第4話

「〈魔循〉まで使うのか…」


 俺は呆れてそう零した。

〈魔循〉はマナによる身体能力強化のことを示す。


「そこまでする必要がどこにある? お前も試験前に怪我をしたくはないだろう」


「アハハ、面白いことを言うねぇ、お前。不思議と腹は立たないかな。だって、その生意気面で泣きながらこの僕に許しを乞うところが、楽しみで楽しみで仕方ないよ」


 カンデラは口許を歪ませる。

 その瞬間、カンデラの纏うマナの流れが変わった。


 この感じ……〈軽魔〉か。

 魔技は単純な身体能力の向上だけではない。


〈軽魔〉はマナによって体重を軽くする魔技だ。

 この際に地面を弾くように移動することで、高速での歩術となる。

 練度によっては壁を歩いたり、布を用いて滑空することも可能だ。

 使用の間は打撃に威力が乗らないので、戦闘で使う際には細かく切り替えることが重要になる。


 魔技の中でも基礎中の基礎だといえる。


 カンデラが背を屈めながら俺の脇へと飛び込んでくる。

 横を抜けて後ろを取るつもりか?

 俺は背後へ跳んだ。


 カンデラは俺の目前で身体を翻らせ、俺に向けて背を突き出しながら身体を伸ばす。


「どうだい? 魔技には、こんな使い方もあるのさ。平民は知らなかっただろうけどね。……って、何されたかもわからないか。どうだい、あっさりと背を取られちゃった気持ちは? 騎士を志す者として失格だねえ、戦地なら死んでいたよ」


 カンデラは俺に背を向けたまま得意げにそう零し後、表情を歪ませ、周囲へと目を走らせる。

 ……まさか、俺を捜しているのか?


「……何をやっているんだ、お前?」


 俺はカンデラの背へと、ぽんと肩を叩いた。

 カンデラは大きく肩を震わせ、素早く俺を振り返った。


「う、うわああああ!」


 カンデラは俺の腕を振り解き、素早く俺に向き直った。


「今、な、何が……。カンデラさんが消えたと思ったら、カンデラさんが突然あいつに背を向けて現れた……?」


 デップが呆然と口にする。

 カンデラはそれを聞いて、眉間に皴を寄せた。


「もしかしてお前……その〈軽魔〉、細かい制御ができないんじゃないのか? 動体視力も追い付いていなかったから、俺が動いたのに気が付かず、俺の前で振り返る形になったんじゃないのか?」


 カンデラが顔を赤くして、ワナワナと震える。


「いや……すまない、そんな間抜けなことはいくらなんでもしないか」


 俺が一人でそう頷くと、カンデラは一層怒りで顔を歪ませ、腰の剣を抜いた。

 関わるまいと静観していた周囲からも、悲鳴の声が上がった。


「平民如きが、この僕を馬鹿にしたな! ただで済むとは思っちゃいないだろうねえ!」


 ……どうやら本当にそうだったらしい。


 カンデラが正面から飛び掛かってきた。

 俺は紙一重で刃を躱す。

 カンデラの刃は、地面に先端がめり込んでいた。

 カンデラはすぐに剣を振り上げ、返す刃で再び俺を狙う。

 俺はそれも身体を曲げて躱した。


「馬鹿にした形になったのは謝ろう。だが、学院前で剣を振り回して、お前もただで済むとは思っていないだろう」


「黙れ黙れ! 僕は、カマーセン侯爵家の者だぞ! 生意気な平民のゴミを粛正して何が悪い!」


 カンデラが俺の脇を抜け、背後を回ろうとする。

 当然、俺はぴったりカンデラへと向き続ける。

 そのままカンデラが剣を振るう、俺が避ける、が繰り返された。


 しかし、〈魔循〉を使ってこれなのか……?

