7話『狩り』

 あれからそろそろ一週間が経とうとしていた。貝沼は相変わらず、毎日領外に出て食料採取をしていた。そういえば、こんなに動けるのは不思議だなと我ながら思う。この行為自体が行動療法になっているのか、それともあの悍ましきスキル開発が(アプローチは正反対ではあるものの)電気けいれん療法になっていたのか。なんにしても「動ける」というのはとても素晴らしい。最初にこの街に来た時は、休みたい一心で無理矢理動いていたが、今では軽い倦怠感が残るくらいだ。貝沼の精神は充実していた。

「おっちゃん! 今日は何とってきたんだぁ?なぁなぁ!」そう言いながらバッグをゆすり覗き見てくるのは、ハーフライカンのライジ君。初めの頃は警戒されていたものの自分のへっぽこ事情を知ってからはなんだか馴れ馴れしいというかなんというか……まぁ仲良く接してくれるようになったからいいか。いつもと変わらないよと伝えると「ちぇー! 肉くいてぇなぁ……」とポツリ呟く。そしてハッとして「今のなし! なしな! シスターには黙ってろよ! 絶対だからな!」と走り去っていく。遠目にこちらを伺っているのはハーフハーピーのメイプちゃん。相当内気な1番年少の女の子でこの距離感は縮まる気配を感じない。ぎこちなく笑い掛けるがサッと逃げる。これもいつものことだけどちょっと凹む貝沼だった。


「今日も本当にありがとうございました。でも毎日じゃなくてもいいんですよ?」食事を終え帰り支度をしている時にシルファさんが呼びかける。

「あぁ……えっと、まぁやることもないですし、全然大丈夫ですよ」とはぐらかす様に伝える。実際やることはこれくらいしかないが、どちらかというとここでの食事が楽しみな自分がいるのだ。それをそのまま伝えるのは気恥ずかしく感じたのだった。そうですか?と言いながら別れの挨拶をし帰路に立つ。帰り道にふとライジ君の言っていた事を思い出す。

「肉、かぁ……」確かに孤児院では食事に肉類が出てきたことはない。一度いっそ店で買って持っていこうかと思い市場を探してみたが、あって干し肉で量も一人当たりに制限が設けられていた。食料需給が安定していない国なのかもしれない。あのゴランセムの屋敷や街並みからはそんな様子は伺えなかったので、本当に違う国なのかもしれない……が、そんなことはどうでもいい。と、耐え難い記憶が蘇るのを阻止するため頭を振る。とにかく肉類だ。どうすれば孤児院に肉を提供できるのか。確かに領外の森では何度か獣を見かけたことはある。いっそ狩りをしてみるか?とも考えたが自分の戦闘能力の皆無さでは無謀にも程があるだろう。更には解体なんてしたこともない。ふむ、と考え込む。こういう時は。


「……で?まーた俺か?ここはなんでも屋じゃねぇんだぞ?あぁ?」翌日、領外へ出る前にマイロー氏のワインダ百貨店に寄って相談してみた。まぁまぁとなだめながら、話を進める。結論としてはどうなんですかと。

「そんなもん、無理に決まってんだろ。自分がどれだけポンコツか忘れてるのか?」と至極もっともな意見を賜った。それでも何か手はないですかねとゴネる。メチャクチャ面倒くさそうに「あーあーもう知らん! 獣を探知できる魔導具と解体用の魔導具でも買ってどうにかやってみせろ! そら商売の邪魔だ! さっさと買って出ていけ!」と片手で持てる懐中時計のような形状のものとパッケージされた包丁の様なものを投げて寄越し、店を追い出される。ちゃっかりと支払いの手続きは済ませて。


 いつものように領外に出て、森に着く。探知機の魔導具を起動しながら道すがら食料採取をしていた。そんなこんなで結構な時間が経った時だった。探知機に反応があった。その方向に向かうと熊と見間違うくらい大きな猪のような獣がいた。あからさまに凶暴そうであり、こちらの気配も察知した上で様子を伺っている様だった。少しでも動けば轢き殺されるだろうと確信する。冷や汗が止まらない。だが、一つ策があった。自分に唯一ある力というかなんというか。女神の顕現。実は宿屋にいる時に訓練を続けていたのだ。意図的に女神を顕現させる事と思い通りに動いてもらうことを。


