第48話

「ば、馬鹿にしてるの? そんな剣で、本気で私に勝てると思ってるの?」


「馬鹿にしているも何も、マリエット、お前達の提案したことだ。この条件で勝てないのなら、大貴族の庇護なしでこの学院でやっていくのは不可能だとな」


 マリエットはこちらの真意を測りかねているらしく、怪訝な様子で俺を見ていた。


「マリエット様! 向こうが来るのなら、叩きのめしてやりますの! マリエット様が勝ったという事実さえあれば、私が負けたことくらい、大した噂にはならないはずですの!」


 マリエットはミシェルの言葉を聞き、複雑な表情で小さく頷いた。


「いいわ! やってみなさい、その思い上がり、へし折ってくれるわ」


 マリエットは軽く剣を振るい、構え直す。

 桃色の輝きを放つ刃だった。


「アイン、一応気を付けろよ。あの刃、どうやら随分な業物だ。俺の最大の一撃をお見舞いして、まったく破損する感触がなかった。角度もよかったから、生半可な剣なら、弾いたときにぶっ壊せてたはずだ」


 ギランはマリエットの刃を見て、そう口にした。

 マリエットは小さく鼻で笑った。


「桃源石の刃、〈百花繚乱〉……マーガレット侯爵家に伝わる名剣よ。そう簡単に破損してくれたら困るわ」


 桃源石……聞いたことがある。

 古い財宝に用いられていることがある鉱石だが、どこが出自のものか、全く見当が付いていないのだという。

 過去に自然から採掘された記録がない。

 世界のどこか、煌びやかな自然に覆われた地より桃源石が採掘されるのだと、そう言い伝えられている。


「甚振って刃向かえないようにしておくには絶好の機会だけど……今回は、すぐに終わらせてあげるわ」


「戦う前に、一つ言っておきたいことがある」


「何……? 条件でも付け加えてほしいの?」


「マーガレット侯爵家は知らないが、お前はあまり搦め手に向いていない。家に拘るのは止めておけ」


「な、何ですって!」


 マリエットが表情を歪める。


「あまりに真面目過ぎる。搦め手に拘っている割には、それを負い目に感じているから、ここぞという場面で詰めが甘い。クラスぐるみでギランの対策を練られる指揮能力があるなら、もっと正攻法で戦う準備をした方がいいんじゃないか?」


 俺が〈幻龍騎士〉として戦ってきた相手は、一切の倫理を持ち合わせていないような奴ばかりだった。

 同じ貴族であるエッカルトと比べたって、奴の悪辣さにマリエットは遥かに及ばない。

 奴を評価する気はないが、どこからでも喰らい付いてくるような、見苦しいまでの仄暗い執念があった。

 マリエットにそれはない。


 マリエットが当主になったとしても、エッカルトと同じ土俵でぶつかれば、間違いなく彼に潰されるだろう。

 徹底できないなら、最初からやらない方がいい。


「ば、馬鹿にしてるの! 私はこの手腕で、〈Cクラス〉を短期間の内に支配したのよ!」


「向いていないと言っている。それだけ指導できる能力があるのなら、遅かれ早かれ〈Cクラス〉のトップに立っていただろう。なまじ余計な手を使ったがために、動きづらそうに見えるが」


 マリエットは眉間に皴を寄せ、剣を持つ手を伸ばし、改めて刃を俺へと突き付ける。

 これから襲い掛かると、そういうサインだった。


「怒りに駆られていても不意打ちはできない性分らしい」


 マリエットが歯を噛み締め、床を蹴って俺へと飛んでくる。


「何も背負っていない平民らしい言葉ね! 貴族がただで偉そうにしていると思っているの? 私達貴族は、多くの権利を得ると同時に、義務を得るの! どんな手を使ってだって、敗北は許されていないのよ!」


 マリエットの振るう刃を俺は避ける。

 こっちの剣はオンボロであるため、下手に防ぐこともできない。

〈百花繚乱〉の一太刀を受ければ、一溜まりもない。

 俺は常に、マリエットとの距離を維持し、左右へ、後ろへ、前へと動き回る。


「う、嘘ですの……。あんな、何手も、マリエット様の剣を躱し続けるなんて……な、何が起きてますの……?」


「馬鹿が! ウチのアインを舐めて、大恥晒したな」


 ミシェルの言葉を、ギランが嘲笑う。

 ミシェルはムッとした表情でギランを睨んでいた。


「なっ、なんで、なんで当たらないのよ……!」


 マリエットは力ではギランに劣るが、速さではギラン以上か。

 実力は互角くらいだろうが、勝負運ではギランが勝る。

 ギランは戦いの中で、実力以上の力を出せるタイプだ。

 おまけに、ギランには〈羅刹鎧らせつよろい〉がある。


 いや、ギランは慢心しやすいが、マリエットは慎重だ。

 それに、マリエットも魔技を持っている様子だった。

 俺に刃が届かないのを口では嘆きながら、好機を窺っている。

 

「……ミシェルの勘通りだったわ。まさか、こんな化け物がいたなんて。でも、この勝負を引き受けたのが運の尽きよ。こんな不利な局面で、壁際に追い詰められてくれるなんてね! 〈魔獣爪〉!」


