第49話

 ルルリア誘拐騒動から一週間近くが経過した。

 昼休憩、俺はいつもの四人で揃って食堂へと向かっていた。

 通路の途中で、マリエットとその取り巻きのミシェルが目についた。


 マリエットは壁に凭れ掛かって退屈そうにしていたが、俺達を見つけると一瞬顔色を輝かせた後、素早く首を振り、普段のしかめっ面へと変わった。

 背で壁を押し、俺達の進路を妨害する。


「おい、どうするアイン? また面倒そうな奴がいるが」


 ギランは鬱陶しそうに俺へと尋ねる。


「ど、どうしますの! きっと、〈百花繚乱〉を壊したことを怒ってるんですわ! ギランがあんな馬鹿力でぶっ叩くから!」


「ばっ、馬鹿かヘレーナ! 俺じゃねえ、アインがやったんだよ! 腐っても名剣だ、俺がちょっと叩いたくらいで壊れるわけねえだろ!」


「アイン、ギランが責任を押し付けて逃れようとしていますわよ! こいつを突き出して見逃してもらいましょう!」


 またヘレーナが馬鹿なことを口にして、ギランに首を絞められていた。

 ヘレーナは苦しげにバンバンと壁を叩いている。


 俺はルルリアと顔を見合わせた後、ギラン達を置いて、マリエットの許へと向かうことにした。

 マリエットは何か話がある様子だ。


「フン、御機嫌よう、アイン、ルルリア。貴方達のせいで、宝剣は壊されるわ、私達に妙な噂は立つわ、散々よ」


 マリエットは顔を合わせるなり、攻撃的な調子であった。


 噂については、俺も少し〈Eクラス〉で耳にした。

 マリエットがギランをどうにか傘下に引き込もうとしていたのは、〈Eクラス〉内では全員が知っていることだ。

〈太陽神の日〉に俺達とマリエットの間で衝突があり、マリエットが結局引き下がったらしいというのは、ぽつぽつと噂になっているようだった。

 恐らく、多かれ少なかれ、他のクラスにもこうした話は流れていることだろう。

 マリエットは面子を潰されたと、そう感じているのかもしれない。


「ですが、それは貴方達が一方的に攻撃を仕掛けてきたのが発端のはずです! 宝剣については、アインさんにだってそこまで非はないはずです! 一方的に戦いを強要された結果なんですから!」


 ルルリアはぎゅっと拳を握り、マリエットへとそう言った。

 ミシェルがむっと表情を歪める。


「非、非はないと言いましたの!? 〈百花繚乱〉が、いくらするものだと思っているんですの! 確かに貴方方の非は薄いとは言えますの! それでも、マーガレット侯爵家の家宝を破壊しておいてその態度はありませんの! 平民風情が、よくぞそんな口を利けましたの!」


 ミシェルは歯を剥いてルルリアへと言い返す。


「怒ってくれるのは嬉しいが、落ち着いてくれ、ルルリア。話があって待っていたんだろう、まずはそれを聞こう」


「ミシェル、引きなさい。少し皮肉を口にしたくなっただけよ。武器を壊されるのは、使い手の技量の問題。私が剣士として未熟だっただけよ」


 俺がルルリアを宥めていたとき、丁度マリエットもミシェルを止めていた。

 向こうも喧嘩をしに来たわけではないらしいと知り、俺も少しほっとした。


「でっ、ですけど、マリエット様! あの〈百花繚乱〉……数千万ゴールドの値がつく代物でしたのに! そもそも元はと言えば、約束してからすっぽかした上に、悪びれる様子も見せずに開き直ってマリエット様の面子を潰した、あの狂狼貴族が悪いんですの!」


