そして私は鳥を飼い始めた
テイ
『1』
「……先輩?」
私は部室の中で、『それ』に向かって呼びかけた。落ち着きなく頭を動かしている『それ』は、少し間を置いてから甲高い声で「そうだ」と答えた。
「え、マジで先輩なんですか? え、え? 本当に?」
「ほんとだよ、カガ」
「わ、名前呼んだ。じゃあ本当に先輩なんですね……」
先輩は部活の先輩だ。我が文学部は私と先輩と幽霊部員三人で構成されているため、実質先輩は私の唯一の先輩であり、私は先輩の唯一の後輩だった。
そしていつものように部室に行くと、先輩は九官鳥になっていた。
真っ黒な体に、オレンジ色の嘴。羽を持った、三十センチほどある生き物。
人間にはとてもじゃないが見えない。友人が飼っているのとそっくりだったので、それは確かに九官鳥だった。
私がそれを先輩だと思った理由は明確にはない。いつも私より早く部室にいるはずの先輩が何故かいなくて、そして代わりにそれが机の上にいたから、そうではないかと思ったのだ。いや、普通に考えてそんなわけはないのだが、私にはそう思えて仕方なかった。直感だ。
先輩が九官鳥に喋る芸を仕込んでいたずらしてきた可能性もあったけど、それにしては喋りが流暢すぎる。先輩は「加賀」という私の名字を、他の人と違う独特なイントネーションで呼ぶため、私はもうほとんど先輩が九官鳥になったのだと確信していた。
正直私は驚いていた。人間が鳥になってしまうなんて聞いたことがない。でも本当に驚くことに出会うと人間は案外冷静らしく、思ったよりもあっさりと、私はこの状況を受け止めていた。慌ててもどうにもならないので、私は落ち着いて先輩に問いかける。
「えっと、先輩。何があったんですか?」
「わからない。いつも通り部室に来て、気付いたらこの姿だった」
「呪い? とかなんかそういうのなんですかね……? なんか心当たりあります?」
「あるわけないだろ」
「でも、ちょっと突拍子なさすぎますよね。なんの前振りもなく、突然九官鳥に変身だなんて」
「カフカの『変身』も、毒虫になったところから始まる」
「そりゃそうですけど。ていうか、よくそんな喋れますね。慣れない体で大変じゃありません?」
「すごく大変だ。早く戻りたい」
「そうですよね。うーん……本当になにか、きっかけみたいなものとかありませんでしたか?」
「ガー」
「え?」
先輩が突然まるで本物の鳥みたいに鳴いたので、私は驚く。心なしか先輩も驚いた顔をしているように見える。忙しなく動いていた頭が、より速く動いた。
「ガー、ガー……あー、あ。戻った」
「……なんですか、今の。大丈夫なんですか」
「大丈夫だ。一瞬、意識が飛んだけど」
「意識が……もしかして、思考が九官鳥に寄ったってことですか?」
「わからない。お腹が空いたとは思った」
「お腹、ですか。即物的ですね。お昼ご飯食べてないんですか?」
「食べたぞ。でも空いた」
「九官鳥って、何食べるんですっけ」
「……わからないな。でも、ペットフードがあるんじゃないか?」
「あー、まあそりゃそうですね。買って来ましょうか?」
「……いいのか?」
「先輩にはお世話になってますから。ちょっと待っててくださいね」
先輩は遠慮がちだったけど、私は励ますように笑ってそう言う。先輩を置いて部室を出ようとしたところで、大事なことに気付いて立ち止まった。
「先輩、部室から出ちゃ駄目ですよ。私以外が来たら隠れてください。見つかると面倒そうですから」
「わかってる」
「帰って来たら三回ノックするので。そしたら私です」
「了解だ」
そうして私は今度こそ本当に部室を出ようとする。しかし先輩が後ろから私の名前を読んだので、もう一度振り返った。
「どうかしましたか?」
「……ありがとう」
先輩はそう言って、おまけとばかりに鳥らしく鳴いた。照れ隠しみたいなそれが、なんだか少しだけ嬉しかった。
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