 マリエットは剣を素早く片手持ちに切り替え、空いた手に魔力を纏った。

 魔力の輝きが、魔物の爪のように鋭く伸びる。


「こんな学院如きの諍いで見せることになるとは思わなかったけど……貴方には必要そうね! 絶技〈月に叢雲〉!」


 右から〈百花繚乱〉の斬撃が、左から〈魔獣爪〉の爪撃が飛来してくる。

 両者とも、意図を以て互いの隙を潰すように変化している。

 右手と左手で違う文章を綴っているようなものだ。

 相当な修練を要する。

 これなら位置取りで有利に立ちさえすれば、実力差のある相手にでも届き得るだろう。


「アッ、アイン、その技、普通じゃねえぞ!」


 ギランも遠巻きながらに〈月に叢雲〉の威力を察したらしく、先程までの余裕を崩してそう声を上げた。


 俺は身体を逸らして刃を躱す。


「もう逃げられないわよ!」


 マリエットの放った〈魔獣爪〉を、親指と人差し指で挟んだ。


「なっ……!」


 威力があるのは、魔力の爪の先端だけだ。

 上下から挟んでしまえば、ただの素手と大きな違いはない。

 手首を取っても指を曲げて攻撃される恐れがあるが、〈魔獣爪〉事態を止めればそれもできない。


「ルルリアの誘拐なんて派手な真似をしたのは、待ち惚けをくらったことに過剰な報復をしなければ舐められると思ったんだろう。だが、その上でこっちが遅れても、ルルリアに手を出さなかったことには感謝する。俺も無為に負傷させる真似はしない」


 相手を負傷させず、かつ一番わかりやすい勝敗の付け方……。

 それは相手の剣を奪うことだ。


 俺は、古びた剣に魔力を流し込む。

 魔技〈装魔〉だ。

 魔力を送り込めば、棒切れであろうと強度を補い、武器にすることができる。


「はっ、放しなさい、この……!」


 マリエットは指を抜くことに失敗し、逆の手で剣を掲げる。

 だが、〈百花繚乱〉はギランの剣程の長さはないにしても、この間合いだと、俺に渡された、古い短剣の方が遥かに扱いやすい。

 俺は横一閃に振るい、マリエットの剣を弾き飛ばした。


 片手で支え切れるわけがない。

〈百花繚乱〉は廊下を転がり、遠くへ飛んでいった。


「う、嘘……どうしてあんなオンボロで、〈百花繚乱〉を……?」


 マリエットは呆然と口を開け、床の上に膝を突いた。

 俺は短剣の柄を、マリエットへ向ける。


「勝負は終わりでいいな、マリエット。これを最後にして、あまり盤外戦術に頼るのは止めておけ。最後の技はいい技だった。簡単に習得できるものじゃない。だが、邪道に頼れば剣が鈍るぞ」


 マリエットは恐る恐ると、俺から手渡された短剣を受け取る。

 その後、状況を思い出したように、顔を赤くして俺を睨み付けた。


「さっ、さぞ、いい気なものでしょうね! 私を一方的に負かして、上から目線で説教だなんて!」


「別に俺も、お前を気遣って裏工作ばかりに熱心になるなと言ってるわけじゃない。俺は、この学院で楽しくやっていきたいと思っている。あまりこういう真似をされると困る、お互いのためだ。家のやり方より、自分が後悔しないようにやれ」


 俺も、だからこの騎士学院に来た。

 それについて、一切後悔していることはない。

 たとえいつ退学になったとしても、ここでの生活は、ずっと俺の中では想い出として残るだろう。


「自分が、後悔しないように……」


 マリエットはそう呟くと溜め息を吐き、俺に背を向けて立ち上がった。


「……今日は、引き下がって上げるわ。でも、これで勝ったと思わないことね。〈Eクラス〉が私達のところまで昇ってきたときには、正々堂々、叩き潰してやるわ」


 マリエットは力なく、そう零した。

 だが、どこか憑き物が落ちたようにも俺には思えた。


「貴方達、ルルリアを解放しなさい。とっとと戻るわよ」


「マ、マリエット様! その、マ、マーガレット侯爵家の……!」


 ミシェルが真っ蒼な顔で、マリエットへと駆け寄ってきた。


「……騒々しいわね、ミシェル。負けたものは仕方ないわ。少し、疲れたの。大きな声を出さないで。それに……これまで散々付き合わせて悪いけれど、あまり家のことに固執するのは、もう止めようと思うの」


 マリエットはそう言いながら顔を上げ、ミシェルの抱えているものを見て、顔を引き攣らせた。


「マーガレット侯爵家の〈百花繚乱〉が真っ二つですの! 大事な宝剣ですのに!」


 マリエットは大きく口を開け、唖然とした表情で二つに割れた〈百花繚乱〉を見る。


「嘘だろ、なんでだ!? マーガレット侯爵家の宝剣が折れたのに、あっちのボロ短剣はピンピンしてるぞ!?」

「ミ、ミシェルさん、あれどこから持ってきた? 実は名剣なのか!?」

「それどころじゃありませんの!」


 マリエットの取り巻き達が大騒ぎを始めていた。

 俺は口を手で押さえる。

〈装魔〉の強化をやり過ぎたらしい。

 桃源石を過信しすぎた。


「だ、大丈夫よ、私もう、マーガレット侯爵家に、必要以上に拘るのは、拘るのは……」


 マリエットはそう二度呟いた後、泡を吹いて床へと倒れた。


「マリエット様! マリエット様ーーー!」


 ミシェルが泣きながらマリエットの身体を抱き起した。

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