第34話
「じっ、次鋒戦の勝者! ヘレーナ・ヘストレッロ!」
審判員達がそう宣言した。
訓練場に、歓声が響き渡る。
「やっ、やりましたよアインさん!」
感極まったのか、ルルリアが俺へと抱き着いてきた。
彼女の目に涙が浮かび、赤くなっていた。
「ヘレーナさんが! ヘレーナさんが、ハルゲンを倒しました! あのヘレーナさんが!」
「……『あの』は、余計だぞ?」
ルルリアが、さらっと酷いことを口にした。
気持ちはわからないでもないが……。
ヘレーナの剣技は未完成だと、俺はそう思っていた。
隙があまりに大きいのだ。
ヘレーナの剣は、相手がリスクを冒さずに攻め込める範囲があまりに広い。
最初は未熟さのためかと思ったが、隙の大きい型なのだと気が付いた。
正確にいえば、隙が大きいのではない。相手の剣を誘い込み、誘導しているのだ。
そこで相手の動きの幅を狭め、読み切り、返し技で仕留める。
魔技にほとんど頼らない、極めた技量によって戦う技なのだ。
残酷なことに、ヘレーナには、相手の誘導した剣を捌く、一番最後の大事な部分が欠けていた。
この剣術の型でさえなければ、ヘレーナは上のクラスだったかもしれないくらいだ。
だが、逆にその最後さえ整えば、ヘレーナならば〈Dクラス〉の二番手であるハルゲン相手にも通用すると思っていた。
しかし、魔術のルルリアに、剣技のヘレーナ、魔技のギランか。
見事に三人の得意分野が分かれていた。
さっきまで嬉々として声を上げていたエッカルトは、へなへなと床へと崩れ落ちた。
「す、すげぇ、なんだ今の技! 見ました、カンデラさん! 天井! 天井に突き刺さってますよ! 剣!」
デップは口を開けて天井に刺さった模擬剣を眺めたまま、身体全体を使って大きな拍手をヘレーナへと送っていた。
「ふざけてるのか貴様ァ!」
エッカルトがデップを怒鳴りつけた。
デップはびくりと身を縮め、拍手を止める。
「何故だ! 何故、ヘレーナを勝者として宣言した、審判共ォ!」
エッカルトはエドモンを睨み付け、声を一層と荒げた。
「エ、エッカルト先生! あれは明らかに、ヘレーナさんの勝利です! 返し技で剣を奪われ、続く剣で体勢を奪われ、真剣であれば確実に死んでいた一撃を受けていたのです。そこに何の不服が挟めると……あると、言うのですか?」
エドモンは必死にエッカルトを宥める。
「だ、だってだ、あったであろう! ハルゲンが勝っていた瞬間が! いくらでも! じゃあハルゲンの勝ちであろうに!」
エッカルトは、気が触れたように、ハルゲンの勝ちを主張し続ける。
ギランは訓練場全体に響き渡るように、大きな溜め息を吐いた。
「馬鹿か、エッカルト。甚振ってたから勝ちにしろって、騎士道精神違反の自己申告だろうが」
「犬っころ貴族のガキは黙っているがいい! 騎士道精神に違反しているかどうかなど、審判の主観であろうが! エドモン、答えるのだ! どちらの勝ちか!」
「第一、戦地で敵甚振って反撃で腹割かれたら、負け以外のなんでもないだろうがよ」
「貴様は黙っているがいいと、言っているだろうが! 私はエドモン先生らに問うているのだ!」
エッカルトが顔を真っ赤にして叫ぶ。
だが、審判の三人全員が顔を逸らしていた。
ルルリアの件は、確かにルールの見落としを責められる落ち度があったといえる。
しかし、この次鋒戦は、何をどうひっくり返して考えても、ハルゲンの勝ちにはなりようがないのだ。
「よかった……よかったです……。私、みんな退学になって、離れ離れになっちゃうんじゃないかって……」
ルルリアが、俺の服を掴む力を強める。
「ルルリア、気持ちを抑える術が欲しいのはわかるが、そろそろ離れるべきだ。皆が見ているぞ」
俺の言葉に、ルルリアはようやく自分が何をしているのかに気が付いたらしく、顔を真っ赤にして俺から離れた。
「すす、すいません! アインさん!」
しかし、気になることがあった。
ヘレーナの様子が妙なのだ。
対戦相手のハルゲンが未だに呆然と床に倒れたままなのはまだわかる。
