第4話 賽の河原
『賽の河原』
○池のほとり
炎熱。じりじりとすべてを焼き尽くそうとする真昼の太陽の熱で、石ころの一つ一つまでが焼けただれて息も絶え絶えになっているような灼熱の池のほとり。
真夏でこれ以上ないほどの暑さにもかかわらず、何故か目の前に幕かなにかが垂れているかのように灰色がかった空気。
時夫「いや、そりゃそうだね。まずこれは大きな池なんだから、賽
の河原っていうのはおかしいやね。」
池の中の浅瀬に使って何やら作業している作業服姿の高齢者数名(男A、女A、B)を見ながら、時夫が連れの國松に話しかけている。
時夫「賽の河原なんか関係ないもんこれ。」
女A「そりゃそうだが。わたしゃあここに幸せになりてえから来て
おるんであって、死ぬために来てるわけじゃねえ。」
國松「賽の河原ってのはね、あの小屋に住んでいらっしゃる教祖様
がここをそう呼んでらっしゃるっていう、まあそれだけの話
なんだがね。」
時夫と國松が視線を変えた先、彼らから二十メートルほど離れたところに本格的なつくりの少し大きな小屋が建っている。
男A「まあ見てもらいんしゃい。もし何か悪運な代物が見つかった
ら、お前もここでこうやって捨てていけばええ。」
國松「あの教祖様はね、人を見るときは必ずその人が持っていると
運気が逃げていく、そういったなにがしかの物を、まあずば
っとご指摘なさる、とそういうわけなんだね。」
時夫「それじゃあ、あなたたちも・・・・・・」
女A「もちろん。それでまあこうやって、ぎこぎこやっとろうね。」
時夫のこめかみを冷たい汗がすーっと流れる。彼はその光景を直視するのを、どことなく躊躇しているようにみえる。
少しひきつった彼の視線の先には、池の中に入って“作業”をしている男女の姿。移動していく視点。男の右肘、その先のこぶし、そこに握られた包丁。その包丁がぎこぎこと切断しているそれは、その男の左手に他ならない。
男A「わしはね、この左手がどうもあかんそうだ。ずっと持ってる
と運勢があがりませんよおって、教祖様にそう言われてしま
った。」
時夫「(少し震えた声で)それで、そんなことをしてるんですか。」
男A「いやあ、仕方がないじゃないですか。」
女B「うんうん、そうですそうです。仕方ない仕方ない。」
女A「いやこの人もねえ、右の膝から下がどうも悪い運を持ってく
るんだって言われてね。どうも縁起が悪いんだそうだね。」
見回すとその広い池には他にも何十人かの人々が小さなグループをあちこちに作って水の中に入っており、各々がその体の一部分を包丁やカミソリなどの道具を使ってぎこぎこと切り取っている最中のようだ。
真っ青な顔をして汗をだらだら流している時夫の肩を叩き、國松が耳元でささやく。
國松「さあ、早いとこ行こうじゃないか。『診察』自体はすぐ済むん
だから・・・」
○小屋の中
薄暗い小屋の中に時夫と國松が入ってくる。正面には、ものものしいが少し薄汚い衣装に身を包んだ教祖が一段高い上座に座り、その後ろや左右を何人かの修行者がかためている。
國松「どうもお忙しいところすいません。今日はこうしてじきじき
に教祖様がお会いくださるということで・・・」
修行者の一人「教祖とは何たる無礼な! 『承り人』とお呼び申せ!」
突然すさまじい怒号で一喝された國松はさっきまでの余裕を瞬く間に失い、汗をハンカチでふきふき、時夫を前に立たせて後ろへ下がってしまう。
時夫が声を出そうとするのを優しく押しとどめ、
承り人「財前時夫さんでいらっしゃいますね。どうぞもう少し、近
くへお寄りになってください。」
びくびくとしながら一歩、そしてまた一歩近づいていく時夫。
承り人「何もおっしゃらなくて構いません。私はもうすべて、あ
なたのことは存じ上げています。あなたが持っているもの、
あなたに欠けているもの、そのすべてを私はすでに『承って』
おります。あなたは今日それをお聞きに来てくださった。何
を手放すべきなのか、何があなたの運勢の向上を妨げている
のか・・・」
「運勢の向上」という言葉を強調しながら、柔和に押し出すように語りかける承り人。神秘性が少し剥がれ、俗物的な笑みが承り人の細まった両眼からこぼれ落ちる。
承り人は高座から降り、時夫の右手を取って両手でゆっくりと包み込む。少しずつ開いてくる、痙攣気味の時夫の顎。
承り人はほとんど時夫にだけ聞こえるような声で、少し興奮しながら、
承り人「あなたの体の中の『気』が『私の』神に語りかけるのです、
その神は時々穏やかでないことだって言うことがあります、
しかしそれがどうしたというのです、そんなことどうだって
いいことじゃありませんか、たとえどれほどの苦しい試練に
見舞われようとも、私達には神がついています、そして祝福
と恩寵がそこにはあるのです、そこに答えがあります、もう
答えはとうの昔に用意されているのです、」
いきなり承り人が時夫の左手首を強い力でつかむ。恐怖で唇が震え、息もできなくなっている時夫。
しかし次の瞬間、手首にかかった力、そして承り人の目の力が一気に抜ける。
時夫が手首に付けていたバンドを優しく取り外し、
承り人「このバンド、持っていると運気が逃げます。これであなた、
何もかも、うまく行きますよ。」
○池のほとり
半ば放心状態の時夫が、よろよろと小屋のある方向から歩いてくる。少し離れた場所には何やら浮かない顔の國松が、地面のあちこちを見ながら重たそうな体を動かしている。
時夫は灼熱の太陽の下を歩いて行く。彼は意識して足もとを見ないようにして歩いて行く。何故ならそこに広がっているのは紛れもない「賽の河原」だからだ。
突き刺すような視線を感じる。あちこちから、時夫めがけて投げかけられる鋭い視線。
時夫はいま殺意のただ中だ。
異次元の惨劇 @yuoiwa
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