこっちで二度と口を開けなくしてやろう」
カプリスはゆらりと剣を持つ手を構える。
ロドリゴは無言のまま、必死にカプリスへと頭を下げた。
「さて、アイン。余が戦う、と決めたのだ。貴様の意志や、実力は関係ない。及ばねば、貴様が死ぬというだけだ。死にたくなければ、全力で抗ってみせよ! ここまで余の手を、煩わせたのだ! 頭を下げて済むと思ってか!」
カプリスの纏う気が変わった。
来る……恐らく、〈軽魔〉で間合いを詰め、高速の一撃を放ってくるつもりらしい。
実力試しに拘る剣士にありがちな一手目だ。
いいだろう。
ここは、カプリスのやり方に乗ってやる。
カプリスが地面を蹴る。
確かに速い。自称〈軽魔〉が得意のカンデラとは比べ物にならない、実践レベルの突進だ。
「カッ、カプリス様!」
カプリスの取り巻きが、悲鳴に近い声で彼の名を呼ぶ。
「アイン! 防げねば、その贖罪として首をもらうぞ!」
カプリスが〈軽魔〉を和らげ、体重を取り戻す。
同時に剣を振るう。間合いを詰めると同時に、俺の首を斬る動きだ。
刃が、俺の首へと距離を詰める。
二メートル……一メートル……五十センチメートル……。
俺は、まだ動かない。
カプリスの刃も止まらない。
拳一つ分……まだ、俺は動かない。
カプリスの刃も止まらない。
ついに完全に、俺の首に刃が触れる。
カプリスの刃はまだ止まらなかった。
刃が俺の皮膚を斬り、血を流す。
そこでようやく、カプリスは刃を止めた。
カプリスは目を見開き、歯を食い縛っていた。
顔には、明らかに怒りの色がある。
カプリスの取り巻き二人は、深く安堵の息を吐いていた。
カプリスが本当に俺を殺すかもしれないと思ったのだろう。
「本当に、ただの凡夫か……! 余の勘が、誤っていたとは。あれだけ距離があって、余の動きを一切見切れないなど! ようやくこの余と、少しはまともに戦える者が現れたかと思っていたというのに……!」
カプリスが俺の顔を、至近距離から睨みながら口にする。
激情のためか顔に深く皴を寄せており、悪魔のような形相になっていた。
「うぐっ……!」
俺は首を押さえ、その場に蹲って見せる。
「くだらぬ! 興覚めにも程があるというものだ! チッ! 帰るぞ!」
あれだけずっと俺を追い回していたカプリスは、あっさりと俺に背を向けた。
「ア、アインさん! 大丈夫ですか! 傷……」
ルルリア達が駆け寄ってくる。
「大丈夫だ……浅いらしい」
本当に、浅い。
カプリスくらいの剣速であれば、あそこからでも魔技で肉体を活性化させて逃れる術はあった。
カプリスが本気で殺しに来るつもりであれば、あの場面からでも俺は充分に抜けられたのだ。
仮にあれより深ければ、俺は実際、そうしていた。
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