第2話

〈死霊王グノム〉の討伐を終えた俺は、拠点である聖都セインの大聖堂へと戻っていた。


 天井には大きなシャンデリアがあり、壁には荘厳な宗教画が並んで飾られている。

 ステンドグラスには、聖龍教で信仰されている天使達の姿が描かれている。


 広間の奥には、岩を連想させる、ごつごつとした顔つきの巨漢が立っていた。

 白に金の刺繍が入った、豪奢なローブに身を包んでいる。


「ネティア枢機卿、任務を終えましたのでその報告に」


 俺は膝を突き、声を張り上げた。


 大男は俺を振り返り、無感情な目を俺へと向ける。

 途端、彼の身体が土へと変わり、崩れ落ちて床へと散らばり、消えていく。


 大男の姿が消え、代わりに黒髪の美女が立っていた。

 長い艶やかな黒髪が宙に靡く。

 透き通る程に白い肌は、見るものに畏怖を抱かせる程の美があった。

 瞳はオッドアイであり、深紅と瑠璃色、どちらも宝石のような輝きを帯びている。

 暗色のドレスは派手で毒々しく、この荘厳な広間には似つかわしくない。


 こっちがネティア枢機卿の真の姿だ。

 彼女は錬金術で、かなり自身の身体を弄っている。

 実年齢は二百を超えると聞いたことがある。


 本来、如何に権力者であっても、錬金術による不老不死の探究は認められていない。

 それは世界の理を乱す行為であり、どの国でも魔術法によって禁忌に指定されている。

 我がアディア王国でも例外ではない。


 そのためネティア枢機卿は、表向きの姿としてあの大柄な男を用意しているのだ。

 ネティアという名も本名ではないというが、俺も彼女の本当の名前は知らない。

 今までに二十以上の名を使い分けて生きて来たらしく、最早本人でさえも自身の本当の名前を覚えているのか怪しいのではなかろうか。


 俺を含む〈幻龍騎士〉の四人は、ネティア枢機卿が造ったのだ。

 教会孤児だった俺達に禁じられている魔術を行使し、彼女が手段を選ばずに肉体とマナの強化を施したのだ。

 明るみになれば、俺もネティア枢機卿も無事では済まないだろう。


 そんなネティア枢機卿が堂々と大聖堂にいられるのは、彼女が王族と教会上層部を百年単位で支配し続けているためだ。

 この王国の陰の支配者であるといえる。


 ネティア枢機卿は俺の顔を見ると、人形のような彼女の端正な顔を歪ませ、禍々しい笑みを作った。

 彼女の姿が消えたかと思えば、俺のすぐ目前に立っていた。


「よぉし、よーし、よく戻って来てくれたわね、私の子。ほら、立ちなさい」


 ネティア枢機卿は俺の頭を撫で、背をべたべたと触ってくる。

 そのまま強引に俺を立ち上がらせながら、背に手を回してくる。


「……あの、神隠し騒動の件ですが」


 俺はネティア枢機卿に抱き着かれながら、今回の任務について報告しようとする。


「いいわよ、報告なんて。騎士団にはしっかり調査させてあるのだし、この国のことで知らないことなんて、何一つ私にはないのよ? それに、私は貴方に、絶対の信頼を置いているわ。それとも何か、予想外のことがあったのかしら?」


 至近距離から、ネティア枢機卿は色の違う双眸で俺の顔を見つめる。


「いえ、全てはネティア枢機卿の想定通りでした」


「〈死霊王グノム〉がいて、貴方はアレをしっかり殺したのでしょう? だったら報告なんていらないわよ。それとも何か、気になっていることでもあるのかしら?」


「気になっていること……」


 そう聞いて、ふと〈死霊王グノム〉に言われたことが頭を過った。


『お前も空虚な奴よ。名を持たず、色恋を知らず、全てを捧げても栄誉を得られず。そうして王国の兵器として、人としての喜びを何ら知らずに死んでゆくのだ』


 何故だろうか。

 敵の言葉など、これまでまともに聞き入れたことはない。

 だというのに、あの言葉が頭から離れないのは。


 俺が黙っていると、ネティア枢機卿が顔を顰め、表情を曇らせた。

 俺の顔を覗き込む。


「どうしたのかしら、私の子? 何か、気になっていることがあるみたいじゃない」


「いえ、任務とは関係のないことです」


「……へえ、貴方が任務以外のことで、頭を悩ませるなんてね。言ってごらんなさい」


 暗く冷たい、ぞっとするような声音だった。

 己を殺し、感情を殺して任務に徹し、このアディア王国の平穏のために全てを捧げよ。

 今までネティア枢機卿に言われ続けてきたことだ。

 俺が任務以外のことに頭を悩ませているのが、気に喰わなかったのかもしれない。


「何を黙っているの? この私の言葉が聞けないのかしら?」


「いえ……すいません。話すほどのことでも」


 ネティア枢機卿はふう、と息を吐き、表情を和らげた。

 俺から身体を放し、真っすぐに俺の目を見る。


「今回の任務もご苦労だったわ。何か願いがあるのなら、口にして見なさい。私は、貴方のことを、本当に大事に想っているの。叶えられるものであれば、すぐにだって用意してあげましょう」


