第43話

 放課後、トイレから教室に戻ってくれば、既にギランの姿がなかった。

 どうやら先にマリエットとの約束の場所へ向かったらしい。


 ルルリアが駆け寄ってきた。


「ア、アインさん、すいません、アインさんが戻って来るまで、他のクラスの子と立ち話をしていたのですが……その間にギランさん、先に向かってしまったようです」


 ……あまりよくないタイミングだった。


 元々、マリエットに呼ばれたのはギラン一人だった。

 だが、相手も一人で待っているわけではないだろう。


 それに喧嘩っ早いギランのことだ。

 相手も、あまり穏やかな雰囲気ではなかった。

 単に協力を断るにしても、ひと悶着あるかもしれない。


「しかし、指名されたのが自分だけだからと単独で動くというのはギランの性格上ありそうなことだが、何の相談もないなんて……。あまりギランらしくないな」


「もしかしたらギランさん……何か問題があったときに、自分一人で責任を背負おうとしているんじゃ……」


 ルルリアが顔を蒼くした。


 有り得ない話じゃない……。

 エッカルトの一件で、下手に授業外の交戦を行えば、厄介なことになるのはわかっていたはずだ。

 そのギランが単独でマリエットの許に向かったとなれば、何かあったときに俺達を巻き込まないための配慮なのかもしれない。


「少しマリエットさんの噂を聞いたんですが、かなり危険な方みたいです。元々〈Cクラス〉は二つの派閥に分かれいたそうですが、この短期間で、クラス全員マリエットさんの下についたそうです。その際に、何人も医務室送りにしているらしい、と……。彼女の実家であるマーガレット侯爵家は、貴族の大派閥のまとめ役だそうですが、どんな些細なことでも敵対したところは、周囲に圧力を掛けて孤立化させて潰すんだとか」


「裏庭に様子を見に行こう。下手に拗れたらどうなるか、わかったものじゃない。協力しないと伝えるにしても、ギランでは恐らく禍根を残す」


「ええ……マリエットさんは、絶対に怒らせてはいけないタイプの人間です」


 ルルリアが頷いた。

 俺はヘレーナも呼ぼうかと教室内を見回したが、彼女の姿は見つからなかった。

 急いだ方がいいだろうと思ったため、二人で向かうことにした。


 だが、階段を降りようとしたとき、ルルリアが声を上げた。


「待ってください、アインさん! 窓から裏庭を見下ろせるのですが、どこにもギランさんの姿も、マリエットさんの姿もありません!」


 俺も戻って、窓から裏庭を確認する。

 できる限り端から端まで見渡したが、誰の姿も確認できなかった。


「移動した……まさか、連れ去られて……!」


 有り得ない話ではない。

 噂に聞くマリエットは、それくらいやりかねない相手だ。


「ルルリアは、校舎内でギランを見た人間がいないか聞き込みしてくれ! 俺は校舎の外を確認してくる!」


「わかりました!」


 俺とルルリアは二手に分かれ、ギランを捜索することにした。


 それから数刻が経過した。日が落ちかかって、空はすっかり夕暮れに包まれ、赤くなっていた。

 ギランが〈Eクラス〉の寮棟裏にいるらしいと聞いた俺達は、その場へと向かって走った。


「ギラン、無事か!」


 俺とルルリアが寮棟の裏側へと辿り着いたとき、ギランの怒声が聞こえてきた。


「わかったぞヘレーナァ! お前には危機感が足りねぇ、気が抜けてやがる! どうせ俺が、刃を止めると思ってんだろ! そうじゃなきゃ、そんなふざけた受け方ができるわけねぇよなァ!」


「そ、そんなことありませんわ! 私だって本気ですもの! 本気ですもの! 私が一番、ヘストレッロ家の家流剣術をものにしたいと思っておりますわ! ただ今のはちょっと、普通にやってもできそうにないから、アレンジを加えてみただけですもの!」


