第54話

「たたっ、たたた、助けてくださいまし! アイン! ギラン! ルルリアァアアア!」


 ヘレーナが叫びながらホブゴブリンから逃げていく。

 ギランが追い掛け、ホブゴブリンの背に刃を突き刺した。

 そのまま押し倒して背に足を掛け、ギランは刃を引き抜いた。


「こいつで最後だな」


 周囲には、他に四体のホブゴブリンの死体と、バグベアの死体が倒れている。

 今回のバグべアは、ギランが瞼越しにバグベアの眼球を貫いて討伐した。


「はー、はー! 助かりましたわ、ギラン」


「助かったじゃねえ! ちょっと打ち合ったと思ったら、早々に剣ぶん投げて逃げやがって! テメェ、ちょっとは活躍しやがれ! 足引っ張ってんじゃねえぞ!」


「ひ、ひぃっ! 怒らないでくださいませ! 私だって、移動の〈魔循〉で疲れたんですわ……。足引っ張ってるなんて心外ですわ! 誰が魔石を運んでると思っているのかしら! 私がいなかったら、これを持ち帰ることはできませんのよ!」


 ヘレーナは地面に先程投げた、魔石の入った包みを拾い上げ、ギランへと掲げる。

 ギランはヘレーナへ歩み寄り、彼女の耳を摘まみ上げた。


「なんで荷物持ち押し付けられてるだけで、お前はそこまで偉そうになれるんだよ!」


「いいっ、痛い痛い痛い! 婚姻前の乙女の耳に傷を付けるつもりですの! 責任を取ってもらいますわよ!」


 ギランとヘレーナの様子を苦笑しながら眺めていると、ルルリアが俺の許へと向かってきた。


「アインさん! このバグベアで、狼鬼級レベル3の魔石が三つ目ですね! 九万ゴールドですよ九万ゴールド!」


 そう、既にルルリアの目標額である、八万ゴールドを上回っていた。


「九万ゴールドもあったら、なんでも買えてしまいますよ!」


「なんでもは過言じゃないか……?」


 たとえばマーガレット侯爵家の宝剣〈百花繚乱〉なら数千万ゴールドの値になる。


「目標階層である地下四階には、今から突入するからな。バグベアの腹を割いて魔石を取り出したら、早速向かってみよう。地下三階層よりも、ずっと狼鬼級レベル3の魔物が出やすくなるはずだ」


 俺はそう言って、通路先にある大階段へと目を向けた。

 ついに地下四階層、学生の最深記録の階層に到達する。


 俺はバグベアの亡骸に近づき、腹部に刃を向ける。


「ヘレーナ、遊んでいないで魔石の血を拭うための布を持ってきてくれ」


「アッ、アインにはこれが、遊んでいるように見えますの!? ギランに言ってやってくださいまし! ほら、ギラン! 飼い主がああ言っていますわよ! 痛い痛い痛い! ちょっとふざけただけじゃないの! 首は止めて、首は!」


