第11話 生者たちの生活

 コリアト村は貧しい寒村だ。

 いや、貧しさから抜け出すための機会を失ってしまった村だとステラには感じられた。


 数年前まではこうではなかった。

 ある一人の青年の存在が、こんな村にも未来というものを見せてくれていた。

 しかしその存在は失われてしまった。恐らくは目の前にいるこの男と仲間たちの手によって。


「おい!ステラ!俺の話を聞いているのか!」


 気に入らないことがあればすぐに怒鳴り散らす。その割に大事な時には怯えて縮こまってしまう役に立たない男だ。

 仲間たちも同じだ。普段の威勢だけはいいくせに、近くに現れる凶暴な獣の一匹も狩ることができない村のお荷物。


 そんな連中を貴重な男手だとして甘やかす村のあり方そのものを、最近では不快に思うようになっていた。

 正直、何度も村を出て行くことを考えたが、行く当てがある訳でもない。

 街に出れば何かある、などと軽々しい希望を持てる年でもなくなったこともあるだろう。


 何より、もしかすると彼が帰ってくるかもしれない、そう思うとここから離れられなくなるのだった。


「おい!話を聞いているかって言っているんだ!」


 目前の男は懲りもせずに延々と大声を張り上げている。

 それだけ元気があるのなら開墾にでも性を出せばいいと思うのだが、そうした考えには至らないらしい。


「うるさいわね。あんたと違って私は忙しいの。くだらない話に付き合っている暇はないわ」


 いい加減に鬱陶しくなってきたこともあって、ステラの言葉にも険が混じる。そして言ってから失敗した、と思った。

 男は相手にすればするほど図に乗る性質だ。最善の策は放置しておくことになる。


 普段であればとっくに諦めてどこかに行ってしまう頃合いになっても付きまとって来るので、つい反応してしまった。

 案の定、男はニンマリと不快感を覚える笑みを浮かべている。


「俺の嫁になればそんなに働かなくてもすむぜ。なんせ家には大金があるからな!」


 カッと頭が熱くなる。

 それは彼が必死に働いて捻りだしたものだ!

 それをこの男は当然の権利のように無為に消費しているのだ。

 殴りつけてやりたくなる衝動を抑え込む。


 ステラの家は雑貨屋で、その帳簿を付けている――彼に教わったことの一つだ――のは彼女である。

 男とその父親が毎日使っている金額から、男の言う大金がもう残り少なくなっていることは分かっていた。

 その時になって後悔しても、もう遅い。

 金の卵を産む鶏を殺したのは男たち自身なのだから。


「だからいい加減にお前も俺のものになれよ」


 馴れ馴れしく肩に廻してくる腕からスルリと抜ける。


「冗談も大概にして。あんたと一緒になったりしたらどんな苦労させられるか分かったものじゃないわ。そういうことはせめてまともに稼げるようになってから言うことね」

「お、俺が穀潰しだって言いたいのか!?」


 はあ、と溜め息を吐く。言いたいのではなく、はっきりそう言っているのだが、この男には理解できなかったようだ。

 そのくせ彼よりも優れていると思い込んでいるのだからどうしようもない。

 やはり相手にするだけ時間の無駄だった。これ以上話すことはないと頭を振りながら歩き始める。


「おい!ステラ!」

「きゃ!?」


 男の怒鳴り声が響いたかと思うと、後ろから強い力で引き倒された。

 編んで後ろに垂らしていた髪を引っ張られたのだと気付いたのは、背中を地面に強かに打ちつけた後だった。


「う、ぐっ……」


 いきなりのことで受け身も取れなかったため、打ち付けた背中に痛みが走る。

 頭を打たなかったのは良かったが、髪を引っ張られたために首を痛めているかもしれない。

 元凶である男は苦痛にうめくステラを見下して、ニヤニヤと嫌な笑みを顔に貼りつかせていた。


 悔しい。

 こんなことをされて涙を浮かべている自分が悔しい。

 一刻でも早く起き上がりたくて、痺れの残る体を懸命に動かす。

 小さな子どもの時のように片腕で目を擦り、視界の邪魔になっている涙を強引にどかせる。

 男は相変わらずニヤニヤと笑い続けている。


 バシン!!


 思いっきり振り抜いた右手に熱がこもっていく。

 反撃があるなんて思ってもいなかったのだろう、頬を張られた男は無様に尻もちを着いていた。


 その頃になってようやく騒ぎを聞きつけた村人たちが集まり始める。


「何の騒ぎだ!?」

「お、親父!ステラがいきなり俺のことをぶったんだ!」


 村人をかき分けて現れた高齢の男性に、男が泣きつく。


「先に手を出してきたのはそっちの方でしょ!」


 勝手な言い分を信用されては堪らない。男をキッと睨みつけながら、はっきりとそう言い放つ。


「理由がどうあれ、女が男に手を上げるとはけしからんことだ。ステラよ、そんなだからお前は未だに結婚できんのだ」


 しかし、男性はそんなことはおかまいなしにこちらを一方的になじり始める。

 身内贔屓にも程がある言い様に、カッと怒りがこみ上げる。「お前のどら息子を始め、碌な男がいないからだ」と怒鳴ってやりたくなったが、そこまでしてしまうと事が大きくなり過ぎる。

 いや、いっそのこと、そこまでしてしまった方が村のためになるのかもしれない。


「やめんか。ドノバも言い過ぎじゃぞ」


 村長が間に割って入ってきたが、どちらも引けない状態だ。


「コリアト村というのはこちらでしょうか?」


 場違いに――ただし普段であればこれほど釣り合う声というのもなかなかないと思わせるような――のん気な声が聞こえてきたのはそんな時だった。

 男たちに警戒しながら視線を向けると、そこには黒衣を纏った人物が立っていた。

 集まっていた村人全員の視線を受けても気にしない飄々とした態度だ。


「誰だお前は!勝手に村に入ってくるな!」

「黙れドノバ!」


 勝手に話を進めようとする男性、ドノバを村長が窘めようとするが、今一つ効果がない。


「勝手に入るな、と言うのであれば入口に見張りくらいは置いてもらいたいですね。これでも何度も呼んだのですよ?まあ、こんな奥で騒いでいたのであれば、気が付かなくても仕方ないのかもしれませんが……。

 おっと、自己紹介がまだ出したね。私はイヅミと申します」


 村長たちのやり取りを気にすることなく、黒衣の人物、イヅミは話し始める。

 村人たちの多くはその雰囲気に呑まれてしまって、ポカンと口を開けていた。かくいうステラも突然の闖入者に登場に困惑していた。


「確かにここはコリアト村じゃが……あんたは旅人かな?」


 そんな中、いち早く立ち直ったのが村長だった。


「旅人が何の用だ!」


 その次がドノバ。

 それにしてもうるさい。さすがのイヅミも顔をしかめている。

 いちいち怒鳴らなくては気が済まないようだ。息子である男の怒鳴り癖は間違いなく父親であるドノバの影響だろう。


「旅人と言えば旅人なのですが……、こちらに立ち寄ったのは別の用件ですね」

「その用件とは?」


 ドノバが怒鳴るより前に、村長が聞き返す。


「以前この村に住んでいた、スチュアートさんの代理としてやってきました」


 イヅミの発した言葉に、今度こそ村人全員が絶句したのであった。

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