第33話
「嘘でしょう……? 今の、ルルリアの負けになるの……?」
ヘレーナは呆然と呟いた。
先鋒戦で敗北扱いにされたルルリアが、アインに肩を支えられて戻って来る。
声を掛けてあげたかったが、そんな余裕はなかった。
次鋒戦はヘレーナの出番である。
対戦相手は、禿げ頭が特徴的な大男、ハルゲン・ハーゲストだ。
「……ハルゲンは、入学試験で〈Dクラス〉のトップだった男だ。入学試験時、カンデラは負傷していて大きなハンデを背負っていたそうだから、奴より上だとは限らないがな」
トーマスがヘレーナへと残酷な事実を告げる。
ヘレーナは表情を蒼白とさせた。
「チッ……ヘレーナァ! ただで負けるくらいなら、あのハゲ男をぶっ殺して反則負けで戻ってこい! 舐められたまま終われるかよ!」
ギランがヘレーナへと無茶なことを言う。
ただ、ヘレーナは思考が半分停止していたため、黙ってこくこくと頷いた。
「……ヘレーナ、重く考えすぎないでくれ。もし二敗取られても……俺がどうにか、三人が学院に残れるよう、学院長に頼み込んでみる。あまり切りたくはないが、奥の手があるんだ」
アインはヘレーナの許へと来て、そう零した。
「ア、アイン……でも、三人って……」
アインは気まずげに顔を逸らす。
言うかどうか悩んだのか、少し逡巡した様子を見せた後、口を開いた。
「そのときは……俺は残れない。学院長との関係が表沙汰になりかねない事態になったら、俺は戻されるだろう。だが、それでも、ヘレーナ達に会えて本当によかったと思っている」
普段はあまり表情を変えないアインが、そう口にしてヘレーナへと笑いかけた。
「アイン……」
ヘレーナは通り過ぎていくアインの背へとそう呟いた後、キッと口を結び、自身の頬を叩いた。
「わ、私、絶対に勝って来ますわ! ヘストレッロ家の剣士が、あんなハゲ男に負ける道理はなくってよ!」
ヘレーナは大声で、高らかにそう宣言した。
アインはヘレーナを振り返り、もう一度彼女へと笑い掛けた。
「ああ、ヘレーナ、頑張ってくれ」
ヘレーナはハルゲンと向かい合った。
「次鋒戦、〈Eクラス〉ヘレーナ・ヘストレッロ……〈Dクラス〉、ハルゲン・ハーゲスト」
主審役のエドモンの声に、ヘレーナとハルゲンが同時に模擬剣を構える。
互いの剣先が、両者を捉えた。
「先の戦いでは、危ういところを見せてしまった。だが、ヘレーナ君は劣等クラスの中でも、最弱の生徒……ルルリア君とは違う。そこに、〈Dクラス〉の二番手であるハルゲン君をぶつけたのだ。わかっているな? この戦いこそ、圧倒的に力差を見せつけて叩き潰すのである!」
エッカルトの言葉に、ハルゲンが笑みを浮かべた。
「と、いうことだ。この俺は、女だからと手加減はしない」
「貴方方なんて、私達相手に、卑劣な手を使わないと、手も足も出ないんじゃないですの! でも、丁度いいハンデですわ! お情けで最下位クラスから外された貴方方が、ルルリアやこの私と対等に戦えるわけがありませんものね! ヘストレッロ家の剣術の前に、沈めてさしあげますわ!」
ハルゲンが表情を歪めた。
エッカルトも鬼のような形相で、ヘレーナを睨んでいる。
だが、ことこの場に限っては、一切反論ができなかった。
ルルリアを強引に負けにした直後だからである。
ここで何かを言い返せば、その言葉には先鋒戦の戦いが過る。
「よく言ったぞ、ヘレーナァ!」
ギランが野次を飛ばす。
それに続き、〈Eクラス〉の生徒達からエッカルト達への非難の声が飛んだ。
「ぶっ殺してやる……劣等クラスの、紛い物貴族が!」
次鋒戦の開始と同時に、ハルゲンは咆哮を上げながら、ヘレーナへと斬り掛かる。
ヘレーナは辛うじて防いだが、速度が間に合っていない。
おまけに力負けし、後方に大きく弾かれていた。
「ううっ……!」
体勢が整っていないヘレーナへと、追撃が叩き込まれる。
ヘレーナは二打目で既に、辛うじて防ぐのがせいいっぱいになっていた。
振るわれるハルゲンの三打目、これはもう、防ぐのも避けるのも不可能だった。
間に合わないと思いながら、剣を戻す。
何故か、間に合った。
だが、その代わりにヘレーナの身体は、後方へと飛ばされた。
ヘレーナは腰から床に叩きつけられ、弱々しく立ち上がった。
その間、ハルゲンの追撃は来なかった。
「貴方……何のつもりですの……? わざと決定打を、二度も見逃すだなんて」
「エッカルト先生の指示だ。力差を誇示して勝て、とな。ハハハ、楽に負けられると思ったか? 怨むなよ、騎士爵の似非令嬢。俺だって甚振るのは趣味じゃないが、俺を侮辱したお前が悪いんだぜ」
ヘレーナは痛みに耐えながら、ハルゲンへと剣を構える。
――ヘレーナが騎士を志した理由は、父親に認められたいからであった。
平民ながらに騎士に昇り詰めて貴族の位階を得たヘレーナの父は、彼女から見ても傑物であった。
多くの魔技は門外不出である。
