第4話 ありがとう と ごめんなさい

 男性の元に戻ると、丁度彼が目を覚ますところだった。


「?……ああ、眠ってしまっていたのか。話を聞いてもらった上に迷惑をかけてしまったな」

「気にしないで下さい」


 謝罪の言葉に首を振って答えると、安心したのか男性は仄かな笑顔を浮かべた。

 そして「よっこいしょ」と呟きながら立ち上がると、その足は墓地を出ることなく奥へと向かい始めた。

 何を言うでもなくその後ろに付き従う。


「なあ、私はあいつに何というべきなのだろうか?」

「分かりません。私は所詮人生経験の少ない若輩者ですから」

「そうなのか?死霊術師というから、てっきり数百年は生きているものだとばかり思っていたよ」

「いえいえとんでもない。見た目通りなピチピチの若者ですよ」


 漠然とだがこの後起きることに予想が付いているのであろう、二人は緊張を紛らわせるかのように軽口を叩きあっていた。

 やがて、というほど大した時間も手間もかけることなく、あの墓石の前へと辿り着く。


 そこには先ほどまでと同じく女性の霊が佇んでいた。

 無意識なのだろうか、男性は彼女の正面、少し手を伸ばせば触れることのできるという位置に立った。


 この世界の外の言葉で、この世界をも形作っている理に働きかける。

 世界に満ちる魔力を集めてほんの少しだけ女性のからだを補強していく。死霊術師における初級の魔法の一つだ。


「あ、ああ……」


 男性が声にならない声を上げる。その瞳には在りし日の妻の姿が映し出されていた。


「私は……、お前に――」

「ありがとう」

「――え?」

「生きている間も、そして死んでから今までの間も、私を愛してくれて……、ありがとう」


 その言葉が発せられた瞬間、男性は崩れ落ちた。

 同時に心の中にあった大きな堰が壊れた、いや、必要なくなったのだろう、大きな声を上げて泣き始めたのだった。

 そんな男性を女性がふわりと包み込むように抱きすくめる。


「わ、私は……ずっと……謝り、たいと……!あの時、お前の側に……!」


 涙で途切れ途切れになっていたが、その言葉はしっかりと女性に届いてようだ。

 彼女は時折「はい。……はい!」と微笑んだままうなずいていた。


 男性が落ち着いたのは数十分が経ってからだった。

 もう少しの間、ゆっくりと夫婦の会話を楽しませてあげたいところではあるが、そろそろ魔法の効果が切れる頃合いとなっていた。


「申し訳ありません。もうすぐ魔法が切れそうです」

「!も、もう少し何とかならないのか!?」

「残念ながら。これ以上は奥さんのからだがもちません」

「そんな!?」


 男性の悲痛な叫びが胸を打つ。

 せめてあと五年、いや三年早く彼らに出会えていたならば、という思いが頭をよぎるが、所詮この逢瀬の時間をほんの少し延ばすことができただけだったと考えを改める。

 生者と死者が共に在ることはできない。例え死霊術師の奥義をもってしても、限定的な仮初めの共存にしかならないのである。


「あなたを置いていくことになって、ごめんなさい」


 悲しみに打ちひしがれる男性を抱きしめたまま、女性がその耳元へと囁く。


「折角会えたのに!……やっと伝えられたのに!」


 一層の力を込めて縋りつく。

 しかし、無情にもその腕は女性をすり抜けてしまった。魔法が切れかかっているのだ。


「泣かないで、とは言わないわ。だけど……笑って。私が安心していけるように」


 これだから死者は油断ならないのだ。

 そんなことを言われてしまっては笑わない訳にはいかなくなる。

 男性は無理矢理に口角を上げて泣き腫らして真っ赤になった目尻を下げた。


「笑えて、いるかい?」

「はい。私が一番大好きな、笑顔」


 その言葉を最後に女性の姿が掻き消える。


「再び廻るその時まで、安らかなる休息を……」


 無事に『魂の休息所』へと旅立った事を確認して、祈りの文句を口にする。


 後には男性の泣き声だけがいつまでも止むことなく続いていた。




 それから三日後、男性は親族を介して疎遠となっていた子どもたちに連絡を取ることになる。

 和解にはしばらくの時間がかかったものの、子どもたちの家族を含めて良好な関係を築くことができているという。


 今でも墓参りは毎日続けている。既に日課となっていたので外へ出るとつい足が向いてしまうのである。

 ただし墓前に立つ時間は以前とは比べ物にならないほど短くなった。


 その切っ掛けとなったあの日あの時の不思議な出来事についてだが、彼は生涯誰にも語ることはなく、その心の内に仕舞い込んだままであった。

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