第8話 それでも会いたい人

 町に着いたのは翌日の昼前のことだった。

 昼食を作っているのだろう、あちこちから良い匂いが漂ってきている。


「俺たちのことは気にせずに、ちゃんと飯を食った方がいいぞ」


 その匂いにつられてぐうー、と盛大に腹の虫を鳴かせている飼い主に向かってソリオが言う。


「そうですよ。倒れてしまっては元も子もないんですから」


 今にも倒れそうな同行者の姿に、カウリも心配そうな顔つきをしている。

 その感覚は既に死者となっている二人には縁遠くなったものではあるが、生前の大半を共に過ごしていたので、見ているだけでも辛くなってくるものがあった。


「お気持ちはありがたいのですが、これは私の矜持の問題ですから。なに、お二人に未練なくいってもらうまでは耐えてみせますよ」


 と、本人は不敵に笑ったつもりかもしれないが、傍から見ると無理をしているのがバレバレである。

 その様子から二人は矜持というよりは、まるで驕児のようだと思わないでもなかったが、他人には理解し難い拘りがあるのかもしれないと思い直す。

 願わくば、そうした矜持によって命を擦り減らすことがないように陰ながら願うのみである。


 さて、三人の内ただ一人の生者であるイヅミがどうしてこんなにも腹を空かせているのかというと、昨日から水しか口にしていないからである。

 理由は先ほど本人が言った通りなのであるが、実は携帯食としてインスタント食品やレトルト食品しか持っておらず、二人にそれを見せることができなかった、という裏の事情も存在している。


 旅人の携帯食といえば堅く焼きしめたパンか干し肉というのが定番である世界の二人にとって、それは例え食すことをしなくても、高い確率で新しい未練となる可能性があった。

 そのため己が死霊術師の矜持に従って、水だけで我慢してきたのである。


「それよりも今はお二人のことです。この町に居るのですよね?お二人が会いたい、いえ、会わなければいけない人が」


 表情と共に場の空気を引き締める。

 既にキメラ討伐で多くの力を使い果たしているのだ。それに伴い彼らを繋ぎ止めてきた思いが薄れてしまっている。

 厄介なのは本人たちがそのことに気付いていないことである。

 頻繁に指摘してやることで残る心残りに意識を向けさせてはいるのだが、もたもたしていると成すべきことを成さないまま、つまりは歪みを抱えたままで『魂の休息所』へと旅立ってしまいかねない。