「ネティア枢機卿……」


 俺は少し迷った後、口を開いた。


「実は、その、学院とやらに通ってみたいのです」


 俺は思い切って、そう言ってみることにした。

 グノムに空虚な人生だと嘲笑われ、俺はこのままでいいのだろうかと、聖都セインへの帰路の間、ずっと考えていたのだ。


 その道中、聖都の学院を見かけた。

 校舎のあちらこちらで、学生達が楽しげに談笑していた。

 ちょっとした魔法を競っている者や、焼き菓子を取り合って騒いでいる者がいた。

 俺と同じくらいの歳の男女だった。


 これまでは学院など自分とは無縁の世界だと、気に留めたこともなかった。

 だが、グノムの言葉が引っ掛かっていたからだろうか。

 あのときは、ただじっと、半刻以上に渡ってぼうっと校舎を眺めていた。


 羨ましい。

 これまで、感じたことのない感情だった。

 いや、もしかすれば、遠い過去には俺が持っていた感情だったのかもしれない。


「ネティア枢機卿、その……お願い、できませんか? 一週間、いえ、数日で構わないのです」


「まさか、よりによって貴方が、そんな腑抜けたことを言い出すだなんてね」


 ネティア枢機卿は、苛立ったように瞼を痙攣させていた。

 彼女の身体から邪気の込められたマナを感じる。

 怒っている。やはり、言うべきではなかったか。


「いえ……でも、そうね。確かに〈幻龍騎士〉は不安定な子が多い……。おまけに教会上層部からも腫れ物のように扱われているし、今のままだと、もしも私の身に何かあったとき、取り返しのつかないことになりかねない。一番精神の安定しているこの子には、最低限の世俗や社交性を身に着けてもらった方がいいかもしれないわね。十年前とも、また事情が違うのだし。王国に蔓延っていた危険な禁魔術師の大半はもうここ数年で片付いてしまったのだし……しばらく一人が抜けても、大きな問題はないわね」


 ネティア枢機卿は顎に手を当て、思案していた。

 どうやら俺の願いについて、真剣に検討してくれているように見える。

 

 ネティア枢機卿はパチンと指を鳴らした。


「わかったわ。貴方はこれより三年間、〈幻龍騎士〉の〈名も無き一号アイン〉ではなく、ただの教会孤児のアインとして、王都の騎士学院に通うの。普通の騎士学院だと貴族外の者を入れるのはちょっと面倒なのだけれど、王都のあそこなら貴族の推薦さえあれば平民でも受け入れてくれるはずだわ」


「ほっ、本当ですか、ネティア枢機卿!」


 望みを口にはして見たものの、まさか本当に通るとは思っていなかった。


「ええ、学院長は顔見知りだから、手紙を出しておいてあげるわ。ただ、万が一にも貴方のことが表沙汰になったらとんでもないことになるから、あまり目立たないようにして頂戴ね」


「はっ、はい! わかりました」


 あまり目立たないようにする、というのは当然のことだろう。


 俺の肉体もマナも、禁魔術によって際限なく強化されている。

 常人の限界を何重にも大きく超えている。

 魔術はアディア王国最強の魔術師であるネティア枢機卿より教わった。

 剣術はネティア枢機卿がアンデッドナイトとして蘇生した、アディア王国の初代騎士長〈剣聖ジークフリート〉より教わった。

 

 素の力を振るえば、学院がパニックになる。

 どころか〈幻龍騎士〉の一員であることが明らかになれば、王国中を巻き込んだ大騒動になりかねない。

 無論、そのことはわかっている。

 適度に抑えてやっていけば問題はないだろう。


「ただ、あそこの学院は、上のクラスだと何かと目立つわ。表の騎士団からも目を掛けられるものね。だから入学試験の結果に拘わらず、一番下のクラスに配属してもらうようにするわ。何かあっても、学院長が適当に誤魔化してくれるでしょう。まあ、貴方は器用だから、そこまでしなくても上手くやるでしょうけれどね」


 一番下のクラスの配属となるそうだが、俺には関係ない。

 俺は平穏な学院に通い、同世代の者達と普通の青春を送ってみたいのだ。

 卒業後は姿を晦まし、〈幻龍騎士〉に戻って来ることになる。クラスだの評価だのはどうでもいいのだ。


「ありがとうございます! ネティア枢機卿!」


 ネティア枢機卿は俺の様子を見て、くすりと優しげに笑い、頭に手を置いた。


「慣れないことの連続でしょうけれど、上手くおやりなさい、アイン。頑張るのよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る