第24話それから、これから
「わっふぅぅぅっ!」
牛肉、豚肉、鶏肉に羊肉まで。
数日の後ミザレット邸に届けられた大量の肉の塊に、ノイジーは不明瞭な歓声を上げたが、それを咎める者はこの家に誰一人としていなかった。ミセス・クラリネットは一月分の肉代を計算して神に感謝していたし、ソニアは放任主義だった。
「何を気取ってンの、アンタだって肉は好きでしょ?」
「それほどでも無いわ。けれど、そうね。貴女の分の食費が心配要らないと思うと、とても喜ばしいわね」
「ははっ、良く言うよ。アンタ、持ってきたあの門番に言ってたでしょ、『これからよろしくお願いしますね? まさか一度で済むと思っておいでではないでしょうけれど、是非ガルネルシア候にもよろしくお伝え下さい』、だっけ?」
本人からすると噴飯物の不愉快なモノマネをしながら、ノイジーはひょいと逆立ちをして見せた。「あれって脅迫っていうンでしょ?」
ソニアは首を振った。
私のアレは善意の提案だわ、相手に、奉仕の精神を思い出させてあげただけよ。
「とはいえ珍しくその子に賛成ですよ、御嬢様。取り敢えず三分の二は燻製か干し肉にするとして、今夜の所は大盤振る舞い出来るでしょう。私も腕の振るい甲斐があるってものです! これが毎月続くとしたら、心配事の一つは確実に消え去るというものですよ」
「続かなくなったら、アタシが乗り込んであげるよ。ちょっと言ったら話は通ると思うしね」
ソニアは顔をしかめる。
貴族院で明らかとなったノイジーの正体について、ミセス・クラリネットには細かい説明を省いている――目の前で大きな蜥蜴に変身した妹について、端的で正確な説明など出来るはずも無い。
竜。
ただ一言で完結するその言葉を実感するには、目の前であの変身を見なくてはならないだろうが、そのために大切なミザレット邸の天井や床板を危険にさらすつもりはソニアには無かった。
ミセス・クラリネットは物わかりが良い方だ。少なくともソニアが本当に真剣に話をしたら、納得してくれるだけの度量はある。まあ、墓場での奮闘の話には盛大な溜息が伴ったけれど。そもそも『扉』から出てきた場面を彼女だって目撃しているのだから、単なるヒトであるとは思っていないだろう。
とはいえ、竜。
鱗に覆われた巨体を思い出す。あの姿はヒトと、果たして交流することが出来るのだろうか? 私のお父様はヒトだった、ノイジーは母親譲りなのかしら?
「あぁ、母さんは別にドラゴンじゃあないよ。てか、アタシも本当のドラゴンって訳じゃないし」
「そうなの?」
「竜にも二種類いるンだ、生まれながらの竜と後から変わるヤツ。で、アタシは後者の方ってわけ」
学術的に興味深い発言だったけれど、ソニアの脳内には全く別の安堵が生じていた。これで少なくとも、父親は竜と愛を育んだ訳ではないと証明できたのだから。
「母さんは妖精だったよ、花の妖精。あの『扉』の近くで咲いてて、パパと出会ったらしいよ、良くは知らないけどさ」
「そうなの……」
「露骨に聞きたくないみたいだけどね、アタシだって別に両親の馴れ初めを事細かに説明なんてしたくはないよ」
ノイジーは逆立ちのまま、あろうことか片手だけで体重を支えだした。「大体パパは、アタシを最低限独り立ちさせるだけの能力を与えたって勝手に判断したら、さっさといなくなったンだからさ」
「そう言えば、そんなことを言っていたわね」
ノイジーを無理矢理座らせて乱れたシュミーズの裾を整えて、ソニアは記憶を探りながら頷いた。「あら? じゃあ、お母様は?」
「母さんは花だって言ったでしょ。咲いて散ってまた咲いた」
何でも無いことのようにあっさりと言って、ノイジーはソニアの手を払った。「一度散ったら別の花だよ。もう、アタシの事なんて覚えてない」
ソニアは言葉を失った。多分、ミセス・クラリネットも。
ヒトは見かけによらないと言うけれど、それにしたってノイジーの境遇は、彼女のはつらつとした言動からは想像も出来ないほど過酷なものらしかった。そもそもあれだけ痩せこけていたのだから、ある程度厳しい日々だったこと位は想像していたけれど、それにしたって。
咲いて、散った。
また咲いたとはいえ別の花ということは、既にノイジーは母親を失って久しいということだろう。それも、何度となく。
――そんな子供を、お父様は見捨てたというの?