また、どのような魔技を扱えるかは、その家系の魔力の性質にも依存する。
平民であったヘレーナの父には、特別な魔技や魔法の才はなかった。
ただ、突出した剣の才覚があった。
〈魔循〉の差による速度と膂力の差、それを覆すための剣技をほぼ我流で編み出し、研鑽を重ねていた。
出遅れて先手を取れないのならば、後の先、返し技でいい。
膂力が足りないのならば、相手の力を利用すればいい。
『……ヘレーナ、お前の母は、もういない。お前は女だが、俺の後を継ぎ……ヘストレッロ騎士爵家を存続させるのだ。この私の人生を捧げて編み出した技を身に着け、俺に認められる騎士となれ』
ヘレーナは、父親の編み出した剣の絶技と共に、地位を受け継ぐ。
そのはずであった。
ただ、ヘレーナは、非凡であった父の技を会得することはできなかった。
魔力に充分に恵まれないまま平民より貴族に成り上がった父。
父親に認められたいだけで、言われたことをやるだけのヘレーナ。
そこには覆しがたい、大きな差があったのだ。
ヘレーナは王立レーダンテ騎士学院から落ちていてもおかしくはなかった。
アインを除けば学年中最下位の成績である。
仮に平民であれば、容赦なく落とされていただろう。
ヘレーナがハルゲンの剣に弾き飛ばされる。
何度目になるかわからない光景であった。
初めはもっとやれと囃し立てていた〈Dクラス〉の生徒達も、ヘレーナのあまりに痛ましい姿に言葉を失っていた。
「いいぞ、ハルゲンよ! 劣等クラス共に教えてやるがいい、私に刃向かえばあのようになるのだと!」
静まり返った訓練場に、エッカルトの笑い声だけが響いていた。
「ほう、ついに降参しなかったとはな。その姿勢だけは褒めてやろう。だが、剣技は思ったよりマシだったが、〈魔循〉が絶望的だな。劣等クラスと言えど、この学院にお前如きの居場所などない」
「だ、誰が、降参なんかしますの。このくらい、大したことありませんわ。こんなのがクラス内の二番手だなんて、〈Dクラス〉の実力にはがっかりですわね」
普段なら、とっくに折れていただろう。
言動と実力の薄っぺらさは、ヘレーナ自身が理解していた。
騎士になりたいのも、一応は貴族であるという地位を失いたくないのと、周囲から認められたいがためのことでしかなかった。
ただ、今、この場は違う。
自分が負ければ、他の三人が汚名を着せられたまま退学となることが決定する。
ヘレーナが初めて、他人のために戦いたいと、そう思った戦いであった。
「ならば、本気で叩き潰してやろう……。俺は膂力を強化する魔技……〈剛魔〉を使える。わかるか? 今までは、実力の半分も出していなかったということだ。やり過ぎだと判断されれば反則になりかねないが、どうせエッカルト先生の手前、止められることはせんだろう」
ハルゲンの纏う雰囲気が一変した。
ただでさえ分厚い筋肉が、更に膨張し、力強く張った。
「お前の剣は、所詮は平民の剣だ! 才能のないものが辿り着く、小細工に過ぎん! 〈魔循〉による裏打ちの薄い、技頼りでしかない剣では、限界など最初から見えている。騎士爵から平民に戻って、せいぜい村の魔物退治でもやっているがいい! それがお似合いだ! それを俺が、この一撃で証明してやろう!」
ハルゲンはその剛力から、豪速の剣をヘレーナへと叩きつけた。
ハルゲンの剣が、ヘレーナの剣に当たる。
このまま圧倒的な力で剣を弾き、ヘレーナを叩き潰す。
そのはずであった。誰もが、そうなると思っていた。
がくんと、ハルゲンの身体が前のめりになった。
下にあったはずのヘレーナの剣が、ハルゲンの剣を上から押さえつける形になっていた。
ヘレーナの剣がハルゲンの剣に纏わりつき、弧を描く。
絡め捕られたハルゲンの剣は、そのまま上へと真っ直ぐに払い飛ばされた。
ハルゲンの剣は、模擬剣であるにも関わらず、高い天井へと突き刺さった。
〈剛魔〉によって高めた力を、そのまま利用されたのだ。
「……ヘストレッロ家三大絶技の一つ、〈龍雲昇〉」
ヘレーナが呟く。
ハルゲンは何が起きたかわからないまま、後退りした。
その足をヘレーナが綺麗に払って転ばし、腹部に剣の一撃を叩き付けた。
ハルゲンの硬い筋肉に木の刃が当たり、カァンと心地よい音を響かせた。
「雲を裂いて空へ昇るドラゴンに見立て、父が付けた名ですわ」
ヘレーナは、これまで一度も成功したことのなかった技の説明を、淡々と口にした。
ハルゲンは聞いているのか聞いていないのか、ただ茫然とヘレーナを見上げていた。
少し、沈黙があった。
「どうなんだァ! 審判共! これはどっちの勝ちなんだよ!」
ギランが挑発するように叫ぶ。
「じっ、次鋒戦の勝者! ヘレーナ・ヘストレッロ!」
訓練場に、歓声が響き渡った。
さっきまで嬉々として声を上げていたエッカルトは、へなへなと床へと崩れ落ちた。
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