第32話

「此度は例外的に決闘の校則を適用することになった。だが、あの校則は本来、学院改革の際に、フェルゼン学院長が実験的に取り入れたもの……。特に今回の件は諍いが発端であり、双方に怨恨があるものと考えている。精神面、技量面共に未熟な一年生同士を、入学早々のこの時期に、このような形で競わせれば、重傷者が出かねない」


 主審役のエドモンが声を張り上げ、俺達にそう説明する。


「……なんだァ? ここまで来て、決闘を中断させるつもりか?」


 ギランが鬱陶しそうにエドモンを睨む。

 聞こえているはずだが、エドモンはギランの文句に反応を示さない。


「そこで今回は模擬剣での決闘として、相手を死傷させかねない一撃は禁じ手とする。真剣であれば勝敗を決していたであろう打突、それを我々が審判員として判断し、そのまま決闘の勝敗とする。また、当然のことながら、騎士道精神に反する行いにも厳しい対応を行う」


「ちょっと待て! そりゃ型のお稽古かァ? 冗談じゃねえぜ! そんな曖昧な勝敗、審判員の手心次第じゃねえかよ!」


 ギランが反発する。

 審判員の三人の教師は、エッカルトと同じ血統主義派閥の人間だという話だった。

 その三人に好き勝手に審判されれば、俺達にとって更に不利な戦いとなる。


「元々、決闘の審判に三人も用いているのは、上級貴族の多い学生の中から、死傷者を出さないための措置だ。それも今回は、カマーセン侯爵家の子息がいる。入学当初にこのような問題ごとを起こした劣等クラスが相手となれば、当然の措置だろう?」


 エドモンが鬱陶しそうに答える。

 ギランの顔が引き攣った。


「まだわかっていないようであるな、ギランくぅん。これが我々を……上級貴族を、敵に回すということの意味だよ。私に刃向かった時点で、君達の運命は決まっていたのだ。いや、馬鹿な君の父親が刃向かった時点で、とでも言うべきか?」


 エッカルトが大きく肩を竦め、ニヤニヤと笑みを浮かべる。


 ギランがエッカルトに掴み掛かろうと向かったのを、ルルリアが止めに入った。


「大丈夫です、ギランさん。魔術の方にさして制限が掛からないのなら、私は問題ありません。ギランさんも、アインさんも、こんな制限くらい何ともないって、私、信じていますから」