「家流剣術って呼ぶんじゃねえ! なんかイラっと来るんだよ! できるのテメェの父親だけだろうが!」


 ギランとヘレーナが剣の稽古に励んでいた。

 どうやらギランは、今日こそはヘレーナに〈Dクラス〉との戦いで見せた〈龍雲昇〉を再現させようとしているらしい。


「い、一応、曽祖父の剣術が原型だと父様は言っておりましたわ! ですから、家流剣術には違いありませんわ! 一応!」


「ヘレーナァ、テメェは明らかに身が入ってねぇんだよ! 次は本気で振るうからな! 変な受け方したら、医務室送りになると思え!」


「そそそ、それは止めてくださいまし! あーーーっ! アインにルルリア! 助けてくださいませ! ギランが私のことを、ぶっ殺すおつもりですわ!」


 ヘレーナはギランから逃げるように、俺達の許へと走ってきた。


「ギラン、無事で何よりだ。なんだ、マリエットに呼びつけられていたのは、すぐに片付いていたんだな」


「あァ? 何言ってやが……」


 ギランはそこまで言って、顔を顰めた。


「……忘れたぜ。午後の迷宮の講義の後、完全に頭から飛んでた」


 午後に、担任であるトーマスを先頭に集団で学院迷宮へ潜る講義があったのだ。

 トーマスが詳しく迷宮や魔物、迷宮下階層のことについて語ってくれた。

 座学より頭に残りやすかったため、そのせいで昼時のマリエット襲来を忘れてしまったのだろう。


 ルルリアが責めるようにヘレーナを睨んだ。

 ヘレーナはヘレーナで今思い出したらしく、蒼い顔で口許を押さえていた。


「そ、そういえば、お昼にそんな話がありましたわね……。い、今からでも、向かった方が、よろしいんじゃなくって?」


「ハッ、律儀に待ってる訳ねぇだろ、馬鹿か。怪我させねえ程度に適当に脅してやるかと思ってたんだが、チッ、仕方ねぇな。ま、どうせ敵対を伝えるだけだ。変わりねえよ」


 ギランはそう言って、鞘へと剣を戻した。


「今日はこんくらいにするか。アインが寮に戻ってから飯行こうと思ってたら、こんな時間になっちまってたぜ。何やってんだ?」





 ――放課後すぐのこと。

 マリエットは四人の生徒を引き連れ、約束の裏庭に来ていた。


「ギランをどうするおつもりですの、マリエット様?」


 マリエットの傍らを歩く女子生徒、ミシェルが彼女へとそう尋ねた。

 色素の薄い緑髪の、ツインテールの少女であった。

 マリエットとは幼少からの付き合いであり、彼女を深く慕っていた。


「ギラン・ギルフォードは、カマーセン侯爵家の子息を倒して、この短期間でクラス順位を塗り変えて来たのよ。警戒は必要よ。屈服させて、ここで牙を折っておきましょう。後々のためにもね。それに……〈Bクラス〉を沈めるには、クラス外の手駒が必要よ」


「でも……ギルフォード男爵家は、凶狼貴族と恐れられていますの。力で屈服させるのは、少し危険ではありませんの?」


「フフッ、ミシェルは知らないの? 狼の群れは順位制なのよ。一度上と決めた相手には、絶対に頭が上がらないの。ああいう高慢な奴ほど、鼻っ面ヘし折れば従順になるもの……それに、あれくらい反抗的な方が、支配のし甲斐があるってものよ」


 マリエットはそう言い、邪悪な笑みを浮かべた。


「さすがマリエット様ですの!」


「ギランは一対一で実力差を見せつけて心を折って、それで従わなければ複数の暴力で完全に屈服させてやるわ。自分の力を信じている奴ほど、それが折れたときは脆いものよ」


 マリエットは左手を掲げ、力ませる。

 魔力の青い光が、禍々しい爪のように妖しく指先から伸びていた。

 マエリットの魔技、〈魔獣爪〉である。


「さて……あの手の相手を前に、先に着いておくのは避けた方がよさそうね。付け上がらせることになりかねないわ。出てくるまで、ちょっと校舎の陰にでも隠れておきましょうか」


「知略だけでなく、心理戦にも優れているなんて! ギランなんて、マリエット様の敵ではありませんわね!」


「フフ、よしなさい、ミシェル。そんな些細なことでいちいち騒がないで」


 ――それから一時間が経過した。


 マリエット達はとっくに校舎の陰から出て、裏庭の中央にいた。

 二人の男子生徒を椅子にして座り、その上でイライラと扇子を揺らす。


「……随分と、舐めた真似をしてくれるわね。あの犬っころ貴族は。私を全く恐れないなんて、面白いじゃない」


 マリエットはこめかみに青筋を浮かべ、苛立ったように椅子の脚を蹴っていた。


 ――二時間が経過した。


 空には夕焼けの赤が差し始めていた。

 だが、まだギランが現れる様子はない。


「マリエット様……その、場所、伝えてましたの?」


 ミシェルが不安げにマリエットへと尋ねる。


「伝えてたわよ。私が伝えそびれたと言いたいの? ミシェル」


「も、申し訳ございませんの、マリエット様」


 ミシェルがぺこぺこと頭を下げる。


「あの、マリエット様。とりあえず、今日はもう帰りませんの?」


 マリエットは立ち上がり、周囲を見回した。


「……もしかしたら、意外とここが見え辛いのかもしれないわね。貴方、もう少し向こうに立って」


 ――四時間が経過した。


 空はすっかり暗くなっている。

 マリエットは椅子にしていた男子生徒を蹴飛ばして立ち上がり、〈魔獣爪〉で校舎の壁を深く抉った。


「どうやらギランは……相当私を舐めているようね……。いいわ、徹底的に、心を潰してやりましょう。この私を愚弄したこと、深く後悔させてやる。劣等クラス如きに手間を掛けるつもりはなかったけれど、マーガレット侯爵家の第一子として、侮辱には血の制裁を以て返礼してあげるわ……!」


 マリエットは歯軋りを鳴らしながら、そう口にした。

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