5
その晩は、二人して裸で抱き合って眠った。
セックスはしないって決めたものの、肌と肌がピッタリと密着すれば、やっぱりそれなりに緊張はするわけで…
桜木さんの寝息が首筋を掠める度、
桜木さんの指が俺の頬を滑る度、
心臓がぶっ壊れそうにドキドキと脈打った。
なのに、不思議と“そういう気”は起きてこなかった。
ただ好きな人に…櫻井さんの腕に抱かれて眠れるだけで、それだけで幸せだった。
「眠れないの?」
いつまでも寝付けずにいる俺の髪を、桜木さんの指が梳く。
『桜木さんは? 寝ないの?』
見上げた先で、桜木さんが小さく笑って、俺の額にキスをした。
「何て言ったら良いのかな…、勿体ない…って言ったら良いのかな…」
『勿体ない? 何が?』
「考えても見てごらん? 大好きな人が自分の腕の中にいるんだよ? 勿体なくて眠れると思う?」
『はは、それはそうかもね?』
俺の髪を撫でていた指が頬を包んで、俺達の唇が重なる。
お互いの熱を直接感じるような、深いキスなんかじゃなくて良い…、触れるだけで十分桜木さんを感じられる。
「あ、そうだ…」
『何…?』
「そろそろその“桜木さん”っての、止めにしない?」
『でも…』
「画数、多くて大変だろ?」
『ああ、確かに(笑)』
スマホなら一発で変換してくれるから、そう不便は感じたことはないけど、“書く”となるとそれは別問題。
ついつい面倒臭くなってしまうことも、ないわけじゃない。
でも、
『じゃあ何て…?』
「だから、これからは“翔真”って呼んでくれて良いから…。俺も君のこと“智樹”って呼ぶし…。どうかな?」
”翔真”もそれなりに画数多い気がするけどね?
『うん、それでも良いよ』
俺が笑うと、桜木さん…いや、翔真さんは凄く嬉しそうに顔を綻ばせて…
それから俺をギュッと両腕で抱き締めると、耳元に口を寄せた。
「好きだよ、智樹…」
『俺もだよ、翔真さん…』
声にならない言葉を口にして、俺達はその日何度目…いや、何十回目になるか分からないキスをした。
明け方になって、寒さに身体を震わせた俺は、いつの間に眠ってしまったのか、閉じていた瞼をゆっくり開いた。
寝起きのせいか、ぼやけた視界に、立派な大の字と、豪快な鼾をかく翔真さんの姿を捉える。
つか、すげー寝相悪いし(笑)
俺はクスリと笑って、鼾をかく度に開いたり閉じたりを繰り返す唇を、そっと指で摘んだ。
すると今度は鼻の穴が開いたり閉じたりを始めて…
面白くなった俺は、それを何度も繰り返しては、一人で腹を抱えて笑った。
そしたらさ、それまで閉じていた瞼が突然開いて…
『えっ…!?』
驚いて咄嗟に引っ込めようとしていた手を掴まれた。
『いつから起きてたの?』
「いつから、…って? ずっと起きてたよ?」
マジか…(笑)
「眠れるわけないでしょ?」
『ごめん…』
「違うよ、そうじゃなくて…」
翔真さんがフッと息を吐き出し、俺の腕が引き寄せられる。
バランスを崩した俺は、驚く間もなく翔真さんの胸の中に引き込まれ…
コツン…、と翔真さんの顎先が俺の頭に乗せられたかと思うと、何も纏っていない素肌の背中を、翔真さんの手がスっと撫でた。
「好きな人がこんなに近くにいたら、緊張して眠れないよ…」
『嘘…』
だって、大鼾かいてたよ?(笑)
俺ちゃんと知ってんだからね?
「ずっとこうしていたいよ…」
俺もだよ…
「でもそうも言ってられないか…」
そう…だね…
鳴り始めたアラーム音を、翔真さんが片手を伸ばして止めた。
同時に、俺の背中にあった腕も離れて行く。
「仕事…行かなきゃ…」
そう言って俺の額にキスを一つ落とし、翔真さんがベッドを出て行く。
エアコンのせいじゃない寒さに、俺の背中が少しだけ震えた。
会社に向かう翔真さんと駅前で別れ、一人アパートに帰った俺は、ニ和人の写真の前で両手を合わせた。
なあ、和人…?
俺、幸せになっても良いのかな…?
答えなんて返って来ないって知りながら、俺は和人の写真に向かって語りかけた。
好きな相手と結ばれることなく、決して報われることのない想いを胸に抱いたまま、自ら命を絶った和人…
和人のことを思うと、自分だけが幸せになることが申し訳なくて…
翔真さんを好きになればなるほど、胸の奥がチクンと痛んで…、苦しかった。
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