ある異世界の僻地で

第5話 閉じられた先にあるもの

 切り立った山の側面にほんの申し訳程度に作られた道を歩く。

 時折強風で身に纏う黒衣が煽られてしまい、その度に肝が冷える。

 この道を歩き始めた頃、怖いもの見たさで一度谷底を覗き込んで酷く後悔した。それほど深い谷だ、落ちたらまず確実に助からないだろう。


 背筋を這い上がって来る悪寒にブルリと大きく身震いをしそうになって、慌てて堪える。

 こんな辛うじて人の手が及んでいるような場所では、不用意な動きそれ自体が危険行為だ。

 無事に人里へと辿り着きたいのであれば、粛々と歩みを進めることにのみ注力すべきなのである。


 ふとした瞬間に頭に浮かんでくる余計な考えを意識の片隅へと押しやりながら歩くこと一時間、代わり映えのしなかった景色に変化が訪れた。

 人一人がやっと通れる幅だったものが、すれ違える程度には広がっている。

 そしてその先に分かれ道が見えた。

 一方はそのまま崖沿い進み、もう一方はゆったりとした傾斜で谷底へと続いていた。


「真っ直ぐが正解、かな」


 谷底への道は水を補給するために作られたものではないかと思われる。

 幸いにしてまだ飲み水には余裕がある。降りる必要はないだろう。

 しかしそれなりに疲労していることもまた確かだ。滑落の心配をする必要がないこの場所で、休憩を入れるのはありかもしれない。


 どうやら同じように考えた先達がいたようだ。道の端に火を焚いた跡が残っていた。

 これもまた遠い過去との縁といえるのかもしれない。そう思うと、ここで休憩を入れるのが正しいことのように感じられた。


 崖に背を付けるようにして座りこむ。

 降ろした荷物の横に括り付けてある水の入った革袋には手も触れずに、背負い袋を開けて中から魔法瓶(・・・)の水筒を取りだす。

 飲み過ぎないようにと言い聞かせながら口を付けると、水筒に入れた時と同じ爽やかな冷たさが喉を通りぬけていった。


「ふう。……あ!」


 一心地ついたことで、すっかり忘れ去っていたあることを思い出す。

 急いで背負い袋の中を掘り返してみると、そこには先日見たのと同じすっかり充電の切れてしまった端末があった。

 まあ、端末は良い。細かく言えば良くはないのだが、どうせ充電してあったとしても今現在使用できる機能は数少ない。

 問題なのは旧友に連絡を取っていないということだ。


「こっちに来た時には必ず、かーなーらーず!連絡するように!」


 以前、別れる時に言われた言葉を思い出す。あれからどのくらい経っただろうか?

 崖の道を歩いていた時とはまた違った悪寒を感じていた。


「そうだ!ずっと旅をしていたことにすれば……」


 ダメだ、どうしてそんなに長い間、顔を見せにこなかったのかと問い詰められるのがオチだ。

 やはり素直に謝るのが一番軽症で済むような気がする。


「はあ……」


 重くなる気持ちにつられるように視線も谷底へと下る道の方へと向く。


 そこにちらりと何かが見えた。


 そしていつもの呼ばれるような感覚が体を走る。


 間違いなく誰かがいるようだ。

 見上げると山々に切り取られて少しだけ覗いている空は微かに赤みを帯びてきているようにも見えた。


「今日中に抜けるのは諦めた方が良さそうだな……」


 それ以前に明るい内に谷底へとつけるかどうかも怪しいところだ。取りだしていた水筒や端末を手早く仕舞い、「よっ!」と軽く声を出して立ち上がる。

 黒衣に付いた土埃を払い落すと、谷底への道を下り始めるのだった。




 魔法で灯した明かりを手に、深い闇の中を黙々と歩き続ける。

 深夜と言ってもいい頃合いになってもまだ谷底には着かないままだった。本道とは違って道幅に余裕があるのが唯一の救いだ。


「ちょっと待て、いくら何でもこれはおかしいぞ」


 件の道の先にあるのが水場だとしたら、そこは休憩所も兼ねているはずである。

 そんな場所に何時間もかけなければ到着できないというのは問題だ。

 これは何か外的要因、つまりは結界か何かが張られていると考えた方がいいだろう。


「思ったよりも疲れているのかな?」


 下手をすれば体力を使い果たして死に至りかねない危険な状態だったといえる。

 本道を歩く際に無心になろうとしていたことが仇となったようだ。

 今後はしっかりと意識を切り替えるようにしなくてはいけない。


 それもまずはここを突破できてからの話である。


 目立つように道の側面に大きくバツ印を刻み込んでから再び歩き始める。

 しばらく進むと、どこかで見たことのあるようなバツ印が現れた。

 偶然の一致ということもあり得る。今度は印の横に『廻る』と彫り刻んだ。


 そしてまたしばらく歩いてみると、またもやバツ印が現れる。その横には先ほど刻んだ『廻る』という文字も見て取れた。


「決まりだな」


 どうやら同じ場所をグルグルと延々歩かされていたらしい。

 結界というより呪いの類に近いように思われた。

 張られている結界、または呪いの術式を細かく考察したい所だが、生憎とその材料もなければ時間もない。

 効果は若干落ちることになるが、ここは汎用性の高い解呪から試していくより他はないだろう。


 どこの世界に属するのかも分からない言葉で、この世界をも縛る理に働きかけていく。

 閉じられた道よ、開け、と。

 壁に刻んだバツ印と、『廻る』という文字が輝きだす。

 やがて光が治まると、印も文字も消えていた。


 同時に周囲に漂っていた何かが消え失せるのを感じた。

 思い付きで刻んだものだったが、解呪に上手く作用してくれたようだ。

 上々の成果に気分を良くしながら、改めて谷底への道を進み始める。


 解呪の効果は絶大だった。歩き始めてからわずか数十分で目的地へと到着したのである。

 そこは谷底ではなく、奥の岩肌から清水が湧き出ているちょっとした広間だった。

 しかし反対に、それ以外には特に何もない空間と言い換えることもできる。

 とてもではないが、結界や呪いを用いて人がやって来るのを阻まなくてはいけないようなものがあるとは思えない。


「そうなると、もしかして……?」


 来るのを阻むのではないとすれば考えられるのはもう一つ。

 つまりは出ていくのを防ぐためのものであった、ということだ。

 そしてこういう時の嫌な予感というものは得てして当たるものである。

 その考えに思い至った次の瞬間、


「グルルルルオオオオオオォォォォォォ!!!!!!!!」


 轟音と称するに相応しい咆哮が響き渡ると、声の主と思しき猛獣が崖の下から姿を現したのだった。

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