その晩は、二人して裸で抱き合って眠った。


セックスはしないって決めたものの、肌と肌がピッタリと密着すれば、やっぱりそれなりに緊張はするわけで…


桜木さんの寝息が首筋を掠める度、

桜木さんの指が俺の頬を滑る度、


心臓がぶっ壊れそうにドキドキと脈打った。


なのに、不思議と“そういう気”は起きてこなかった。

ただ好きな人に…櫻井さんの腕に抱かれて眠れるだけで、それだけで幸せだった。


「眠れないの?」


いつまでも寝付けずにいる俺の髪を、桜木さんの指が梳く。


『桜木さんは? 寝ないの?』


見上げた先で、桜木さんが小さく笑って、俺の額にキスをした。


「何て言ったら良いのかな…、勿体ない…って言ったら良いのかな…」

『勿体ない? 何が?』

「考えても見てごらん? 大好きな人が自分の腕の中にいるんだよ? 勿体なくて眠れると思う?」

『はは、それはそうかもね?』


俺の髪を撫でていた指が頬を包んで、俺達の唇が重なる。


お互いの熱を直接感じるような、深いキスなんかじゃなくて良い…、触れるだけで十分桜木さんを感じられる。


「あ、そうだ…」

『何…?』


「そろそろその“桜木さん”っての、止めにしない?」

『でも…』

「画数、多くて大変だろ?」

『ああ、確かに(笑)』


スマホなら一発で変換してくれるから、そう不便は感じたことはないけど、“書く”となるとそれは別問題。

ついつい面倒臭くなってしまうことも、ないわけじゃない。


でも、


『じゃあ何て…?』

「だから、これからは“翔真”って呼んでくれて良いから…。俺も君のこと“智樹”って呼ぶし…。どうかな?」


”翔真”もそれなりに画数多い気がするけどね?


『うん、それでも良いよ』


俺が笑うと、桜木さん…いや、翔真さんは凄く嬉しそうに顔を綻ばせて…

それから俺をギュッと両腕で抱き締めると、耳元に口を寄せた。


「好きだよ、智樹…」

『俺もだよ、翔真さん…』


声にならない言葉を口にして、俺達はその日何度目…いや、何十回目になるか分からないキスをした。






明け方になって、寒さに身体を震わせた俺は、いつの間に眠ってしまったのか、閉じていた瞼をゆっくり開いた。

寝起きのせいか、ぼやけた視界に、立派な大の字と、豪快な鼾をかく翔真さんの姿を捉える。


つか、すげー寝相悪いし(笑)


俺はクスリと笑って、鼾をかく度に開いたり閉じたりを繰り返す唇を、そっと指で摘んだ。

すると今度は鼻の穴が開いたり閉じたりを始めて…

面白くなった俺は、それを何度も繰り返しては、一人で腹を抱えて笑った。


そしたらさ、それまで閉じていた瞼が突然開いて…


『えっ…!?』


驚いて咄嗟に引っ込めようとしていた手を掴まれた。


『いつから起きてたの?』

「いつから、…って? ずっと起きてたよ?」


マジか…(笑)


「眠れるわけないでしょ?」

『ごめん…』

「違うよ、そうじゃなくて…」


翔真さんがフッと息を吐き出し、俺の腕が引き寄せられる。

バランスを崩した俺は、驚く間もなく翔真さんの胸の中に引き込まれ…


コツン…、と翔真さんの顎先が俺の頭に乗せられたかと思うと、何も纏っていない素肌の背中を、翔真さんの手がスっと撫でた。


「好きな人がこんなに近くにいたら、緊張して眠れないよ…」

『嘘…』


だって、大鼾かいてたよ?(笑)

俺ちゃんと知ってんだからね?


「ずっとこうしていたいよ…」


俺もだよ…


「でもそうも言ってられないか…」


そう…だね…


鳴り始めたアラーム音を、翔真さんが片手を伸ばして止めた。

同時に、俺の背中にあった腕も離れて行く。


「仕事…行かなきゃ…」


そう言って俺の額にキスを一つ落とし、翔真さんがベッドを出て行く。

エアコンのせいじゃない寒さに、俺の背中が少しだけ震えた。





会社に向かう翔真さんと駅前で別れ、一人アパートに帰った俺は、ニ和人の写真の前で両手を合わせた。


なあ、和人…?

俺、幸せになっても良いのかな…?


答えなんて返って来ないって知りながら、俺は和人の写真に向かって語りかけた。


好きな相手と結ばれることなく、決して報われることのない想いを胸に抱いたまま、自ら命を絶った和人…


和人のことを思うと、自分だけが幸せになることが申し訳なくて…


翔真さんを好きになればなるほど、胸の奥がチクンと痛んで…、苦しかった。

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