間章
第13話 死者の宿る指輪
冷たい風が吹く。出会った者の熱を奪い去ろうとするかのように冷たい風が吹きつけている。
黒衣の上から我が身をかき抱くようにして、それに抗いながら歩いていく。
季節は冬。
夏の間は命に満ち溢れていたであろう畑も、今は荒野のようなありさまで道の両側に広がっている。
道沿いに掘られた水路もすっかり干上がってしまっており、荒涼とした景色に一層拍車をかけていた。
こんな荒れ果てた大地だというのに、数カ月後の春には芽吹いた草花によって覆われるのだから不思議なものだ。
自然の力強さというものは計り知れないものがある。
ただまあ、今現在その力強さによって凍えてしまいそうになっているのだが。
「おや?」
何かに呼ばれたような気がする?
いつもながら唐突だ。たまにはこちらの都合を配慮してくれてもいいのではないだろうか?
そんな愚にもつかないことを考えながら、辺りを見回してみる。
「こちらかな?」
直感に従って右へと向かう。最初の一回以降呼びかけは途切れたままだ。
それほどまでに消耗しているのか、それとも……。
子どもの場合、遊び相手を探していることもある。この前など三日間も延々とかくれんぼをやらされる羽目になった。
ぶるぶるぶるぶる!思いっきり顔を横に振って辛い記憶を消し飛ばす。
余計な先入観は判断を狂わせる元となる。今は一刻も早く呼びかけてきた相手を見つけだすことが大切だ。
何せ、冷たい風は今も止むことなく吹き続けているのだから。
「あれは、なんだろう?」
干上がった水路の底に光るものが見えた気がした。「よっと」声を出しながら、子どもの背丈ほどの高さを飛び降りる。
こちらにとっては幸いなことに水路の土は乾ききってぬかるむこともなかった。
屈みこんで近くで見ると、半ば土に埋まったそれは指輪だった。掘りだして手に取ってみると予想していたよりも遥かに状態が良い。
それどころか、良過ぎている。
どの程度前からここにあったのかは分からないが、秋以前であれば水底に沈んでいたことになる。
しかしこの指輪には材質は不明だが錆びた形跡はなく、それどころか細かな傷すらついていなかったのだ。
そう、まるでなにかに守られているかのように。
一番ありがちなのは品質を保持するための何らかの魔法がかかっていることだが、感知してみても特に強い魔力は感じられない。
「もしかするとこれは……」
呼びかけの先にあった綺麗な指輪。
嫌な予感がする。
それでも確かめない訳にはいかない。
周囲の魔力を集めながら、どことも知れない世界の言葉でこの世界にも通じる理に働きかける。
「指輪に宿る者よ。その姿を見せなさい」
「私を呼ぶのは誰?」
うっすらと靄のような人型が現れた。その口調と美しい顔つきや体形から女性であることが分かる。
しかし、彼女の姿は背後が透けて見える程度でしかなかった。
「先に私を呼んだのはあなたの方ではないですか」
「そう、なの?ごめんなさい。最近、記憶が曖昧になっているの」
謝りながらもどこか楽しそうな女性。
指輪に封じられていたというのに、その魂に損傷は見られない。
自分の顔が渋面になっていくのが分かる。
魂を傷つけることなく器物へと封じる、そんな高度な死霊術が実用化されていたのは古代に興った魔法文明の時代だけだ。
つまりこの女性は気の遠くなるほどの過去からこの指輪に宿っていることになる。
「あの……、女性にこのようなことを聞くのは失礼かもしれませんが、御自身がお産まれになった年を覚えていらっしゃいますか?」
「……確かに女に歳のことを聞くのは失礼ね。でも、そのことをちゃんと理解した上でのことのようだから今回は許してあげるわ。私が生まれたのは――」
女性の口から飛び出した年号は間違いなく魔法文明期のものだった。
当時は今とは比べ物にならない高度な技術が存在していたとされている。
金属一つとっても作り方はおろかその存在そのものが遺失してしまった特殊な合金が存在していたと伝えられている。
どおりで指輪に一つの傷も付いていないはずだ。これはそうした特殊な合金で作られているものなのだろう。
しかしそれだけではない。
「封じ込めた魂を用いて依代となる指輪の状態を保つ、ですか……。この方法と術式を開発した方は随分と素敵で素晴らしい人だったのでしょうね」
声に険がこもり、それに比例して皮肉めいた言い方となる。
そう、指輪は確かに守られていたのだ。その内に宿る魂によって。
「不老不死の研究の一環、だったそうよ。あなたの様子を見る限りそちらの方は上手くいかなかったようね。その途上の私が、今もこうしてあり続けているのはどんな運命の悪戯なのかしらね」
ふふふ、と女性は軽やかに笑う。
文字通り年季が違い過ぎて、そこから彼女の心の内を知ることはできそうにもなかった。
「それで、どうして私を呼んだのですか?」
「こちらとしてはそんなつもりは全く無かったのだけれど?そもそもあなたは一体何者?」
「私は見ての通りの死霊術師です」
身に纏った黒衣がよく見えるように腕を上げる。
すると、女性の美しい眉が形を変えた。
「……いつから死霊術師はそんな陰険な格好になったのかしら?」
「い、陰険!?」
「死者を敬い無垢なる気持ちで接するべきである。これが死霊術師の原点であり、その証として白衣以外を着るべきではない、とされていたはずよ」
予想もしなかった場所で死霊術成立当初の理念を聞くことになったものだ。
いや、生命の存在が希薄な荒涼たる大地が続き、寒風吹き荒ぶこの場所でこそ聞くべきことだったのかもしれない。
そう思うと運命めいた何かを感じる、ような気がしないでもない。
だが、
「この黒衣だって死者を敬うためのものです。そして何より死そのものへの敬意を払ったものでもあるのです」
陰険などと言われて、黙ってはいられない。
しばし女性と睨み合う。先に折れたのは女性の方だった。
「どうやら私が思っている以上に時が経っているようね。最低限必要なものは受け継いでいるようであるし、それが今のあり方なのであればこれ以上文句は言わないわ」
「ありがとうございます」
引いてくれるのであれば、こちらとしてもそれ以上言うつもりはない。
どこか上から目線な所はあるが、魔法文明期出身者として彼女にも譲れない部分があるのだろう。
話が逸れた。
「それではあなたは、『魂の休息所』へと向かうために私を呼んだ訳ではないのですね」
「そうよ。……それ以前に私が送れるのかしら?」
「今のままでは無理ですね。あなたはこの世界に悔いも何も持っていません。指輪に封じられている、という一点でのみ存在している状態ですから、あるいはその指輪を破壊することができれば可能かもしれませんが――」
「オリハルコンを芯地にして、その周囲をミスリルで覆っているのだけれど?」
「……とても頑丈に作られているようで結構なことですね」
個人では太刀打ちできないどころか、世界中探し回ったとしても徒労に終わりそうだ。
そうなると、残る可能性は
「もう一度生きてみたい、この世界に生まれ変わりたい、と思うことでしょうか。そうすれば指輪との結びつきが弱まり、封印を解くことができるかもしれません」
ということなのだが、これにも魔法文明期の術式に打ち勝てるのか、という難問が付きまとう。
「それしかないかしらね」
「それでは自己紹介といきましょうか。私はイヅミ。旅の死霊術師です」
「私はリンよ。指輪の精霊さん、ってところね」
こうしてイヅミの旅に奇妙な連れが追加されることとなったのだった。
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