 ヘレーナに手伝ってもらい、バグベアより魔石を取り出した。

 大きな、紫色の魔石だ。

 ヘレーナはうっとりとしとした表情で魔石の輝きを眺めてから、布袋の中へと魔石を入れた。


「フフ……こんなに狼鬼級レベル3の魔石を集めたら、あの受付の方もさぞ驚かれることでしょうね。私達が迷宮に入るのに、随分と反対していらしたから」


「お前はほとんど魔石運んでるだけだっただろうが……」


 ギランがヘレーナを睨み付ける。

 ヘレーナは入学当初にはギランへの恐れや遠慮があったが、最近はどんどん誰に対してもいつもの態度を崩さなくなってきた。

 なんやかんやギランが本気で殴りかかってくるようなことはないだろうと学んだらしい。


「うし、早速行ってみるか! 学生最深記録の、地下四階層!」


 ギランが自身の手のひらを拳で叩く。


「あまり奥には進まず、大階段中心に探索しよう。バグベア並みの魔物がゴロゴロと出てくるはずだからな」


 地下四階層では、地下三階層では疎らにしか現れなかった狼鬼級レベル3の魔物が、複数体で現れるらしい。

 甘く見て行動すれば、ヘレーナが魔物の毒牙に掛かることも充分想像できる。


「ほ、本当に行くんですの……? もう充分じゃないの? ほら、ルルリアもそう思いませんこと? もう九万ゴールド分もあるんですわよ?」


「せっかくだから行きましょう、ヘレーナさん! アインさんもギランさんも乗り気ですし! 私、父さん母さんに、美味しいもの食べさせてあげたいんです!」


「う、うう……ルルリアまで……。地下四階層って、探索例が少ないのでしょう? もしかしたら、大鬼級レベル4が出るかもしれませんわよ?」


 魔物のレベルとは、本体の魔石の大きさから付けられるものである。

 化蛙級レベル1小鬼級レベル2狼鬼級レベル3大鬼級レベル4巨鬼級レベル5と続く。

 生徒が対応できるのは狼鬼級レベル3までであるとされており、今日遭遇したバグベアも狼鬼級レベル3の中ではさほど強い部類ではない。

 

「……大鬼級レベル4は、龍章持ちの騎士だってよく殺されるそうですわよ? もしも出てきたら、さすがのアインと言えど、どうなるかはわからないわよ?」


 大鬼級レベル4の代表的な魔物は、大鬼……オーガだ。

 二メートル半近い巨体を持ち、身体は鋼鉄の筋肉に覆われている。

 

「確かに、あまり頻繁に調査を行っているわけではないそうだし、大鬼級レベル4が出てもおかしくはないかもしれないな。まぁ、それくらいなら問題ないから安心してくれ」


「ア、アイン、本気で言ってますの……?」


 ヘレーナが引き攣った表情で口にする。

 

 そのとき、背後から風を切るような音が微かに聞こえた。

 俺は振り返り、通路を睨む。


 ずっと、俺達の背後をフラフラしている人の気配があるとは思っていた。

 俺達は下階層への最短経路を進んでいるだけだ。

 たまたま被ることもあるかもしれないと、そう考えていた。

 しかし、さすがにここまでくれば、そういうわけではなさそうだ。


「どうやら俺達に会いたがっている奴がいるらしい。四階層に進む前に、先に挨拶を済ましておいた方がよさそうだな」


 俺はわざと大きな声で、通路の方へとそう口にした。

 少し間があり、通路内を風が駆け抜ける。

 それと共に、床を滑り抜けるようにして、一人の男が現れた。

〈軽魔〉を用いた歩法だった。


 紫の長髪が、慣性に靡いていた。

 大きな口を変えて笑みを浮かべる。


「やはり余の見込みに間違いはなかったらしい! たかだか〈Eクラス〉の集まりが、容易に最深階層目前まで到達するとはな!」


 カプリスに遅れて、〈Aクラス〉の人間らしい二人の男女が現れた。

 カプリスの速さに追いつくのに相当無理をしたらしく、息を切らしている。

 残念なことに、カプリスの外付けブレーキであるシーケルの姿はなかった。


「出やがったな、カプリス……! テメェ、わざわざ休日に、学院迷宮に潜った俺達のことを付け回してやがったのか! 暇な上に陰湿な野郎だなァ」


「思い上がるな、ギルフォード家。余が関心があるのは、そこの男、アインだけだ。外では鬱陶しい教師の目があるからな」


 カプリスは俺を指差し、そう口にした。

 教師の目というのが、以前カプリスが喧嘩を吹っ掛けてきた際は、教師の言葉では止まらなかった。

 カプリスが本当に邪魔に思っているのは、シーケルの目くらいだろう。


「余はこうして貴様が学院迷宮に入るのを、ずっと待っておったのだ! 今日は朝からロクに食事も摂らず、そこの二人と共に迷宮前で張り込みを行っていた! 光栄に思うがいい、アイン! この余に、これだけ手間を掛けさせたのだ! 期待外れであってくれるなよ!」


 カプリスが声を張り上げて叫ぶ。

 真っ当な奴ではないと思っていたが、想定よりも一つ上の危ない人間だったらしい。


「あ、あの二人、可哀想……」


 ルルリアはカプリスの背後で膝に手を突いて息を荒げる〈Aクラス〉の二人へと目を向け、心底同情したふうにそう零した。

 どうやらカプリスの我が儘で〈太陽神の日〉を潰された挙句、朝食抜きでずっとこき使われていたらしい。

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