横笛

秋田 朗

横笛

幼き子らが月日ごろ

なにの愁(うれ)ひをくれなゐの唇(くち)もきよらに

つれづれと吹きならひけん

いまほのぐらきものかげの

かばかり塵(ちり)にうづもれてふしまろびたる横笛

昨日子らは晴衣(はれぎ)きて

南のかたに旅だちぬ

―――かくはえうなく忘られて朱(あけ)もふりたる歌口を

ありのすさびのなつかしき幼なごころに

ふともわが吹けども鳴らず

吹けども鳴らず

鳴らねども

うつうつと眼(め)をしとづればうらさびて

わが心のみ秋風にさまよひいでつ

くちずさむうたのひとふし


 国は亡(ほろ)びて山河あり

 城春にして

 萌(も)えいづる

 萌えいづる

 草のみどりを

 ふみもゆけ

 つばくらならば

 はたはまた

 ここの広野にかへりこん

 ―――かへりこん

 心ままなる空の子よ

 あとなき夢よ

 春風の

 柳の糸のたゆたひに


 ふるるひよう

 ひようふつと吹けばかすかに音をたてぬ

 世は秋風の蕭条(しようじよう)と

 色もふりたる蛭巻(ひるまき)の うつろの闇(やみ)の 夢の香の

 あればまたこの夕風にうごくとよ

 老がを指をふるはせて・・・

 ふるるひよう

 ひようふよう

 ふひよう

 ひよう

 調のけぢめも音(ね)のいろもさびおとろへて

 いと遥(はる)かいと微(かす)かいと消(け)ぬがにも たどたどと

 ふみゆく歌の歩どりや

 夕木枯(こがらし)のとどろくに

 盲(めしひ)の嫗(うば)が燭(そく)もなく手さぐりつたふ渡殿(わたどの)の

 かずの隈(くま)々(ぐま)・・・

 ふひよう

 ひよう

 ふひよう

 ひよう

 ふひよう

 さるからに 遠稲妻のかき消えて 夕顔の花ほの白う

 おどろのかげのみじろぐに

 わが吹く息もをののくか 弱くみじかく

 あるは絶え あるはを休み

 またよべばまたもこたへぬ

 ふるる

 ふるるひよう

 ふひよう

 されどこは笛の音いろもさしぐみて

 ひとしほにまた廓寥(かくりょう)としてしはがれてふしはひとふし

 たとふれば尾花がすゑに沈みゆく

 渡りの鳥の

 ひと群れの

 いよいよに

 遠き

 羽風か


 ―――音も絶えて

 額(ひたひ)もさむく汗ばみぬ

 げにいまは

 夢なべて彼方(かなた)に去りぬ

 香もにがく菊はうら枯れほろびたり

 こはすでに何のあはれぞ・・・・

 からび皺(しわ)だみ節だちし

 手もて涙はぬぐふべし

 老がなげきはただひめよ

 まことに笛は幼(をさな)らが

 すさびのうつは

 かかる日のはての日頃の手にとりそ

 忘れても手になとりそね

 かげもなくゆかりの色のさめはてて

 さはかたくうつろの闇(やみ)の扉(と)もとぢし歌の器は―――

 

 三好達治 詩集「故郷の花」ょり

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横笛 秋田 朗 @akitarow

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