 俺が剣を抜かないので、脅しを掛けてきているのだろうか。

 いや、それにしては必死に見える。


 面倒な男に絡まれた。

 あまり目立つなとは、ネティア枢機卿からも言われていたのが……。


「はあ、はあ、なるほど、多少はやるらしい……。だが、僕は、マナの持久力では、カマーセン侯爵家の中でも優れた才覚を持っていると言われてきた。このまま戦いを続けていれば、マナが先に切れるのはお前の方だ。そのまま舐めた態度を続けているなら、お前が先にマナ切れに……」


「ん?」


 俺はカンデラの言葉に首を傾げた。

 こいつは、何を言っているんだ……?


「何がおかしい!」


「カンデラ……俺は、魔技も〈魔循〉も一切使っていないぞ」


 ただの素の身体能力だ。

 動きの初動さえ見ればどう動くかは見えるので、速さはいらない。

 カンデラの〈魔循〉による身体能力の向上はそれほどではない上に、カンデラの剣技は自身の速度に追い付いていないので単調に見えている。

 適当に捌くのに〈魔循〉は必要ない。


「この僕を、どこまで虚仮にするつもりだ! 舐めやがって……いいだろう! 僕の本気を見せてやる!」


 カンデラは俺から距離を取ると、地面を蹴って俺の周囲を〈軽魔〉で移動し始めた。

 ……この程度の〈軽魔〉で、俺の目を振り切れるとでも思っているのか?

 余計な因縁を作りたくないので穏便に済ませたかったが、カンデラは口で説得してもどうにもなりそうにない。

 延々戦っていれば、それこそ変に目立って仕方がない。

 適当に振り切るか。


「避けれるものなら避けてみろ! 〈九狐円閃〉!」


 カンデラは地面を蹴り、一気に俺へと距離を詰める。


〈軽魔〉で敵の周囲を回り、そのまま〈軽魔〉を用いて速攻の刺突を放つ技なのだろう。

 マナの無駄としか思えないが、普通にやって勝てない相手に一か八かで仕掛けるには悪くないかもしれない。

 だが、肝心の〈軽魔〉がお粗末過ぎる。


 俺は一歩前に出て、カンデラの顎を蹴り上げた。


「ぶっ!」


 カンデラの手から剣が落ちる。

 彼の身体は十メートル以上飛んでいき、地面に激しく身体を打ち付け、そのまま転がっていった。

 悲鳴とどよめきが上がった。


〈軽魔〉解除前に蹴り上げてやったのだ。

 お陰でよく飛んだ。


「カ、カカ、カンデラさん!」


 デップがおたおたと跳んでいったカンデラを追い掛ける。


 カンデラに元々絡まれていた少女は、唖然とした表情でカンデラを眺めていた。


「今の間にとっとと行こう」


「た、助けてくださってありがとうございます。ですが、その、大丈夫でしょうか、あの人……死んだんじゃ……」


 俺が声を掛けると、少女は不安げに答える。


「〈軽魔〉のせいで軽くなっていたから、大袈裟に飛んだんだ。軽く蹴っただけだ。向こうは〈魔循〉も使っていたんだから、そう簡単に死にはしない」


 遠くで、カンデラがデップに身体を支えられながら、俺に指先を突き付けていた。


「お前……この僕を敵に回して、この学院で生きていけると思うなよ! 顔は覚えたからな! 今回の試験にはねえ、現役の騎士である僕の兄さんが試験官として招かれてるんだ! 教師間に顔だって利く! ただで済むとは思わないことだ!」


「ほ、本当に生きてた! しかも結構元気!」


 少女がカンデラを振り返り、怯えたようにそう口にする。


「思ったより頑丈だな……」


「な、なんで感心してるんですか!? ど、どうしましょう、あの人……今後も貴方に何か、嫌がらせするつもりかもしれませんよ?」


 少女は脅えたように口にする。


 しかし、大して気に留める必要はないだろう。

 俺は今まで〈幻龍騎士〉の一人として、数々の悪辣な魔剣士や魔術士と戦ってきた。

 それらに比べれば、カンデラなど可愛いものだ。


 どうしても邪魔になるというのならば、俺も手段を選ばずに排除させてもらう。

 それだけのことだ。

 俺は学院での生活に、これまでの人生では得られなかったものを期待している。

 俺はこの学院で平穏な青春を過ごす。

 その邪魔をする者は全力で取り除くつもりだ。

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