 ルルリアはそう言って、先鋒戦の相手のクロエを睨んだ。


 確かに一対一の決闘形式であれば、基本的には高火力魔術で相手を死傷させるより、最低限の威力の魔術で相手の隙を作って剣術で戦った方が確実だ。

 そういう意味では、今回の決闘の『魔術で重傷を負わせてはならない』という枷は、実質的にないに等しい。

 プラスに考えれば、魔術制御に長けたルルリアにとっては、若干このルールは有利とまでいえるかもしれない。


「先鋒戦は、〈Eクラス〉ルルリア……〈Dクラス〉、クロエ・クレンドン」


 エドモンの言葉で、ルルリアとクロエが前に出た。


 クロエは小柄な、目付きの悪い女だった。

 黒髪で、三つ編みのおさげが垂れている。


「俺達は二敗できねぇ。俺はカンデラなんぞに負ける気はねぇし、連中はアインとの大将戦を端から捨ててやがる。そんでもって、ウチのヘレーナはあのザマだ」


 ギランが指でヘレーナを示す。

 ヘレーナの目は、敵側の次鋒であるハルゲンの、その屈強な肉体に釘付けになっていた。

 恐怖からか、身体がぷるぷると震えている。


「こりゃ、実質、先鋒戦が全てだなァ」


 ギランが溜め息を吐く。


「大丈夫だ。付け焼刃とはいえ、俺は昨日、ルルリアとヘレーナの訓練に付き合った。ルルリアもヘレーナも、充分〈Dクラス〉の生徒に対抗できる力を持っている……」


 俺はそこまで言ってから、もう一度ヘレーナを見た。


「ルルリア、お願いしますわ! お願いしますわ! 絶対に勝ってくださいまし……! 一敗の状態で私に回ってきたら、お終いですことよ……!」


 ヘレーナは目に涙を滲ませ、ルルリアへと祈っていた。


「……多分」


 俺はそう付け加えた。

 ギランががっくりと肩を落とす。


「ルルリア……ね。恨みはないけど、アタシにも立場ってものがある。悪いけど、負けられないのよ」


 クロエは受け取った木製の模擬剣を軽く振るい、ルルリアを睨んだ。

 それから後ろ目に、エッカルトとカンデラの姿を確認していた。


「私もそれは、同じことです。状況が状況ですから難しいですが、恨みっこなしでいきましょう」


「考え方が甘いわね。そんなことを気にしている余裕が、アンタにあるの? ルルリア、私は今、勝つことしか考えていないわよ」


 ルルリアとクロエの剣先が、同時に相手を捉える。


「先鋒戦、始め!」


 エドモンの宣言で、両者が同時に動き出す。

 クロエは姿勢を落とし、一直線にルルリアへの間合いを詰める。

 ルルリアは後ろに跳んで間合いを稼ぎつつ、魔法陣を紡ぐ。


下級魔術ランク2〈ファイアスフィア〉!」


 ルルリアの剣先に展開された魔法陣の中央より、炎球が放たれた。

 クロエは舌打ちと共に横へ跳び、それを回避する。


 その間にルルリアは、二発目の〈ファイアスフィア)をクロエへと放つ。

 クロエは辛うじて背後へ跳んで避けたが、さっきよりもギリギリのタイミングだった。


 更に放たれた三発目を、クロエは屈んで回避した。

 だが、頬に炎が掠めていた。


「その避け方は、危ないのでお勧めできませんよ、クロエさん」


 ルルリアの言葉に、クロエが唇を噛む。


「近づく猶予がない……。この子、こんなに強かったの……?」


 審判員の教師三人も、ルルリアの魔術の腕を前に息を呑んでいた。


 エッカルトは露骨に苛立った表情を浮かべ、食い入るようにクロエを睨み付ける。


「何故、その程度の連弾に潜り込めないのだ! クロエ君、私の顔を潰すつもりであるかっ!」


「エッカルトは考えが甘かったな。あいつは平民軽視が極端過ぎる。血統主義派閥が強くなってきたこの学院に、〈Eクラス〉とはいえ平民ながらにクラストップに入るルルリアが、無才なわけがないというのに。ルルリアは、明らかに天才の類だ」


 トーマスがそう零した。


「チッ! ちょっと〈魔循〉がマシだったから僕の班に入れてやっていたというのに、劣等クラス相手に何たるザマだ! 君は実家の貧乏クレンドン男爵家のために、この僕とコネを作りたかったんだろうけれど……こんな大事な決闘で無様に負けるようなら、君の行いはマイナスに働くと思えよ! わかってるだろうねぇ!」


 カンデラが戦っているクロエへと叫ぶ。


 クロエは唇を噛み、大きく後退した。


「近づけないなら、中距離戦で……!」


 クロエが魔法陣を紡ぐ。


 だが、それは明らかに失策だった。

 クロエには明らかに、ルルリアと魔術勝負ができる技量はない。

 発動する前に、ルルリアの放った炎球がクロエの手許へと飛来する。


「ぐっ!」


 クロエは紡ぎかけた魔法陣を崩し、背後へ逃れようとした。

 だが、爆風に巻き込まれ、体勢が崩れた。

 そこへルルリアが、次の魔法陣を紡ぎながら距離を詰める。


初歩魔術ランク1〈アクアスプラッシュ〉!」


 拡散する水が、クロエへと襲い来る。

 

