第3話 町の風景

『町の風景』


○雑貨屋・奥の座敷

 ぐあああああと力なく声を出す老婆の口もとのアップ。両眼がきょろきょろと何かを探すように畳の上を右へ左へ走っている。

 日中の雑貨屋。奥の和室で小さな唸り声をあげている老婆を尻目に、スーツを着込んだ松岡と雑貨屋の店主が店内で会話をしている。


松岡「それで、その倉本家のお嬢様が東京からお帰りになったとい

   うわけですか。」

店主「ええ。もう五十年近くも前になりますがね。東京で何をして

   らっしゃったのかは知りませんが、こちらへお帰りになって

   からはもうそれはそれはご活躍で。」

松岡「この町の人はみんなそのお嬢様をご存じなんですか。」

店主「いやあ、ご存じも何も。私達はみんな、あのおかたに足を向

   けては寝られません。」


 うううう、ぐあああ、へああああ、という老婆の声が煩わしくなってくる。まるでしつこい蜂か何かのように松岡の耳にまとわりついて離れようとしない。


松岡「でもその倉本家というのは、お嬢様が東京から帰ってくる前

   から、この辺りでは大きな力を持っていたのでしょう?」

店主「え、ええ・・・・・・。いやしかし、あそこは本当に由緒正しい血

   筋の方々なんですから、やはりできる限りの敬意をもって、

   というのが物の道理というものなんですよ。」


 その時、雑貨屋の前の道を何人かの町民達がふらふらと歩いてくる。何をしようというわけでもないが、どことなく肩に力が入ったような、話し相手をどうにかして「ふん捕まえて」やろうという雰囲気。


ゲン「やあ松っさん。お客さんかね。」

店主「そうなんだ、東京から来たって言う雑誌の記者のかたなんだ

が、この町のことを色々と調べに来たとかで。」

幸太「東京から? そりゃあそりゃあ。何について調べに、今日は

   ここへ?」

店主「それが教えてくれんのだよ。しかしまあ私もこれといって話

   すようなこともないんでね。今さっきちょうど倉本家の婆様

   の話を・・・・・・」

ゲン「あ、婆様の話をしとったんか。(胸を叩いて)いや、これでも

   わしは婆様の家で庭師をやってもう三十年近く経つ。何でも、

   聞いてください。力になります。」

松岡「え、あ、あはは・・・・・・。あのう、それではですねえ、先ほど

   ここのご主人から倉本家のお嬢様は東京帰りだというお話を

   伺いましたけども・・・・・・」

ゲン「ああッ、そうだよお。わしが子どもの頃は周りの大人はみん

   な、やっぱり東京で頑張ってきた人はわしらとは違う、立派

   なお生まれの、立派なかたや言うて評判でしたけど、」


 うううう、ああああ、という老婆の唸り声で会話が中断される。奥の座敷にキッと鋭い視線を向けるゲンさん以下町の人々。ゲンさんは少し憮然として、


ゲン「松っさん、あのばばあもう黙らせえよ。毎度毎度ここへ来る

   とうるさくてしょうがなくていかんわ。」

店主「ん、ああ・・・・・・、(松岡に)いやどうもすみません。大した話

   でも何でもないんですが、どうもあのばばあちょっとぼけち

   ゃったみたいで。いやうちの婆さんじゃないんですけどね、

   この店のもとの持ち主にくっついてたばばあなんですけど、

   まあ何でしょう、痴呆というのか何というのか・・・・・・」

幸太「我慢、ができんのよね。」

ゲン「(吐き捨てるように)完全にぼけとるんだ。」


 また会話を再開させようとした一同だが、その耳にさっきまでとは違う老婆の声が聞こえてくる。座敷を見ると、老婆の顔には少しばかりの恐れのようなものがこびりつき、何かから逃れようとしているかのように首や両手をばたばたと動かしている。

