第40話
「ひとまずこの一件は、終結したと見てよろしいかと思います、フェルゼン学院長」
学院長の部屋を訪れたトーマスが、フェルゼンへとそう口にする。
フェルゼンは顔の皴を深め、笑みを見せた。
「騎士団から送り込まれてきた、血統主義連中が厄介だったが……一番の過激派だったエッカルトが退職したことで、しばらくは大人しくなるだろう」
元々、エッカルトは王国騎士団の人間であった。
ここ十年で、フェルゼンの手腕によって王立レーダンテ騎士学院は優秀な騎士を多く輩出するようになり、王国内での重要度も増した。
だが、フェルゼンが平民寄りの方針であったため、王国騎士団の血統主義の派閥より怒りを買ったのだ。
表向きには騎士団と学院の繋がりを深めるためとして、牽制と調査を目的に数名の騎士が、教師として派遣された。
その代表がエッカルトであったのだ。
レーダンテ騎士学院としても、王国騎士であるエッカルトを無碍に扱うことはできなかった。
「しかし、王国騎士団の血統主義連中が黙っていますかね。エッカルトが退職させられたとなれば、我々に反感を向けるはず。それに、アインにも目を向けるでしょう。そうなれば、フェルゼン学院長の恐れる、〈禁忌の魔女〉とやらの不興を買うことにも繋がりかねない」
騒動を大きくしたのはアインだ。
だが、その発端は、学院側が騎士団を立てて処罰できなかった、エッカルトの存在にある。
アインは級友のため、エッカルトを確実に追い込める舞台を用意する必要があった。
〈禁忌の魔女〉が一連の騒動を知れば、学院側がエッカルトに好き放題させていたことが原因であると、フェルゼンへ矛先を向けかねない。
「血統主義の連中が今回の件に口を挟み、アインに注目が集まればそうなるだろう。だが、当然、手は打ってある。エッカルトの実家であるエーディヴァン侯爵家にこの儂が直接出向き、前々からの奴の不始末と合わせて伝えておいたわ。連中は顔を真っ蒼にして、エッカルトは身内で処分するため、この件は内密にしてほしいと訴えてきおった」
「と、いうことは……」
「エッカルトの退職は家の事情、儂らが騎士団から責められることは何もない。儂らが迷惑しておったのだから、当然であるがな」
フェルゼンはそう言い、老獪に笑った。
「これで邪魔だった血統主義の連中の発言力を弱め、かつその代表家でもあるエーディヴァン侯爵家に貸しを作ることができた。エーディヴァン侯爵家の名誉が懸かっているため、アインのことも大っぴらに話される心配はない。〈禁忌の魔女〉の逆鱗に触れることもない、というわけだ」
「さすがフェルゼン学院長……たった十年少しで、落ちぶれていた王立レーダンテ騎士学院を立て直したというだけはあります。最近は随分と王国騎士団の顔色を窺っていると思っておりましたが……」
「儂が窺っていたのは、連中の顔色ではなく、機だ。騎士学院と騎士団の仲は、切っても切れん。最低限、顔を立ててやらねばならん面もある。無論、肝心なところを譲る気はないがな。利用していけばいいのだ。アインも、血統主義の連中も。清濁併せ呑み、自身の血肉に変える……。儂はそうやって、今の地位を築いたのだ。学生共にも、そのような強さを求めている」
「……フェルゼン学院長のことを誤解していました。騎士団の圧力に迎合してばかりいるつもりなのかと」
トーマスがフェルゼンへと頭を下げた。
フェルゼンは声を押さえて笑った。
「フン、随分と安く見られていたものだ。この儂が騎士団などに媚びているなど。お前をそれなりには信頼してやっているつもりだったのだが、お前はそうではなかったらしい」
「…………」
「まぁ、見識を改めたのならばよい。下がれ、人と会う約束がある」
「人と会う約束……?」
トーマスが首を傾げたとき、扉をノックする音が響いた。
フェルゼンが椅子から真っ直ぐに立ち上がり、巨体に見合わぬ小走りで扉へと向かう。
常であれば、フェルゼンは相手が大貴族であろうとも、わざわざ自身で出迎えに向かうことはない。
ただ、トーマスはフェルゼンのその動きに、何となく既視感があった。
眉を顰めながら、フェルゼンの背を目で追っていた。
「学院長が呼んでいると、教師の方より聞いた」
アインであった。
フェルゼンは巨躯を丸めて小さくなり、手を揉み、強張った笑みを浮かべる。
ぐっと背を曲げ、猫背へと変わる。
「おお、アイン様! いや、呼びつけるような形になってしまい、申し訳ございませんな。エッカルトの件で正式に儂より謝罪したく、このような場を設けさせていただきました。奴を野放しにしていたのは、その……儂にも立場というものがありましてな。あまりアイン様にちょっかいを掛けないように仕向けようとはしていたのですが、ここまで奴が、無思慮な行動に出ようとは……いやはや……」
さっきまでの威厳はなんだったのか、フェルゼンはぺこぺこと、卑屈なまでにアインに頭を下げる。
多くの生物は、外敵を威嚇するため、身体を張って自身を大きく見せようとするのだという。
ただ、それが敵わない相手であれば、逆に身体を窄めて小さくなり、自身がとるに足らない存在であることを姿で主張し、難を切り抜けようとするのだという。
トーマスはフェルゼンの姿を眺め、ぼんやりとそのことを思い出していた。
「いや、謝りたいのは俺の方だ。無用に騒ぎを大きくした」
「いえいえ、そんなことはございません! あの、この件については、貴族連中があまり公にしたがらないよう、儂が既に手を回しておきましたので! 出過ぎた真似とは存じておりますが、あまり枢機卿様に話が行くのもアイン様にとっては不都合なことかと、控えめに、なるべく素っ気なく文に纏め、聖堂の方へ送らせていただきましたので! アイン様は、何も心配なさらぬように……!」
「迷惑を掛けた、フェルゼン」
アインが頭を下げるのを、フェルゼンは慌てて手で止めた。
「おお、いけません! 勿体ないお言葉……! いえ、儂としても、大いに助かりました! まさか儂が手出しできずにいたエッカルトを、アイン様がこのような形で撃退してくださるとは!」
「助けられたのは俺の方だ。恩に着る」
「〈
トーマスは世辞を並べる機械と化したフェルゼンを睨み、表情を歪めていた。
騎士団に媚を売るなど心外だと口にしていたが、どうやらアインには別だったらしい。
トーマスは舌打ちを鳴らすと、アインを横切って部屋を出ようとした。
「なんだ今の舌打ちは、トーマス。返答次第ではただでは済まさんぞ」
フェルゼンはすくっと腰を上げ、トーマスを睨み付ける。
「アインも騎士団も利用してやると息巻いてたのはなんだったんだ」
トーマスの言葉にフェルゼンは顔を蒼くし、再び素早く身を縮める。
「ちっ、違うのです、アイン様、それは……!」
トーマスは溜め息を吐き、部屋を出ていった。
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