 ……金額を聞き、俺は額から冷や汗が垂れたのを感じた。

 そこまで高額だとは思っていなかった。

 ルルリアも「す、数千万ゴールド……?」と、真っ蒼な顔で反芻している。

 何千万なのかはわからないが、下手したら平民が人生を二周送っても稼げない額だ。


 ギランのすっぽかしについても、彼の『悪巧みのために近づいてきた奴との約束を破っても責められるいわれはない』いう主張もわかるのだ。

 ただ、マリエットがルルリア誘拐を企てたのは、マーガレット侯爵家の面子を潰されたため、何らかの報復行為を取らなければ格好がつかなかった、ということもあるだろう。


「それはすまないことをした。どうにか補填する術がないか、今度親代わりの人に相談してみる。ギランにも、マリエットの顔を立てるために、形だけでも謝罪ができないか頼んでみよう」


「教会司祭に、数千万ゴールドなんて工面できるわけないでしょ……。別にいいわよ、これ以上、私に恥を掻かせないで」


 ネティア枢機卿が自分の采配で動かせる資金は、アディア王国の総資金の半分の額に匹敵すると聞いたことがある。

 俺もこんな形で頼りたくはないが、一億ゴールドくらいならば何も訊かずに貸してくれるだろう。


「そんなことはどうでもいいの。〈Aクラス〉の生徒が、最近、貴方達劣等クラスについて調べてるみたいよ」


「〈Aクラス〉が……?」


 王立レーダンテ騎士学院の〈Aクラス〉は、そこに組み分けされただけで大きな一つの名誉である。

 そんな言葉をよく学院内で耳にする。


 もしもクラス点順位で〈Aクラス〉相手に順位を覆すことに成功すれば、一生残る名誉となるだろう。

 だが、クラス点順位が実施されて以降、一度も〈Aクラス〉の順位が変わったことはないのだという。


 何せ〈Aクラス〉は、王国の重鎮達が集うクラスなのだ。

 公爵家や王家、他国の王家の子息などが集まっているという。

 実力も一流揃いだが、それ以上に教師達が、彼らの成績にケチを付けることができないのだ。


「何故、連中が〈Eクラス〉を狙う?」


 俺達が〈Cクラス〉のマリエットを撃退したと知っても、〈Aクラス〉の生徒は気に留めないだろうと思っていた。

 

「何が気に掛かったのかは知らないけれど、私達のクラスにも、〈Aクラス〉の生徒が貴方達について尋ねてきたのよ。誤魔化して逆に探ってみたけど、どうやら〈Aクラス〉の頭である〈狂王子カプリス〉が、貴方達に興味を抱いているらしいわ」


「なんだ、その男は……?」


「知らないの? カプリス・アディア・カレストレア。この国の第三王子にして、剣に愛された本物の天才よ。入学試験の歴代高得点を大幅に塗り替えて、ほぼ満点で入学した男でもあるわ。何せ、試験官の教師に重傷を負わせたそうよ」


「そんな男がいるのか……」


 俺の言葉に、ルルリアが怪訝げな表情を送ってくる。


「アインさん、似たようなことしてませんでしたか……?」


「私も直接お会いしたことはないけれど、剣の才の代わりに人格に恵まれなかったと、王宮内でさえそう嘆かれていると聞いたことがあるわ。機嫌を損ねて城壁を崩しただとか、王宮に招かれた琴の奏者を音色が気に喰わなかったからと斬り殺しかけただなんて逸話もあるそうよ。同じ人間だと思っちゃ駄目ね、化け物だと思いなさい」


 カプリス・アディア・カレストレア……。

 この学院の頂点にして、かなり危険な男らしい。

 

「せいぜい目を付けられないようにすることね。余計なことをしそうな、あの狂犬にもよく言っておきなさい。無礼を働いたら、学院内でだって斬り殺されかねないわよ」


 マリエットはそれだけ言うと、俺達に背を向けて歩き始めた。

 ミシェルは大慌てでその後を追い掛けていく。


「……えっと、何の用事かと少し身構えましたけど、ただの忠告でしたね」


 ルルリアは毒気を抜かれたらしく、ぽつりとそう零した。


「そうだな」


「……何といいますか、あの人、敵対してなかったら優しいですね。警戒して棘が出ていたように思うので、次に会ったらちょっと謝ろうと思います」


「そうだな……」

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