勿論、お父様が離れたときにノイジーの母親が存命だったかどうかは解らないけれど、寧ろ存命であったと信じてはいるけれど、それでも。
あの人は子供を見捨てるようなヒトでは無かったはずだわ、絶対に違う。でも、もしかしてという思いは消せなかった――お父様の優しい笑顔が徐々に消えていく中で、疑惑だけが確信の真似をしている。
「だから、アンタに話せることは――って、何やってるのアンタ?」
もう一度逆立ちに挑戦しようとするノイジーを、ソニアは思わず抱きしめていた。
何故? 解らない、解らないけれどこうするのが自分の義務なのだとソニアは感じていた。
だって、私は家族だわ、この子にとって最後の家族。そして――私にとってもノイジーが最後の一人だ。お父様がどうなっているにしろ、それはソニアの父かノイジーの父か、どちらかでしかない。そしてそのどちらであろうとも、きっと二人にとっての親ではないのだろう。
「…………あぁもう、だから言いたくなかったンだよ! ちょっとお節介さん、さっさと肉焼こうよ肉!」
「そうね、ミセス・クラリネット。今夜はご馳走にしましょう、私たちの新しいミザレット家に」
「何でも良いからさ、早く早く!」
適度に力を抑えて暴れるノイジーを、ソニアは更に強く抱きしめる。彼女の金木犀色の髪からはここではない土の匂いと、ミザレット家の石けんの香りがした。
その日の夕食で、ソニアは、本当に久し振りに心から笑った。何度も、何度も。
「さて、これで一先ず生活のめどは立ったわね」
鹿肉のステーキ半分でぐったりしたソニアは、結局スープとパンという変わらぬ夕食をこなしてから、お父様秘蔵のポートワインを開けていた。
長い船旅の末発酵し甘くなるというその葡萄酒は、ソニアの心をかなり大胆にしている。同じくお父様の書斎の棚から引き出した銅のゴブレットも、味に拍車を掛けているようだ。
「新しいミザレットの問題は、やはり費用でしたからね。こうして食費がかからないというだけでも、かなり有り難いです」
ソニアのたっての希望で同じ食卓に就いたミセス・クラリネットが、居心地の悪そうな顔で細々とステーキを食べる。「まだ、服の問題はありますけれど」
「服ならさ、もっと動きやすいヤツが良いな。あと、頑丈なヤツ」
「ドレスを選んで頂戴、ミセス・クラリネット」
ノイジーは文句を言ったが、ソニアのステーキの半分を与えられると大人しくなった。
あとは、ポートワインを寝る前に一口飲ませてあげれば良いでしょう。回転が鈍ったソニアの頭は短絡的にそう考えて、代わりにミセス・クラリネットと金の話に集中した。
「話は振り出しに戻ったわ、あとはミセス・クラリネット、何か金策を講じなくてはね」
「例の地下倉庫を探しまして、二三良さそうな小物を見つけました。あとは、先代の本を売るしかないですね」
「それでも焼け石に水ね……」
金貨の壁は無慈悲に高い。「私が働ければ良いのだけれど」
「それはいけませんよ御嬢様。淑女が働くなんて!」
「何度も言っているでしょう? もうそんな時代じゃあないわ。それに、高慢に拘って真の誇りを失うのは愚かだわ」
「アタシはどっちでも良いけどさ、ソニア」
肉を頬張りながらノイジーが口を挟む。「大事なことも忘れないでよね」
「大事なこと?」
ソニアとミセス・クラリネットは顔を見合わせ、揃って首を傾げた。
品の無い言い方ではあるけれど、金以外に大事なことが今のミザレット家にあるだろうか?
ピンと来ないソニアたちの様子を馬鹿にしたように見て、ノイジーは骨回りについた肉の破片を舐め始める。それから、あっさりと爆弾を投げ込んだ。
「化け物退治だよ、ソニア。どうやら忘れてるようだけど、あの影、目玉は一つじゃなかったでしょ」
「…………え?」
「七対十四個。あの影はそれだけの目玉を持ってて、アタシたちはその一つを潰しただけだよ」
「え、ちょ、ちょっと待ってノイジー、じゃあ……」
「ま、そういうこと」
三日月のように、猫のように、裂けるような笑みを浮かべてノイジーは大きく頷いた。
「お楽しみはこれからってわけだよ、ミザレット? アンタの義務も大変だねぇ」
とうとう骨をかじり始めたノイジーを咎める気力もなく。
ソニアはただ呆然と、未来に立ち込め始めた暗雲を見詰めるしかなかった。
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