「いてててて…」


腰を擦りながら見上げた先で、大田君が申し訳なさそうな、でも笑いを堪えてるいるような…、複雑な顔をしていて、その手にはタオルが握られている。


そっ…か…


「それ、貸してくれの?」


俺の指差す先を見て、大きく頷く大田君。


口で言えば済むこと、「待って」と声を上げれば済むこと、だけど今の彼にはその術がないから、だから…


少々強引ではあったけど(笑)


大田君からタオルを受け取り、自分は後回しにして、大田君の濡れた髪と肩を拭ってやる。


「恋人は? 一緒に暮らしてるんでしょ?」


俺の問いかけに、当然ながら大田君が答えることはない。


その代わり、首を小さく振ってから、ゆっくりと唇を動かした。


「“い・な・い”? 出かけてるの?」


再度問いかけてみるけど、やっぱり首を横に振るばかりで…


でもそうなると、単純思考型の俺が考えられる答えは、一つしか残っていない。

ただ、それを尋ねることは、ともすれば傷に塩を塗ることにもなりかねない。


居酒屋の店主に、彼女とのことを問われた時の俺がそうであったように…


それに、そもそも俺は揶揄われた身、これ以上大田君の事情に立ち入る必要はない。


俺はタオルを大田君に返すと、今度こそとばかりに彼に背を向けた。


そうだ…、もうこれ以上彼に関わらない方が良い。


「タオル、ありがとう。俺、帰るから…」


ドアを開けると、鉄製の階段に打ち付ける雨音が、更に音量を増した。


せっかくタオルを借りたけど、結局濡れるんだから一緒か…


俺は一人自嘲しつつ、大野君の部屋を後にしようとした…けど、何故だか足が地面にくっついてしまったかのように動かない。

それどころか、俺の身体は、俺の思考とは全く逆の行動を取り始め…


俺…、何やってんだろ…


気付いた時には、雨に濡れたせいか、心做しか体温の低い大田君の身体を、自分の両腕の中にスッポリ収めていた。


揶揄われてんじゃないか、って…

試されてんじゃないか、って…


ついさっきまで感じていた、怒りにも似た感情は、いつの間にか消えていた。


いや正確には、完全に消えたわけではないけど…


でも、今この腕の中にある温もりを手放したくない、そう思った。


だからかな…、大田君を抱きしめた腕に自然と力が入って…


「あ、えっと…、ご、ごめん…」


胸をトンと叩かれて、漸く大田君を解放した。


つか俺、マジで何やってんだろ…、こんな強引なこと…


「苦しかった…よね? ごめんね? 驚かせちゃった…かな?」


心配になって顔を覗き込んでみると、大田君は目を見開いたまま、顔を真っ赤に染めていて…

でもその手は、俺のシャツをキュッと掴んでいて…


「大田…君…?」


俯いたままの彼に声をかけると、唇が微かに動いて、シャツを掴んだ手に力が入った。


『もう少しだけ、一緒にいて…』


俺の見間違いじゃなければ、大田君の声なく唇はそう語っていた。


「俺で…良いの…?」


小さく頷いた大田君は、急かすでもなく俺の手を引いた。


「じゃあ…、少しだけお邪魔しようかな…」


大田君の手に促されるまま、俺は靴を脱ぎ、大田君の匂いが溢れる部屋へと足を踏み入れた。

パイブ製の小さなベッドと、折り畳み式の小さなテーブル、洋服なんかを仕舞うためのプラスチックケースに、三段のカラーボックス…


それ以外は何もない部屋。


そこに恋人の気配は、一つも感じられない。


大田君はハッキリとは言わなかったが、もうこの部屋に恋人の存在がないことは明らかだった。


俺は畳の上に直に腰を下ろした。


折り畳みテーブルの上に、コトリ…と缶コーヒーが置かれる。


「あ、ありがとう」


缶コーヒーを手にした俺を見て、大田君がノートにペンを走らせた。


『シャワー浴びて来ても良い?』

「え、ああ…、勿論だよ…」

『帰らないでね?』


一瞬見せる不安そうな顔…

俺は缶コーヒーをテーブルに戻し、その手で大田君の髪を撫でた。


「安心して? 君が戻るまではここにいるよ」と…

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