「このっ!」


 クロエは視界が飛沫に潰されている中、水を浴びながらも我武者羅に剣を振るう。

 彼女の刃が、宙を斬る。

 その直後、ルルリアはクロエの死角に回り込み、彼女の首へと刃を突き付けた。

 刃が優しく、クロエの首へと触れるように叩いた。


「……終わりです、クロエさん」


「わ、私が、負けた……。劣等クラスの、平民相手に……」


 現状を確認するように、クロエが力なく呟く。

 応援に来ていた〈Eクラス〉の生徒達が湧き、逆に〈Dクラス〉の生徒達は皆、葬儀のように押し黙っていた。


「ほう……やるじゃねぇか、ルルリア。これで俺達の勝ちは、決まったようなもんだなァ」


 ギランが楽しげに笑う。


「ふざけるなよクロエ! 何というザマだこれはぁっ!」


 エッカルトが叫び声を上げる。

 カンデラも、鼻に皴を寄せ、無言で舌打ちをしていた。


 歓声の中、ルルリアが俺達の許へと向かってくる。


「かっ、勝ちました! アインさん……私、無事に勝てました!」


「よく頑張った、ルルリア。これで団体戦に、かなり余裕ができた」


 そのとき、ルルリアの背後より、殺気を感じた。

 クロエが、模擬剣の柄を強く握り締め、鋭い目つきでルルリアの背を睨んでいた。


「負けられ、なかったのに……負けるわけには……!」


 次の瞬間、クロエは床を蹴り、ルルリアの後頭部へと剣を振るった。

 俺は間に分け入り、剣の柄で彼女の刃を止めた。


「決闘は終わった。何の真似だ?」


「う、うう……ううう……」


 クロエは呻き声を上げながら、床へとへたり込んだ。


「いや……決闘は、終わっていなかった。そうであろう?」


 クロエの突然の凶行に生じた沈黙を、エッカルトの声が破った。

 見に来た生徒達も、審判員の教師達も、誰もが『こいつは何を言っているんだ』という目でエッカルトを見ていた。


「真剣であれば、有効であった打突……それが、今回の決闘のルールであろう? 劣等クラスのルルリア君の刃は、打突とは言えなかった。微かに触れるような、弱いものだった。そう、そうである! 審判員達も、誰も、勝敗が決したとは口にしていなかったではないか!」


 詭弁だ。

 勝敗が明確だったことは、ここにいる誰もが確信したことだった。

 そもそも、他の誰でもないクロエが、自身の敗北を口にしていたのだ。

 仮にうなじにまともに打突が入れば、模擬剣とはいえ大事に至る可能性もある。


 審判員の一人が、言い辛そうに口を開いた。


「エッカルト先生、それは流石に……。この決闘では、騎士道精神を重んじる。クロエさんは、自身の口で一度敗北を認められた。それに、背後を見せた相手への後頭部への一撃……今回のルールである、死傷させかねない攻撃を禁じること、そして騎士道精神の遵守、その双方を破っている。エッカルト先生のお言葉とは言え、それを曲げるわけには……」


「いや、エッカルト先生の言う通りだ」


 主審役のエドモンが、彼の言葉を遮ってそう口にした。


「今回のルールは、大前提が真剣であれば有効な打突。明らかにそれを満たしてはいなかった。クロエさんが認めたというのも、納得ができない。小声で何かを呟いていたようだったが……それは本当に、敗北を認めた言葉だったか? そもそも相手に負けを認める言葉ではなく、独り言の類のように思えたが?」


 エドモンは無表情で、そう言い切った。


「そ、そうです……そうでした! 後頭部への一撃が騎士道精神に反していると言いましたが、決闘中に突然背を見せればそれも仕方のないことでは?」


 三人目の審判員が、口を挟む。

 エドモンが急いたように頷いた。


「先鋒戦、クロエ・クレンドンの勝利!」


 エドモンが強引に言い切った。

 一瞬静まり返った訓練場が、〈Eクラス〉の生徒達によるブーイングの嵐になった。


「ハ、ハハハハ! そう、そうだ! 過程がどうであろうと、勝てばいいのである! よくやってくれた、クロエ君」


 エッカルトが笑い声を上げる。

 ただ、肝心のクロエは、訓練場の中央で、茫然と立ち尽くしていた。


「奴ら、なんでもありかよ! 一切言い逃れの余地なく、叩き潰さねぇといけないってことじゃねぇかァ!」


 ギランが声を荒げる。


「ア、アインさん、私……絶対に負けちゃいけなかったのに、こんな……」


 ルルリアが力なく零す。

 声が震えていた。

 俺はルルリアの背を撫でた。


「俺も見落としていた。気づいていれば、忠告もできたんだが。ルルリアは本当よく頑張ってくれた。後は、俺達に任せてくれ」


 俺達は今回、一回しか負けられない。

 団体戦の勝負の行方は……次鋒戦、ヘレーナに託された。

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