 それは宿屋のベッドに横になっていた時だった。組合での事件をふと思い出す。あれは最初に顕現した時の感覚から「死にたい」という衝動がトリガーになっていることは明らかだ。ならばそれを自ら強く想起させれば意図して顕現させることができるのではないかと思い至った。だが暴走して何でもかんでも死なせたら大変なので、対象がいない純粋な自殺衝動をであれば暴走せずに済むのではないかと考えた。初めこそ上手く顕現してくれなかったものの、コツを掴めばすぐだった。黒い靄に覆われたローブ姿の女神。空中をふよふよ浮いているアウラニイス。よしよし、とひとまず暴走もしていない様子から満足していたが、そこでふと「自分が触れたらどうなるのだろう」と疑問が浮かぶ。恐る恐るちょびっと触れてみると、ほんのり冷たいがしっかり実体はあった。そして触れても何も起きなかった。アウラニイス自身も不思議そうにこちらを見ているだけだった。これはいざという時にはアウラニイスにおぶさって飛んで移動することもできるんじゃないのか?とちょっと不敬なことを思いつく。そんなことはつゆ知らずといった様子のアウラニイスは、空中をふわりと舞っていた。初めのころは顕現時間も数十秒程度だったが、訓練の成果か今では十数分は顕現を維持できるようになった。それでもかなり精神にダメージを負うのだが、こればかりは仕方がない。自分にできる唯一のことなのでなんとか自在にできるようにならなくては。その一念で訓練を続けていた。


 時は戻って獣との対峙。急いで精神を集中させ自殺衝動を強める。コツは息を止めながら心の奥底にある暗い場所に潜るようにネガティブな思考と思想を加速させる。すると音もなくアウラニイスが顕現した。上手くいくかは分からない。だがアウラニイスにあの獣に触れてきて、とお願いしてみる。するとフワフワスルリと獣の方に向かう。獣は何も気が付いていない様子で警戒を解いていない。アウラニイスが獣を前に立ち止まり、頭に手をかざした。すると、獣は痙攣し口から泡を吹き出して、そして近くにあった大きな岩に突進を続け、続け、続け、続け、続け続けて顔面がぐちゃぐちゃになりながら絶命した。深海から海上に出るような感覚で止めていた息をゆっくり深く吸い込むようにすると、アウラニイスはすっと消えた。成功した。狩りは上手くいった。喜び立ち上がろうとしたが崩れ落ちる。どうやら腰が抜けていたようだ。ハハッと乾いた笑いが溢れる。だがこれで子供達に肉を食べさせてあげることができる。子供達の好感度がこれで上がってくれるといいのだが、どうだろう?そうだったらいいなぁ。特にメイプちゃん。と、解体用の魔導具を手に獣の死体に近づいていったのだった。


 第9位貴族、セレス・ヌフ・ピーアース卿は自室から出て苦悶の表情で廊下を歩いていた。九貴族会議で分かったことは国難を認識できているのが貴族の中で自分のみ。証拠もないし情報もない。対策のしようが全くないという絶望的状況のみだったのだから無理もない。廊下を足速に歩きながら、それでも! と自らを鼓舞する。貴族たるもの領民の生活を守ることが第一だ。雇用問題や食料受給率の低さなど問題は山積していたが、私の直感がこれを優先すべきだと奮い立たせる。私だけでも領民をこの謎の国難から守らなければ。広場に集めておいた私兵団が整列していた。

「まずは、忙しい最中、集まってもらって申し訳ない」そういうと頭を下げる。私兵達はざわつく。貴族が私兵団とはいえ平民に頭を下げるなどありえない事だからだ。だがピーアース卿はそういったことに頓着しない。そういった気さくで誠実なところが領民に絶大な支持を受けている要因である。

「皆さんには今から雲をも掴むような難解で不毛な任務をしてもらわなくてはならない」私兵達は困惑している様子である。任務内容も伝えられていない中、その任務の異様性を感じ取っている様だ。

「これは国難である。非常事態である。だが、確証がない。全く手がかりがない。だが! 間違いなくこれは国難である! 私は私の直感を信じる。皆さんには迷惑をかけてしまう。申し訳ない」もう一度頭を下げる。すると私兵団長が「ピーアース様! 頭をお上げください! 我々は貴方様の盾であり矛であり手足です! 文句など誰1人として抱いておりません!」すると私兵団が一斉に雄叫びをあげる。目頭が熱くなるがグッと堪える。泣いてなどいる時ではない。

「私兵団諸君には、まず近辺のスラム街で警邏と事情聴取をメインに、なんでもいい! 怪しい情報を虱潰しにかき集め、逐一私に報告するように! 以上だ!」シンっとした後「解散!」と吠えると私兵団は合意の叫びを上げ散開していく。手がかりも何もないのに文句もなく動いてくれる私兵団に感謝しながらピーアース卿は呟く。

「待っていろ。これは狩りだ」そして自室に戻るのであった。

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