異世界のありふれた悲劇と稀に起きる奇跡

第9話 路傍の死者

 旅とは得てして過酷で厳しいものである。故にその道中で力尽きるものは少なくない。

 例えば獰猛な獣に襲われ、例えば凶悪な病に侵され、例えば辛い飢えや乾きに苛まれ、旅人は道半ばで倒れる。

 そして獣に食われることを含めてその遺体が処理されることは少ない。大半は道端に放置されて、その場で大地へと還っていくのだ。


 そう、ここにある遺体のように。


「うん?」


 それに気が付いたのは本当に偶然だった。

 放置されてからそれなりの時間が経っているのだろう、既に白骨化しており、その骨もまた風雨に曝されてかなり傷んでいた。

 完全に大地の一部となるのも、そう先のことではないだろうと思えた。


 死した経緯から多くの魂は悔いを抱えている。だが、自身の体が還っていく頃には、その悔いも擦り切れていく。

 また、通りがかった者のふとした仕草に感化されて悔いを捨て去ることもある。

 いずれにせよ時間と共に歪みとなるほどの大きな悔いは消え、彼らは『魂の休息所』を経て次の生へと廻るのである。


「これは……、良くないな」


 しかし何事にも例外というものは存在する。

 死んでから相当の時間が経っているにもかかわらず、この遺体の持ち主は強い悔いを持ち続けていた。

 このまま放置すれば、『魂の休息所』へと向かっても、悔いが歪みとなってしまい、次に廻る時に害となって現れるだろう。

 それどころか最悪の場合、生者を妬み襲いかかる悪霊となるかもしれない。

 そうとなれば、死霊術師としてやることは決まってくる。


「こんにちわ。少しお話をしませんか?」


 遺体の側に座り込んで話しかける。

 何も起こらない。

 しかし、幸いにも他に道を行き交う人はいない。誰の目を気にする必要もないので、反応があるまでじっくりと待つことにしよう。


 変化があったのはそれから一時間ほど過ぎた頃のことだった。想定していたよりもかなり短い。

 そのため、


「あ、急いで食べてしまうのでもう少し待って下さい」


 という事態になってしまった。

 言い訳を許してもらえるのであれば、こちらの世界の食材を使って調理していた――干し肉を削ぎ落し、乾パンを砕いて煮込むだけのことなのだが――ので、出来上がるまでに時間がかかってしまったのだ。


「死者の隣で食事をするなんて、気は確かなのかい?」


 姿を現した男性、であろうか、人影が恨みがましい口調で言う。


「骨だけですから、苦行というほどではありませんよ」


 などと軽口を叩いて返していたが、内心では


(食事程度ではなびきもしない、と……。これは面倒なことになりそうだ)


 と、溜め息を吐いていた。

 そう、死者の間近で食事をするなど、本来であれば新たな未練を抱かせかねない禁忌とされる行為である。

 あえてそれをしたのは、反応を早めるための挑発という側面もあったのだが、男性の抱える悔いの強さを量るためだった。


 一般的に生きていくための基本的な欲求というのは悔いとなり易いのであるが、それが太刀打ちできないほどの強い悔いを持っていることが判明したのだ。

 さて、これはどうしたものか?などと考えてみても、できること、やるべきことは決まっている。

 悔いを取り除く。これしかない。


 物騒な悔いでなければいいが。そんなことを考えながら自己紹介を始める。


「改めまして、私は旅の死霊術師イヅミと言います」

「ああ。どおりで僕の姿に怖がったり、驚いたりしない訳だ。それで、その死霊術師さんが何の用かな?使役するための死体を探しているのならば、悪いけれど使い物にはならないだろうね」


 そう言って男性は元自分の体を見下ろす。

 確かにゾンビにしようにも肉がないし、かといってそれなりに風化を始めているのでスケルトンにするにも適さない。

 更に自我が強く残っているので魂をゴーストへと加工することもできない。

 もしも彼を部下としてスカウトしようと企んでいたのであれば、思わず天を仰ぎたくなったことだろう。


「そのつもりはありませんよ。一人で旅をするのが性に合っていますので」


 その旅に他人が付いてくることができない、というのが本当のところなのだがそこまで詳しく説明する必要はないだろう。


「勿体ぶっても仕方がないので用件を言いますと、このままここにいると、あなたは悪霊化する危険があります。ですから、抱え込んでいる悔いを早々に消化して『魂の休息所』へと旅立ってもらいたいのです」

「そんな感じはしていたけれど、やはり僕の状態というのは危ないものだったのだね」


 本人が兆候を感じ取れるほど、となると悪霊化の一歩か二歩手前まで悪化しているということだ。

 まさに間一髪のタイミングでこの場を訪れたのだといえる。


 しかし、まだ完全に悔いを消化させられると決まった訳ではない。

 むしろその内容によっては悔いを諦めさせなくてはいけない。果たしてそれに従ってくれるかどうか。

 最悪、悪霊化した彼を滅ぼすという選択肢も念頭に置いておかなくてはいけないだろう。


「はい。それで、もし良ければあなたの心残りとなっていることを聞かせてもらえませんか?これでも各地を旅してこちらに留まっていた多くの人たちを『魂の休息所』へと送ってきました。力になれるかもしれません」


 思案する男性。

 出会ってからまだ一時間と少し、顔を突き合わせてからで言えばほんの十数分だ。

 信用できるかどうか悩むのも当然である。

 しかし残り時間が少ないこともまた事実だ。できれば早急に判断を下してもらいたい。


「嘘を吐いているようには見えないね。それ以前に嘘を吐く理由がないか……。神に仕える者たちならば、僕が悪霊化をすることを防ぐことで点数になるのかもしれないけれど、神官というにはその黒衣は陰気だし……。分かった。君の言うことを信じるよ」

「ありがとうございます」

「礼を言うのはこちらの方だと思うのだけど?僕としても悪霊なんてものにはなりたくはないし」


 そう言って男性は苦笑する。

 それによってほんの少しだが周囲の邪気が薄れていく。

 目を凝らしてよく見てみると、彼を中心として周囲一帯に邪気が集まっていた。

 道行く人がいないのはこのためだったらしい。


 恐らくは彼の悔いの一部――もしも全部であれば既に悪霊化しているはずだ――に反応して、時間をかけて少しずつ集まって来たのだろう。

 ついでの仕事だ、害のない程度に散らしておく。

 消し去らなかったのは、邪気もまたこの世界を成り立たせる要素の一つだからだ。


「少し気分が軽くなった気がするね」


 先ほどよりも穏やかな顔で男性は語り始めた。

 死へと収束する悲劇を。

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