第10話

 合格発表と同時期、王立レーダンテ騎士学院にて。

 教師の一人であり、アインの第二試験、第三試験を担当したトーマスは、学院長であるフェルゼンの部屋を訪れた。


 フェルゼンは大柄の老人であり、百歳を超えている。

 二メートル近い体躯を持ち、腕や指も太く、大きい。

 頭頂部は禿げ上がっており、頭の両側から長い白髪が垂れ下がっている。

 金色の瞳は常にぎらぎらと輝いており、かつて〈金龍章〉持ちの騎士、〈金龍騎士〉だった頃の貫録を持っていた。


「フェルゼン学院長、戦地じゃ綺麗言や権威は役に立ちません。俺は貴方の実力重視の思想、容赦ない教育方針に共感していました。だが、ここ数年は貴族の機嫌を窺ってばかり。正直、がっかりしていますよ」


「フン、若造が。この学院が結果を出せば、それだけ権威を持つ。それを利用しようと擦り寄ってくる貴族が現れるのは当然のことだ。この儂が学院長になってから年々そういった輩は増えておる。それらを全て敵に回すのは、労力と利益が見合っておらんというだけだ」


「だが、限度が過ぎてるんじゃないですか? 今回の入学試験……成績を強引に調整して、劣等クラスと馬鹿にされている〈Eクラス〉に平民を集め、他クラスの貴族に見下させることで、留飲を下げさせるつもりなんでしょう?」


「色々な兼ね合いの結果、そうなったというだけの話だ。平民が騎士を志すことに反発しておる貴族も多い。だが、平民でもずば抜けた能力を持つ者は他のクラスに配置しておる。そもそも、騎士になったとしても、平民いびりは存在するわい。学院で馬鹿にされた程度で折れる平民であれば、最初から志す資格などない」


 フェルゼンはやや呆れたようにそう口にする。


「……言い訳です。それは結局、学院の実力重視の理念に反している」


「話はそれだけか? 失せよ、トーマス。この後、客人を招いておる」


「いえ、まだですよ。俺が第二試験と第三試験で満点を付けた平民が、最下位になっていた理由をお聞きしたいのですが」


 アインのことである。

 第二試験で放った魔術は的から外してこそものの、現役の騎士顔負けの威力の魔術を有していた。

 おまけに彼は特級魔術ランク5を使ってみせた。


 学生の扱える魔術など、例年では下級魔術ランク2、よくて中級魔術ランク3までである。

 特級魔術ランク5を行使できるのは、〈金龍騎士〉の中でも魔術に長けた者くらいだ。


 第三試験でも、彼は明らかに戦闘慣れしていた。

 格上であるはずの騎士カーズが、ただの受験生相手に終始翻弄されていたのだ。

 戦いの一部を見ていたトーマスにも、一切アインの底が見えなかった。


「フン、平民の点数は下げて付けよと、事前に散々言ったはずだ。それなのにあんな戯けた点数を持ち出すとはな。居合わせた他教師に再採点を投げたまでのことだ。いいかトーマス、この学院は、儂の国だ。儂に従えぬ者は、この学院にいる権利はない。この忠告に、二度目はないぞ」


「フェルゼン学院長、質問の答えになっていません。納得できる答えがないのなら、俺はここを去るつもりでいます。あの学生を〈Eクラス〉にするのは、王国にとっても損失になるはずです。実力主義がモットーで残酷な制度が多いことは理解している。だが、学院の権威が増すに連れてしがらみや圧力が増え、ここ数年はその制度が、ただの平民いびりになりつつある。あの学生を最低成績に改竄したのは、平民を学院の象徴となるトップにしないためですか?」


 フェルゼンはしばらく沈黙した後、口端を吊り上げて笑った。


「そこまで言うのならば教えてやろう。だが、聞いたからには、お前は今年の〈Eクラス〉の……アレの担任になってもらうぞ。元々、教師の一部には話さねばならんことだった」


「は……?」


 トーマスはフェルゼンの言葉が理解できず、表情を歪める。

 フェルゼンはトーマスの了解を待たずに、再び口を開いた。


「アレに関しては、血統主義連中の圧力は一切関係ない。アレを最低成績で入学させること、そして極力目立たせぬように三年間補佐を行うこと、それが〈禁忌の魔女〉からの命令だった」


「な、何の話をしているんですか? その〈禁忌の魔女〉とは?」


「前代の戦争以来、百年以上に渡って王家と教会を支配し続ける怪人だ。百の偽名と仮面を持ち、表には決して姿を見せない。下手に存在を口にすれば、それだけで命を狙われかねないこの王国の闇だ。その怪人より、『私の大事な子だから面倒を見てほしい』と手紙が届いた。それがあの小僧だ」


