『2』

 先輩が九官鳥になってから三日が経過した。人間に戻る気配はまだない。

 人一人が消えたのだからもっと騒ぎになるかと思ったのに、意外と学校は平和なままだ。私にとっては好都合だったけれど、それはなんだかとても悲しかった。


「先輩、はい、エサですよ」

「……その言い方、やめてくれ」

「そうですか? じゃあ、食事ですよ」


 嫌そうな顔をする先輩に、お皿に乗せた九官鳥用のペットフードを差し出す。鳥になったのに表情を上手く表現できるなんて、先輩は器用だ。それとも、私が先輩のことが好きだから、その表情の機微を読み取れるだけなのだろうか。

 そう、私は先輩のことが好きだった。それもかなり。すごく。尋常じゃないくらい。もちろん、恋愛的な意味で。

 だから私はこの状況に困っているはずだった。実際、最初九官鳥の先輩を見たときはかなり困ってしまった。当たり前だ。想い人が人間じゃなくなってしまうなんて、途方にくれるしかない状況である。私も一緒に九官鳥になるしかないとまで考えた。

 しかし今の私はこの状況をかなり楽しんでいた。そう、なにぶん、九官鳥になった先輩は可愛かったのである。

 三日前、初めて先輩にエサを与えた私はそれを実感した。私にエサを与えられる先輩はちょっと、いやかなり可愛い。私の手がないと生きていくことすらできなさそうな先輩は、可哀想で素敵だった。これまで意識さえしなかった支配欲が満たされるのを感じる。もしかしたら私はちょっと歪んでいるのかもしれない。でも恋をするって、きっとそういうことなのだからしょうがない。支配欲とか独占欲とか、そういうのは愛と結びついているのだ。


「美味しいですか?」

「美味い、すごく」

「そんなに言うなら私もちょっと食べてみようかな」

「駄目だ。俺のだ」

「冗談ですってば」


 私の言葉を真に受けてこちらを睨む先輩。人間の頃の先輩は強面だったから怖かったかもしれないけど、今の先輩はくりくりの目を持った鳥類なので可愛いだけだった。

 鳥を可愛いとか思ったことはなかったのだけど、先輩となると何もかもが愛おしく思えてしまう。惚れた欲目なのだろう。


「……じゃあ先輩、そろそろ部活します?」

「ああ」


 エサを食べ終えた先輩に声をかける。先輩は頷くように頭を動かして、ぴょんぴょんと私の近くまで寄ってきた。可愛い。

 先輩が九官鳥になってからも、文学部の活動は続いていた。活動といっても、小説を書いたり本を読んだりするだけの地味なものだけど。

 先輩は小説を書く人なので、今は私が手助けする形でそれを成り立たせている。九官鳥の先輩が滔々と読み上げる言葉を、私はパソコンで打っていく。


「『マリは驚いた。洞窟の先には、広い草原が広がっていたのだ』」

「……ひろい、そうげんが、ひろ、がって、い、た……の、の、Nってどこだ」

「カガお前、タイピング遅すぎだろ」

「しょうがないじゃないですか。私、普段は小説書いたりしませんもん。パソコンも使わないし」

「そういえばそうだったな。……前々から思っていたんだが、それならお前はなんで文学部に入ったんだ。本が好きなわけでもないだろう」

「それは、まあ……成り行きといいますか……」


 本当は成り行きではない。ちょっと、いやかなり不真面目な動機だ。

 私が通うこの高校は部活に入るのが必須であるため、どの部活にも興味のない私は、入学した当初大変困っていた。そんな中、文学部は拘束時間の少ないゆるい部活との話を聞いたことにより、私は即決で文学部に入部することに決めた。

 見たこともない三人の幽霊部員たちもきっとそうなのだろう。私と彼らの違いは、先輩に惚れてしまったか否かということだ。

 そう、私はなんと入部初日に出会った先輩に一目惚れしてしまったのである。先輩は格好良くて優しくて、ちょっとぶっきらぼうだけど小説だと雄弁で。なにより笑顔が可愛かった。笑うと目元がくしゃ、となるのが素敵なのだ。

 好きな人と二人きりでいられる部活に来ないなんて、そんなの私には考えられなかった。だから私は興味もない本を読むために、文学部の部室に来ていたのだ。


「……なんでもいいが、お前が入部してくれたこと、俺は嬉しかったぞ」

「……え、どうしたんですか突然。デレ期ですか?」

「黙って聞いてろ。……知ってると思うが、文学部は人気がなくてな。お前が入るまで、基本的に部活には俺しか来ていなかったんだ。だから、お前が何度も部活に来てくれたのは、本当に嬉しかった」


 先輩はしみじみとそう言った。九官鳥の甲高い声にしみじみもなにもないのかもしれないけど。

 この部には、基本的に私と先輩しかいない。私の学年で文学部に入部したのは私だけだ。私以外のみんなは、どうやら部活で何かしらやりたいという展望があったらしい。そしてそれはたまたま、文学以外の何かだった。

 幽霊部員の三人は先輩と同じ学年の人らしい。基本的に、部員が四人以上でないと部活は成立させてもらえないのだ。きっと先輩は、文学部を成立させるためにいろんな人に頼み込んだのだろう。

 そういう先輩の姿を想像するのは楽しい。可愛いとすら思う。きっと先輩はいっぱい傷付いて、それでもこの場所を守ってきたのだ。そういう背景があるから、今本人が言った通り、この人は私に感謝している。


「……なんか、照れますね。ありがとうございます」

「礼を言うのはこっちの方だ。今だって、お前はこんな姿になった俺のことを見捨てずにいてくれる。戻れなかったらと思うと怖くて仕方ないのに、お前が居れば大丈夫って気がしてくるんだ。だから、本当にありがたい。感謝してる」


 私は緩む頬を抑えることができなかった。先輩はツンデレ気味なので、こういう風に素直に感謝してくれることは滅多にない。この状況を作った人がいるなら感謝したいぐらいだった。

 今の先輩は九官鳥だったけど、私の脳内にはばっちり照れ臭そうにする先輩の顔が浮かんでいた。その想像だけでしばらく生きていけそうだ。

 できるなら、先輩はそうやって一生私に感謝していて欲しい。そしてずっと、私だけを必要としていて欲しい。

 でもそんな願望は悟られないよう、私は優しく微笑む。


「気にしないでください、先輩。私が好きでやってることですから」

「……すまない、カガ。ありがとう」


 そう言って先輩は「ガー」と鳴いた。元のハスキーな低音とは似ても似つかない甲高いそれが、とっても心地いい。


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