第44話

 七日に一度、王立レーダンテ騎士学院には休日がある。

〈太陽神の日〉に当たる、週始めの日である。


 原則として、この日以外は外出を許されていない。

 簡単な日用品や迷宮用の保存食、最低限の武器であれば、学院内での購入も可能であるためだ。

 金品を持ち歩くのが不安な生徒のため、購入額を控えて纏めて実家に請求する制度もある。


 そのため、〈太陽神の日〉には都市部へ出歩く学生が多い。

 俺が朝に起きて〈アイン向け世俗見聞集〉を読み返している間に、どんどん大部屋の生徒達は外へと出ていく。

 この一日を無駄にしたくないのだろう。


「お~い、アイン、本なんか読んでないで、一緒に街まで行かねぇか? 朝も都市で食おうって話してたんだよ」


 同クラスのロイが声を掛けてくる。

 俺はチラリと、横のベッドで眠っているギランへと目を向ける。


「ありがたい提案だが、ギランが寝てるからな。悪いがまた誘ってくれ」


「あいつに付き合ってたら、また訓練で一日潰されるぞ……。ま、なんか美味そうなもんあったら、土産で買っといてやるよ」


 ロイは手を振りながら、他の生徒達に続いて出ていった。


 ギランが起きてから食堂で朝食を摂っていると、ヘレーナが大慌てで走ってきた。


「ああっ! い、いましたわ、アインにギラン! 大変ですわ! ルルリアが、ルルリアが、マリエットの奴らに、校舎の旧棟へと連れていかれましたわ! きょ、教師に話しでもしたら、ルルリアの顔に消えない傷を付けるって……!」


 ヘレーナは肩で息をしながら、そう口にする。


「なっ……!」


 マリエットはプライドの高そうな奴だった。

 どうやら先日、ギランに無視されたのがよほど腹に据えたらしい。

 それとも、普通に呼び出してもギランが来ないと思ったのか。


「それにしても、ぶっ飛んだ奴だとは思っていたが、マリエットは、そこまでするのか。とにかく、行くしかなさそうだな……」


 ギランは目を細め、ヘレーナを睨む。


「……よく逃げられたなァ、ヘレーナ」


「頭を下げて伝言役を買って出たら、見逃してもらえましたわ!」


 ギランは無言で舌打ちをした。


「しょっ、しょうがないじゃありませんの! 二対五ですわよ、二対五! 私だって心配でしたけど、下手に抵抗して相手を傷つけた方が怖かったですし……! そ、それより、早く行かないとまずいですわ! ルルリアが……!」


「わかった、すぐに行こう。呼ばれたのはギランだろうが、勿論俺も行くぞ」


 なるべく穏便な形で済ませたいと考えている。

 ギランに任せれば、〈Dクラス〉のときのような退学騒動にまで発展しかねない。

 あのときは教師のエッカルトが主導だったのも大きいが、万が一にもまたあんな騒動になってほしくはない。


 悔しいが、クラスの服従で安寧が買えるなら、それも一つの手だともいえる。

 マリエットは、貴族の面子もクラス点に関わってくると言っていた。

 大貴族の多い〈Aクラス〉、〈Bクラス〉、〈Cクラス〉と平民の多い〈Eクラス〉がまともにぶつかれば、死人が出るような事態になったっておかしくはない。

〈Eクラス〉がのし上がって戦果を上げて、こっちが稀代の快挙ならば、向こうは異例の大恥なのだ。


「ヘレーナ、慌てすぎる必要はない。昨日のことで怒りを買っているかもしれないが、向こうとてルルリアは大事な人質だ。それに、もみ消す手段を持っていたとしても、不要な負傷者を出せば騒ぎが大きくなる。マリエットが狙っているのは、ギランであってルルリアじゃない」


 俺がヘレーナを落ち着かせようとそう口にすると、彼女は激しく首を振った。


「じ、実は、ルルリアが捕まったの、三時間前ですのよ! 多分、滅茶苦茶怒ってますわ!」


 俺は素早く時計へ目をやった。

 針は正午に近い時間を示している。


「ヘレーナ、テメェ、どこで油売ってやがった! この状況で三時間ほっつき歩く馬鹿がどこにいやがる!」


 ギランがヘレーナの首許を掴む。


「らっ、乱暴はしないでくださいませ! こ、これには理由があるんですわ! だって、三時間前に食堂にいた男子連中にアインとギランの姿がないことを聞いたら、まだここにいないのなら、ロイ達と一緒に街で朝食を食べてるはずだって言ってたんですもん! 私、必死に街まで走って、捜していたんですわよ!」


 俺はギランへと目をやった。

 ギランはそっとヘレーナから手を放し、俺から目を背けた。


「……間が悪かったなァ、ヘレーナ。そういうこともある」


 言葉とは裏腹に罪悪感を覚えているらしく、力のない声だった。


 しかし、奇跡的な間の悪さという他ない。

 食堂にいた連中はきっと、ロイが俺を誘いたがっていたことを知っていたのだろう。

 ギランも休日は起きるのが遅い方だが、ここまで遅れることは珍しい。

 俺でも同じ状況ならば、まだ食堂に来ていないなら、ロイについて都市へ出ていったのだろうと考えたはずだ。


「……確かに急いだ方がよさそうだな」


 俺が口にすると、ヘレーナが素早く二度頷いた。


 俺達は素早く校舎の旧棟へと移動した。


「来たぞ、クソ女! 出てきやがれ!」


 ギランが声を荒げながら通路を歩く。


 暗い通路の先に、六人の人影が見えてきた。

 椅子のように丸まっている二人と、その上に座る一人の姿もある。

 間違いなくマリエットだった。

 近づけば、ルルリアが女子生徒に肩を押さえられ、剣を突き付けられているのが見えてきた。


「アインさんっ!」


「ルルリアッ! よかった、無事なんだな……」


 俺はほっと息を吐いた。

 逆上したマリエットが、何かやらかさないかと不安だったのだ。


「ようやく来たわね! 劣等クラスのクズ共が!」


 マリエットは声を荒げながら立ち上がり、左手を素早く振るった。

 手に、魔力の光があった。

 裂かれた両側の壁に、鋭い爪痕が走る。


「逆ギレしてんじゃねぇぞ! ブチギレてぇのはこっちなんだよ! ルルリアをとっとと開放しやがれ!」


 ギランが叫ぶと、マリエットは歯を食い縛った。


「逆ギレ? 皮肉のつもりかしら! こっちは昨日と合わせて、八時間近く待ちぼうけくらってるのよ! こっちがちょっと穏便に出てやろうと思ったら、この仕打ち! マーガレット侯爵家を馬鹿にしてるのね! 下級貴族と平民の寄せ集めのクズが!」


 ギランも口を開けたまま、返す言葉を失っていた。

 八時間近くということは……昨日、俺がギランを見つけたとき、どうやらまだマリエットは裏庭で待ち続けていたらしい。

 あのとき、俺だけでも一応確認に向かっていれば、ルルリアが誘拐されることもなかったかもしれない。


「ギ、ギラン、一応謝りましょう? 非を認めないと、まともな話し合いにもならないわ。それに、マリエットは侯爵家……相手を怒らせたら、お互いに損をするわ」


 ヘレーナがギランを説得する。

 ギランもヘレーナを振り返り、悩むように唇を噛んでいた。


「う、うるせぇぞクソ女! こっちはテメェほど暇じゃねえんだよ! 一方的に呼びつけて、ギャーギャー騒ぎやがって!」


 悩んだ結果、怒りが勝ったらしい。

 ヘレーナは自身の顔を両手で覆い、小さく首を振っていた。

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