「な、な、な……」


 トーマスは、思わぬ話に開いた口が塞がらなかった。

 確かにその〈禁忌の魔女〉の話は、朧気ながらに聞いたことはあった。

 王国を支配する裏の人間がいるのだ、と。

 だが、ただのくだらない、怪奇話の類であると思っていた。


 フェルゼンはトーマスの反応を楽しむように豪快に笑う。


「うっかり余計なことをして、魔女の不興を買わぬことだな。そのときは、お前も、この学院も、ただでは済まぬだろうよ」


 とんでもないことに巻き込まれたと、トーマスはそう思った。

 今のが与太話でないことは、アインの明らかに異常な実力がそれを裏付けていた。

 傲岸不遜で恐れ知らずなフェルゼンが、ここまで口にするのだ。


「さて、儂は人と会う約束があると言ったな? 話はここまでだ」


「待ってください、フェルゼン学院長。まだ、俺の頭の中では整理できていません」


 そのとき、ノックの音が響いた。

 フェルゼンの顔から一気に笑みが失せた。

 すくっと立ち上がると、小走りで入口へと向かった。


「フェルゼン学院長……?」


 フェルゼンは誰が相手でも、訪れた相手を出迎えに向かうことなどこれまではなかった。

 彼の今の行動は、トーマスの目には異様に映った。


 フェルゼンが扉を開けると、その前には一人の青年が立っていた。

 灰色掛かった青紫色の髪をしている。

 整った目鼻立ちと表情に欠ける寡黙な雰囲気は、人形のような印象があった。

 丁度話題に上がっていた青年、アインである。

 先程までの魔女の話を聞いていたトーマスには、試験時で見たときには感じなかった不気味さを感じていた。


「教師の方に、学院長が呼んでいると聞いた」


 アインがそう言うと、フェルゼンは巨躯を丸めて小さくなり、手を揉み、強張った笑みを浮かべた。


「おお、よく我が学院へ来てくださいましたアイン様。いや、枢機卿様より、手紙は受け取っております。呼びつけるような真似をして申し訳ないのですが、儂が外に出て会いに行くのも周囲に妙な印象を与えてしまうので……。ささ、通ってくだされ。アイン様が正式に入学なさる前に、一度直接お顔を合わさせていただければと思いましてな」


 フェルゼンは猫撫で声でそう口にした。


「フェルゼン学院長!?」


 トーマスが思わず声を上げた。

 フェルゼンのこんな姿は初めて見た。

 通常、フェルゼンは王族を前にしても普段の態度を崩さない。


 フェルゼンはトーマスを振り返ってからすくっと背を伸ばす。


「フン、トーマス、とっとと出ていくがいい。話はここまでだ」


「いや、そう取り繕われても、もう威厳を感じられないんですが……」


 アレだの怪人だの散々言っていた割りに、本人が現れた瞬間に素早い変わり身であった。


「……学院長、試験の結果なんだが」


 アインの言葉に、フェルゼンはびくりと身体を震わせる。


「いえ、申し訳ございません……! 枢機卿様の、ご意思なのです。本当は三つの試験全て満点でして、〈狂王子カプリス〉を押さえての一位だったのですが! カプリスと揃って、この学院の最高点数である『281点』を大きく上回る結果となっておりました! いや、さすがにございます」


 フェルゼンは言いながら、チラチラとアインの表情を窺う。

 トーマスもアインの顔を眺めていたが、一切表情が変わらない。


「そうか」


 アインはそれだけ無感情に返す。

 怒っているのか、納得しているのか、それさえ判断の付かないところだった。

 フェルゼンの額から脂汗が垂れ始めた。


「た、ただその、我が校は最低成績のクラスである〈Eクラス〉となると、何かと面倒なことが多いもので……。何か言ってくだされば、儂の権限でどうとでもさせていただきますし、何なら別のクラスに理由をつけて配属し直すことも可能ですので」


「枢機卿の命令ならばそれに従う。元々、所属クラスなど任務には無関係のもの。それに何か問題があっても、学院長殿には頼らず自分で何とかしろと、枢機卿からはそう言われている」


「なるほど……出過ぎた真似をいたしました。お許しを」


 フェルゼンは猫撫で声でペコペコと頭を下げる。

 トーマスは普段は傲慢なフェルゼンの珍しい姿を、目を細めて眺めていた。

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