第2話 出所

 昭和五五年三月


茂倉野もぐらの、もう戻ってくるなよ」

「お世話になりました」

 小太りの男が、下連雀しもれんじゃく刑務所の門を出て、人影のない道を駅に向って歩き出した。七年ぶりに歩く街は、中途半端に想定の範囲内の変化をみせていた。想定の範囲内というのは、かつて自分が押し入った団子屋やケーキ屋が入れ替わって何も無かったように営業を続けている、そんな内容だ。つまりかつて団子屋であった店舗がケーキ屋になり、ケーキ屋だった所が団子屋になっているということだ。


 茂倉野 八反はったんは、駅で切符を買い急いでホームに到着していた電車に乗り込んだ。車内では身を隠すように隅の席に座った。四谷に着くまで下を向いていた。駅に着くと人混みに紛れて改札を抜け、表通りから外れた路地に建つ雑居ビルの階段を上る。

「ご無沙汰しております。茂倉野 八反です」

 物音一つしないドアにむかい八反は挨拶をした。返答はない。

「ただいま、戻りました。もぐらの はったんです」

「・・・」

 やはり中から返事はない。八反は顔を上げ電気のメーターを確認した。止まっているようだ。「誰もいないのか」と八反は廊下の壁に背をもたせかけ上着のポケットからタバコを取りだし、マッチを擦った。そのときポケットに鍵があることに気づいた。

「あっ、鍵持ってたわ」

 八反は自分がかつてここを自宅兼事務所にして一人で住んでいたことを思い出した。挨拶しても無駄である。当時も今もここには八反しかいない。

 八反は鍵を開け七年ぶりにそのドアを開けた。



(つづく)

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