 まいったなあという表情の店主。興味を引かれた様子の松岡。


老婆「何ぞや、何ぞや、何、何だろもん、何だろもん・・・・・・」


 店の奥へゆっくりと入ろうとした松岡を店主が押しとどめる。


老婆「殺した、殺しちまったぞ、倉本の女、倉本の女、庄屋庄屋庄

   屋庄屋、庄屋の女、殺した、殺した、殺しちまったぞ、」


 店主と二人がかりで松岡を外へ連れ出しながら、


幸太「いやね、あのばばあこの頃ぼけちゃったせいか、ろくでもな

   い、嘘のことばっかり言っとるんだ、」

店主「あることないことって奴ですよ。」


 外へ連れ出されたがまだ奥の座敷から目を離すことのできない松岡。しかしふと脇を見ると、彼のすぐ隣でゲンさんが真っ赤な顔をして、今にも老婆を殺さんばかりの憤怒の眼差しでじっと睨みつけていることに気づく。


老婆「殺した殺した殺した殺した殺した、庄屋の女が殺せって言っ

   た、あの薬屋、あの薬屋殺せって、わしゃ聞いた、わしゃ聞

   いたぞおッ、聞いた聞いた聞いた聞いた、殺した殺した殺し

   た殺した殺した・・・・・・」


 ただならぬ状況に恐怖を感じた松岡は雑貨屋の軒先の柱へ身を寄せて、驚きの表情と共にもたれかかる。


店主「いや、別に倉本の婆様は庄屋でも何でもないんです、何でも

   ないんでね・・・・・・。」

ゲン「おいッ、倉本のイサオさん呼んでこい!」


 男達の一人がゲンさんの指示を聞いて駆けだしていく。


老婆「ああああうああ、あうあ、殺した殺した、あの先生も殺した、

   あの女、むかつくむかつく、邪魔だ邪魔だ、庄屋の女が言っ

   てた、それであの女も殺しちまった、殺した殺した殺した、」


 日が暮れようとしている。座敷を離れて雑貨屋から歩き出ようとする老婆を店主や幸太が乱暴に地面に引きずり倒す。


老婆「殺した、殺した、殺した、」

ゲン「許せねえ、お前みてえなくそったれ、婆様に迷惑かけやがる、

   てめえみてえなくそが、くそったれが!」


 遠くから、雑貨屋へ向かって何人かの男達が歩いてくる。先頭には、松岡のようにスーツを着た四十代の男。手には鎖のようなもの

を巻きつけ、余った先をじゃらじゃらといわせている。


幸太「おらあッ! イサオさんも東京帰りだかんな、おまえみたい

   な奴には容赦ないぞ!」


 殺した、ころ、ころと喚こうとする老婆を足の先で思い切り突く「イサオ」とおぼしき男。


店主「(憤慨して)すみませんイサオさん、お時間とらせちまって。

   こいつ、もうすっかりボケが進んじまって、あることないこ

   とがたがた抜かしよるんです。」

ゲン「おいばばあ! てめえだって承知だったじゃねえか! それ

   を今更なんだこらあッ!」


 胸を押さえて体を震わせながら、弱々しくぐったりと倒れ込む老婆。


イサオ「これはいっそやっちまったほうがいいかもしれないな。」

店主「え、」

イサオ「殺すんだよ。仕方がねえ。」


 一瞬凍りつく一同だったが、イサオの鋭い目つきを見て自分を納得させるように気をふるいたたせる。


店主「わ、わかりましたッ。」

イサオ「(少し声を落として)あとお前のとこに来てた客、逃げない

   ように待たせとけ。」

店主「は、はい。すみませんお客さん、見苦しいところを・・・・・・」


 響き渡る店主の叫び声。店主の視線の先にも、きょろきょろと周囲を見回す一同の視界にも、東京から来たあの記者の姿がない。


ゲン「ぐわあああああああああ! 何やってんだてめえええこらあ  

   あああああああ!」

店主「ふ、ふわあ、すんま、すんま、すんまっせ、」

イサオ「(血相を変えて)おいお前ら! はやく探せ!」


 ぱらぱらと散っていく男達の姿が、遠くから見える。


○雑貨屋の裏手

 雑貨屋の裏手の草むら。汗でぐっしょりと濡れた松岡が容赦なく照りつける太陽の下を逃げていく。足がもつれ、顔を木々の枝が叩くが、それでも走って逃げ続ける。

 背後のかなり遠くの方でざわめき。彼を追いかけてくるような音が小さく聞こえてくる。

 息づかい。肺から音が漏れ出てくるような音。




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