戦いを制した側であるヘレーナが、無表情で固まったままなのだ。
「ヘレーナ……?」
ヘレーナの無表情が一気に溶け、彼女の目から大粒の涙が零れ始めた。
「かっ、かかかか、勝ちましたわ! 勝ちましたわ! 絶対、もう絶対駄目だと思っていましたのに! 私が、私が勝ちましたわ! 三大絶技は、十年近く研鑽を積んで、たったの一度も成功したことがない技でしたのに! 父様……父様、私、不出来な娘でしたけれど、ついにやりましたわ!」
ヘレーナは泣きながら満面の笑顔を浮かべ、俺達へと大きく手を振った。
「みっ、見たかしら、この筋肉ハゲ達磨! フフン、散々馬鹿にしてくれましたけれど! ちょっと私が本気を出せば、こんなものでしてよ!」
……一気に元のヘレーナへと戻った。
単に、襲い来る感情の波を、彼女自身が処理しきれなくなっていただけなのかもしれない。
ヘレーナはスキップしながら俺達の許へと戻ってきた。
その頃には涙もとっくに止まっていた。
「見ていましたわよね、アイン、ルルリア! どうかしら! これが私の真の実力ですわ! このヘレーナを、もっと崇め、讃え、褒めてくれたってかまわなくってよ!」
ヘレーナが大きく胸を張る。
ヘレーナの後ろからぬっと現れたギランが、彼女へと強引に肩を組んだ。
「いい技だったじゃねぇか、ヘレーナ。ぜひもう一度、お前と模擬戦をしてぇもんだなァ」
「そ、それはちょっと……。えっと、あのハルゲンの最後の剣は、速かったですけれど、単調でしたから……。ギ、ギランの訓練の相手は、アインにお任せしますわ」
ヘレーナが引き吊った表情で、媚びた笑みを浮かべた。
……さっきまでは格好よかったのだが、やっぱりヘレーナはヘレーナらしい。
「ハルゲン! 貴様もどういうことであるか! 散々遊んで、なんだあの無様な敗北は! わかっておるのであるか? 迷宮演習の件だけでも歴史的な大敗だというのに……この決闘で敗れれば、私も貴様らも、学院どころか貴族界の笑い者であるぞ! どれだけ私の顔に泥を塗るつもりであるか!」
エッカルトは、倒れていたハルゲンの襟元を掴み、強引に起こして罵声を浴びせた。
ハルゲンが戦いを長引かせていたのは、エッカルトの指示だったはずだ。
だというのに、ハルゲンはただ黙って暴言に耐えていた。
「このハゲが……!」
エッカルトが手を上げる。
「エッカルト先生、大丈夫ですよ。僕は、勝ちますから。カマーセン侯爵家の子息である僕が、凶狼貴族の子息なんかに負けるわけがないでしょう」
カンデラがエッカルトの背へと声を掛ける。
「そう言っていて、先の二人はあのザマであるぞ! わかっておるだろうな! 貴様が敗れれば、大将はアレなのだぞ! アレ!」
エッカルトはデップを指差す。
デップは不思議そうに首を傾げた後、腕を組んで胸を張った。
「よくわかりませんが、エッカルト先生、任せてください。俺とカンデラさんは勝つんで、三勝で終わりですよ」
エッカルトとカンデラは何か言いたげな表情を浮かべていたが、二人共デップに言葉を返すことはなかった。
「……しかし、しかしだ、カンデラ君、万が一……いや、億が一にも、この戦いで負けるわけにはいかんのであるぞ? ギランと君と剣技は、正直五分だと私は見ている。何故、カンデラ君とハルゲンを前の二人にぶつけなかったのか、私は疑問だったのだ。結果的にハルゲンは敗れたが、戦法としてはそれが一番確実であったはずだ」
「相性ですよ、エッカルト先生。ギランは、僕には絶対に勝てない」
カンデラは大きく口を開き、ギランを見て笑った。
「それじゃ、カンデラのクソを捻り潰してくるぜ。消化試合みたいなもんだがなァ」
ギランもまた、カンデラへと不敵な笑みを向けた。
「油断はするな。何か、策があるのかもしれない。そうじゃなくても、審判に揚げ足を取られたら終わりだ」
「わかってるぜ。一分も文句を挟む隙がねえように、完璧に叩き伏せてやらァ」
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