 カウリとソリオを前にして町外れに向かって進んでいく。

 しかし、時折二人の足取りが重くなり、思うように勧めていない。

 これまでの様子から薄々勘付いてはいたが、二人にとって心残りと向き合うことは苦痛でもあるようだ。


 やがて一軒の古びた建物の前に出た。


「孤児院ですか?」

「ああ。俺たちはこの孤児院の出身なんだ」


 一歩町の外に出ればそこは魔物がうろついているような世界である。

 また魔法があるとはいっても人々の衛生に関する意識は低いためか、病気が重篤化する傾向もある。

 小さな村でも数人、大きな町に至っては数百から千人単位で孤児がいるのが普通だ。この町の規模なら少なくとも百人はいるだろう。


「とは言っても世話役が高齢化していて、しかも建物も老朽化が目立つということで、隣の地区の孤児院に合併されてしまいましたけれどね」

「そうですか。……うん?それにしては建物が綺麗過ぎる気がしますけれど?」


 人が住まなくなった途端、家というのは朽ちていく速度が増す。

 どれほど前のことなのか正確なことは分からないが、二人が亡くなるより前に閉鎖されたにしては痛み具合が少ない。


「何かと物がいるからな。倉庫として使っているんだろう」

「それと、あの子たちが毎日掃除をしてくれているのでしょうね」


 二人がそう言った時、元孤児院の扉が開いた。


「あれ?カウリ兄さんにソリオ兄?」


 中から出てきたのは成人間近に思われる少女だった。


「コーニャ。大きくなりましたね」


 二人の顔を替わるがわる見ている少女に、カウリは懐かしそうな顔で答えた。


「や、やっぱり!ちょっと待ってて!先生とジンを呼んでくるから!」


 そう言い残すとコーニャは勢いよく走り去ってしまう。


「大きくはなったが、慌てんぼうな所は変わっていないようだな」


 そんな彼女の後姿にソリオも笑みをこぼす。


 しばらく待っていると、コーニャが同年代の少年と年配の女性を連れて戻って来た。

 先ほどの彼女の台詞にあったジンと先生だろう。

 しかし、二人の顔がはっきり見える所までやって来た二人の反応は両極端なものだった。


 少年、ジンは満面に笑顔を湛えて、体当たりをするかのような勢いで走り始めた。

 一方、先生は真っ青な顔になってその場に立ち止まってしまう。

 それは二人の今の状態を理解していない者と、理解してしまった者との違いでもあった。


「二人ともお帰り!帰って来たってことはあの化け物はやっつけたんだね!」

「あ、ああ!倒したとも!ちょっと時間がかかってしまったけれど、な!」


 そんな先生の様子に二人は一瞬悲しげな表情を見せたが、近寄って来た子どもたちを心配させまいと話を始めた。

 そんな二人を残してイヅミは先生へと近寄っていく。


「はじめまして。イヅミと申します。お気付きのこととは思いますが旅の死霊術師です」

「死霊術師……。それではやはり見間違いではなかったのですね……ああ!神よ……!」

「おっと!?大丈夫ですか?」


 カウリと同じ聖印を握りしめたまま、崩れ落ちそうになった所を慌てて支える。

 その体は何か大切なものがなくなってしまったかのように軽かった。

 幸いにして子どもたちにはその様子が見えていなかったようだ。

 二人にこちらは任せておけと頷き、彼女を休ませるために元孤児院の建物の中へと入ることにした。


「先生!大丈夫?」

「ごめんなさい。私が急がせたから……」


 彼女の不在に気付いた子どもたちが建物の中へと入って来た時には、女性は落ち着きを取り戻していた。


「落ち込まないで。私は平気よ。それより二人とも話は聞けたの?」


 ほんの数分前まで泣き腫らして赤い目をしていたとはとても見えない、穏やかな微笑みだ。

 二人と同行することになって飲むことのできなかった魔法瓶の中の冷えた水が予想外の所で役に立ってくれた。


「うん!やっぱり兄さんたちは凄いや!」


 一体どんな話になっていたのやら。主にソリオから話を聞いていたジンが楽しそうに答えた。


「でも次の仕事があるから、すぐに出かけちゃうんだって」


 心底残念そうに言うコーニャの頭を先生が優しく撫でる。


「本当に残念ね。さあ、二人とも仕事が残ったままよ。私はカウリとソリオを送ってから帰るから、先に戻って他の皆に伝えておいてちょうだい」


 二人と話をすることができていない先生に気を遣ったのか、子どもたちはそう言われると駄々をこねることもなく帰って行った。


 元孤児院の中を重苦しい空気が支配する。

 誰も口を開くことができなかった。


 どれだけそうしていただろうか、ふいにすすり泣く声が響き始めた。


「こんな……、私よりも先に、いってしまう、だなんて……」


 先生の漏らす悲痛な声が二人の胸を打つ。

 しかし、それは甘んじて受けなくてはいけない。こうなるであろうことは分かっていたのだ。

 分かっていてなお、彼女に会いたいと思ってしまったのだから。


「でも、最期に会いに来てくれて、ありがとう」


 その身が枯れ果てるのではないかと思うほど泣き続けた先生は、涙を拭うとそう言って笑顔を見せた。

 二人が安心していけるように。

 未練を持たないように。


「俺たちの方こそ、今までありがとう。会えて嬉しかった」

「そしてごめんなさい。最期の最期まであなたに心配をかけてしまって」


 既に二人の姿は背後が透けて見えるほど薄くなっていた。


「かあさん、さようなら」

「かあさんたちの暮らしが健やかでありますように」


 全くこれだから死者は油断ならないのだ。

 そう言われてしまっては自棄になることもできない。


「親不孝者……。次に会った時にはお説教ですからね。それまでしっかりと反省していなさい」

「はい」

「覚悟しておくよ」


 泣きながら笑いあう家族。

 そして二人は消えていく。


「再び廻るその時まで、安らかなる休息を……」


 後には再び先生のすすり泣く声だけが響いていた。




 翌日、町の冒険者協会にカウリとソリオの代理人を名乗る者が訪れ、彼らによってキメラが討伐されたことを伝えた。

 その証として提出された一房の鬣と一本のヤギの角はすぐに鑑定にかけられ、その人物の言葉が正しいものであることの証明となった。

 そして二人の要望として、報奨金は全て町の孤児院へと寄付するように申しつけると、何処へともなく去って行ったのだった。

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