3
一度は上げた腰を、慌ててベンチに戻す松下。
その足はしっかり内股になってる。
「ちょっと待って? 翔真さんが一目惚れしたのって、男の子…なの?」
別に揶揄っているわけじゃないんだろうけど、声のトーンまで心做しか高くなっているような気がするのは、多分俺の気のせいなんかじゃない。
「まあ…な…」
「まあな、って…。でも翔真さんて、その…ノンケでしょ?」
「当たり前だ」
生まれてこの方、惚れた相手は皆“女”だった。
男友達は多いし、親友と呼べる奴も少なくはない。
でも、そいつらに対して、ただの一度だって恋愛感情を抱いたことはないし、そいつらの顔がこんなにも頭から離れなかったことはない。
「えっと…さ、翔真さんが俺達みたいなタイプ…っつーかさ、理解を示してくれるのは嬉しいし、もし翔真さんが…って思ったら、俺も心強いよ? でもさ、やめといた方が良い。絶対辛くなるから…」
終始俺が彼に“惚れてる”体で語る俺と松下の間に、なんとも言えない空気が流れる。
つか、最早認めざるを得ない状況になってるような気がしないでもないが…
「これでも俺、色んな人見てきてるからさ、分かるんだよ。翔真さんみたいなタイプはさ、絶対に…ってわけじゃないけど、自分の感情と現実とのギャップに苦しむことになると思うんだ…」
現実とのギャップ…か…
その意味で言えば、俺はもう既に苦しめられているのかもしれない。
惚れた…って完全に認めたわけじゃない。
でも、たった一度…それもほんの数十分一緒にいただけの男に、ここまで感情を支配されることなんて、今まで無かったことだから…
だから、ずっとその世界で生きて来た松下だからこそ言える言葉の重み…、みたいのを感じずにはいられなくて…
俺は思わず漏れそうになった溜息を飲み込んだ。
「なんか…ごめんね? せっかく相談してくれたのに、こんなことしか言えなくて…」
「いや…、寧ろお前に話せて良かったよ。色々ハッキリして来たし…」
俺の中に芽生えた、この意味不明な感情の正体に、明確な答えが得られたわけじゃない。
けど、
“忘れよう”
その一言に辿り着くためには、松下の意見は十分な物だった。
実際問題、彼のことを忘れるのは簡単だった。
入社以来何度も断って来た飲み会の誘いも受けたし、合コンや婚活パーティーなんてのにも参加した。
彼女が嫌がるからと思って控えていた酒を飲み、彼女のとの将来を考えて溜め込んでいた貯金にも手を付けた。
合コンで知り合った初対面の女性と…一緒に朝を迎えたことだって…
決して楽しいわけじゃなかったけど、でも新鮮ではあった。
そんな日々の中で、俺は彼のことを忘れて行った。
…っていうのは俺の思い込みで…
実際には頭の片隅に追いやっただけ。
彼の存在自体が、俺の中から丸っきり消えたわけじゃなかった。
その証拠に、俺は雨が降る度、彼と初めて会った場所…、あの大型ショッピングモールの駅に降り立ち、彼が雨に打たれながら、天使のような歌声を奏でていた場所に佇んでいた。
ただ彼の声が聞きたくて…、彼に会いたくて…
運が良ければ…、と別れ際彼は言った。
それは即ち、彼とまた会える保証はない、ということ。
それでも俺には、どうしてももう一度会う必要があった。
彼にもう一度会えば、雨が降る度この胸に募る、正体不明の感情に答えが出せる…そう思っていた。
でも、雨の時期を過ぎ、強い陽射しが降り注ぐ季節になっても、彼はとうとう俺の前に姿を現すことはなかった。
終わった…
一夏の恋(と、認めたわけではないが…)と呼ぶには、とても短過ぎる時間ではあったけど、もうこれで彼に会うことは、神様が意地の悪い悪戯をしない限り、おそらくないだろう…
今度こそ本気で忘れよう。
そう心に決め、胸ポケットから取り出したスマホに、アドレス帳を表示させた。
ずっと渋っていた、上司の娘との見合い話に返事をするためだ。
でも、スマホをスクロールする俺の手は、僅か数メートル先にあるコンビニに入って行く人影を見た瞬間、ピタリと止まった。
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