第10話 死者の記憶

 スチュアートの短い人生は他人から裏切られることの連続であったと言っても過言ではない。


 彼は村々を回る行商人の子として生まれた。

 母親はスチュアートを産んですぐに過酷な行商生活に耐えられなくなり、何処へともなく出奔した。


 十歳になる頃に父親が急死。

 懇意にしていた商会は掌を返したように冷たくなり、仲の良かったはずの同業者たちもこぞって彼の父親が持っていた販路を奪っていった。


 スチュアート自身はある村に住む遠縁に引き取られたものの、そこで待っていたのは奴隷のような日々だった。

 寝床は家畜小屋よりも粗末な作りの離れで、家での雑用や何やらを全て押し付けられ、できなければ暴力を振るわれた。

 家族の残り物を食べられれば良い方で、数日間水しか口にしないこともままあった。


 それでも彼は腐ることなく働き続けた。

 父の行商に付いて回っていた時分に読み書き、計算はできるようになっていたので、時間を作っては村にあるいくつかの店で帳簿を付ける仕事をするようになった。

 人当たりの良さも相まって徐々に村人たちから信頼を得ていくことになる。


 そして十五歳で成人する際に自分を買い戻し――これまで自分が生活するのにかかった費用を割り出し、その約二倍の金額を叩きつけて縁を切ったのだった――、村の正式な一員となったのだった。

 それから数年間は忙しいながらも穏やかな生活が続いた。


 転機となったのは十八歳の時、近くの町への買い出しを一手に引き受けていたグラッツが獣に襲われて、町へと出向くことができなくなったのだ。

 後任として白羽の矢が立てられたのがスチュアートだった。

 読み書き、計算ができて、幼少期の経験からそこそこ交渉もできる、確かに自分で考えても適任であると感じた彼は、その任を引き受けることにした。


 数日後、村長を始め多くの村人に見送られながらスチュアートは意気揚々と出発した。

 往復それぞれ一日ずつの短いものだが、久しぶりの旅路に彼の胸は高鳴っていた。


 残酷な運命が動き出したのは昼を少し過ぎた時だった。

 キョロキョロと昼食を取るのに適当な場所はないかと探していた彼に、突然数人の男たちが襲いかかったのである。


 ボロ布で顔の大部分を覆っていたが、それはスチュアートを引き取り奴隷のように扱った遠縁の男とその息子、更には幾人かの村の若い男たちであった。

 元々他所者である自分を嫌う者がいることは分かっていたが、殺されるほど憎まれているとは思ってもいなかった。


 そして、驚きと戸惑いの中で、抵抗という抵抗もできずにスチュアートは十八年という短い生を終えることとなった。


 気が付くとスチュアートは魂だけの存在となっていた。

 視線を下げると襲撃者たちが下卑た笑いを上げながら自分の体を漁っているのが見えた。

 男たちの目的は彼が村人たちから預かった金を奪うこと、そしてその罪を殺したスチュアートに擦り付けることだった。


 襲撃者のうちの数人が彼の遺体をずた袋に詰め込むと、町の方へと歩き始めた。

 そして体との繋がりが切れていないのか、魂もそれに引きずられていく。




「そしてこの場所に捨てられたという訳さ」


 悲痛なはずの過去を語るスチュアートの声音はあっさりしたものだった。

 まあ、そのお陰で必要以上に感情移入することがなかったのだから、別に文句はない。ただ一つ気になるのが、


「今のお話の中には、あなたの心残りとなっているものが出てきていないようなのですが?」


 ということだった。


「ああ、さすがは死霊術師。やっぱり分かってしまうものなんだね。……そう、はっきり言ってあの連中のことは今となってはどうでもいい。さっき君が邪気を散らしてくれたから、余計にそう感じるのかもしれないね」


 言われて確認してみると、悔いの一部が消え去っていた。

 更に邪気を引き寄せていた部分がなくなったためなのか、魂が悪霊化する流れに楔を打った状態になっている。

 いずれ抜けてしまうとしても、じっくりと対策を練る時間ができたのは大きな成果といえる。急いては事を仕損じやすいからだ。


「それでは、あなたの一番の心残りとは何なのですか?」

「……ステラに何も伝えられなかったことかな」


 話に出てきた村のある方角なのだろうか、スチュアートは遠くを見つめながらそう口にした。


「ステラさん、というのは?」

「村の雑貨屋の娘さ。僕と同い年でね。読み書きを教えていた僕の生徒でもあったんだ」


 言葉が途切れ沈黙が続く。思わず先を急かしたくなる気持ちを堪える。下手な催促はようやく開いた心を閉じさせることになりかねない。

 余裕はあるのだ。焦る必要はない。


「彼女がいたからこそ僕はあの村でも腐らずにやっていくことができていたのだと思う。好きだったのかどうかと聞かれると……、うん、好きだったんだろうね」

「将来を誓い合っていた、とか?」

「そこまでではなかったね。お互い、生きていくことに必死だったということもあるのだろうけれど」


 都会に田舎、この世界での平民の暮らしが厳しいのはどこでも同じだ。

 懸命にしがみついていかなければすぐに振り落されてしまう。そして落ちた先にあるものは死、それのみである。


 さて、これでスチュアートの事情は大まかに理解できたと言っていいのではないだろうか。

 懸念だった心残りも復讐などといった物騒なものではないようであるし、これならば協力できそうに思える。


「もしも、あなたのその心残りを解消する方法があるとすればどうしますか?」

「例え話かい?」

「違います。ステラさんに会うことができるかもしれない、ということです」

「……本当にできるのなら、もしも君が悪魔であってもその話に乗るだろう」


 しばらく考え込んだ後、彼の出した答えは応であった。望んだ通りの回答に口角が上がる。


「悪魔でなくてもできますよ。ただし相応の運は必要になりますが」


 何せ彼女が今でも村に、あの時と同じように住んでいるかどうかは分からないのだから。


「そうか、君は死霊術師だったね。あまりにも普通に会話していたから自分が死者であることすら忘れかけてしまっていたよ」


 スチュアートのわざとらしいお世辞に笑いの質が苦笑いへと変わっていく。それでも、本当にそうであればいいとも思う。


「お願いしてもいいのかい?」

「はい。いくつか覚悟してもらうことがありますが」

「そのくらいは受け入れるさ。このままここに居たところでお互いにとって最悪の結果にしかならないようだし、ね」


 こうしてイヅミはスチュアートを伴って、彼が生の約半分を過ごした村へと向かうことになったのだった。

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