6
分かってるのに…
「智樹…?」
振り向いた翔真さんは、まるでそうするのが当たり前のように、俺の口元を覗き込む。
最初はそうされるのが凄く嫌だった。
仕方のないことだと分かっていても、声が出ないことでまともに会話すら出来ない自分が惨めで、悔しくて…
でも今は違う。
通じないことも殆どだけど、それでも一生懸命に俺の言葉を読み取ってくれようとする翔真さんの優しさが嬉しくて…
だから、きっとこんなことを言ったら余計に別れるのが辛くなる、ってちゃんと分かってるけど、もう少しだけその優しさに甘えていたい。
「どうしたの?」
『泊まったら…だめ…?』
「えっと…、ごめん、もう一回言ってくれる?」
翔真さんの顔を真っ直ぐに見られなくて、つい俯いてしまったから…かな、翔真さんの指が俺の顎先にかかり、俺を上向かせた。
「言って?」
『泊まったら…だめ…かな…?』
俺は翔真さんにも分かるように、ゆっくり唇を動かすと、俺の口の動きを読み取った翔真さんが、一瞬困ったような顔をして、視線を窓の外へと向けた。
そして暫く窓の外を眺めてから俺を向き直り、
「明日朝送るよ…」
俺の髪をそっと撫でた。
『いい…の…?』
嬉しかった。
限られた時間かもしれないけど…、それでもまだ傍にいて良いんだ、って思ったら凄く嬉しかった。
でも、
「だって、この雨だし…」
そう言われた瞬間気付いたんだ…
もし雨が降っていなかったら…
もし雨が止んでいたら…
“だめ”…ってことなんだよね、って…
だったらハッキリ“帰れ”って言ってくれた方が、どんなにか気持ちが楽だったかわからないや…
「じゃあ、シーツ替えないとね? あ、その前に着替え…」
ベッドなんてグチャグチャでも何でも気にしないのに…
今までだってそうだったし…
「ちょっと待ってて?」
翔真さんが俺から離れ、リビングと寝室をウロウロと行ったり来たりを始める。
その姿を横目で見ながら、俺は虚無感みたいなのを感じていた。
ついさっきまでは心も身体も、あんなにもピッタリとくっついていた筈なのに、どうしてだろう…
手を伸ばせば届きそうなのに、今は翔真さんがとても遠い。
「よし、準備出来たから…」
『え、あ、…うん』
翔真さんの手が俺の背中を押して、寝室へと促してくれる。
そして、寝室の入口に差し掛かった所で、翔真さんの足がピタリと止まった。
「俺はこっちで寝るから…」
翔真さんは俺を見ることなく、リビングの方を振り返ると、ソファを指差した。
え、そんな…
俺は咄嗟に翔真さんの腕を掴もうとした。
でもその手は空を切り…
「おやすみ」
短い一言だけを残して、リビングと寝室の間を隔てるドアが、音を立てることなく閉じられた。
足が…まるで接着剤で貼り付いちゃったみたいに床にくっついて、その場からただの一歩も動かすことが出来なかった。
目の前が真っ暗になって、胸だって心臓が痛くなるくらい苦しくなって…
でも不思議なことに涙は一粒だって浮かんでこなくて…
ただただ呆然とその場に立ち尽くすことしか出来なかった。
こうすることが一番なんだってことは分かってる。
終わった筈の関係に妙な情けをかけられれば、それだけ未練だって残る。
翔真さんもそれが分かってるから、だから俺に未練が残らないように…って、俺が未練を残さないように…って、きっと翔真さんの最後の優しさなんだと思う。
でもね、翔真さん…?
そんな優しさ、俺はいらない。
優しくされるくらいなら、いっそのこと冷たく突き放してくれた方が、よっぽど未練なく忘れられるのに…
俺は漸く目の前にかかった真っ黒なフィルターが晴れたのをきっかけに、崩れるようにベッドに倒れ込んだ。
疲れた…
身体もだけど、心も、元々出来損ないの頭だって、何も考えられないくらい、疲れた。
なのに、どれだけ深くベッドに身体を沈めてみても、全然眠れなくて…
枕に顔を埋めてみるけど、そこにあるのは洗剤の匂いだけで、翔真さんの匂いなんて残ってなくて…
残り香一つでさえも、俺にはもう感じることも出来ないのかと思ったら、自然に涙が溢れて来た。
さっきまで泣きたくたって全然泣けなかったのに…
自分の感情がどうなってんのか、謎過ぎて余計に泣けてくる。
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