第23話ノイジーの交渉
貴族院までの道のりは、予想外に随分と静かな旅となった。
馬車に乗っている間ノイジーは、彼女にしては珍しいことに一言も話さなかった。何度か声を掛けても生返事で、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
まあ、朝の街を見るのは初めてだろうから、景色を見ている方が楽しいのだろうとソニアは、途中で彼女を放置することにした。ノイジーとはこれから、話をする時間が幾らでもあると無邪気に信じられたからだ――根拠のない未来だ、ノイジーが拒否したらそんなものはけしてやって来ない。
でも、何故だろう――ソニアはノイジーが拒否しないだろうと確信していた。いやそれどころか、聞くまでも無いだろうとさえ思っている。だって、家族でしょう?
……本当に?
静寂は思考を廻す。
本当に、あの子は自分と一緒に居たいかしら。家族だから絶対に一緒に居るものだなんて、自分勝手な牢獄じゃないの? 問答無用で同じ家に生まれたからって、将来設計の問答が無価値だなんて暴論だ。家族と言えば血のつながりがあるものだけれど、それで縛ってはただの鎖。温度の無い、無慈悲な金属でしかない。そんなものが居心地の良い居場所だろうか? そんなもので家族が一緒に居られるのかしら? だって――、
――だって、お父様だっていなくなったじゃない。
「…………ノイジー、貴女は……」
「……ン、なに?」
「いいえ、何でも無いわ」
喉に刺さった小さな骨を取り除きたくて、ソニアは質問を飲み込んだ。吐き出せば、相手に突き刺してしまうかもしれないから。
まだまだ疲れているのだろう。そんなときに考えることは基本的に、自分も相手も傷付けるだけだ。
「…………」
沈黙したソニアをちらりと見て、ノイジーは僅かに顔をしかめた。
怒るかしら、とも思ったがそれでも、彼女は結局応じること無く窓の外を眺めているばかり。何だろうか、ソニアは首を傾げる。ここまで沈黙を保つなんて、私は何かこの子を失望させただろうか?
「別に? ただ単に、ちょっと聞いてみたかっただけだよ」
流れる外の景色を見たままで、ノイジーが、正しく気乗りしない様子で尋ねる。「アンタはさ、納得してるわけ?」
「納得?」
「そ。納得。知ってる? 妥協でも我慢でもないよ、納得。これからアンタ、アンタがまあまあ大切だと思ってるものを、そうでもない相手に取られようとしてるンでしょ? それに対して、納得してるのかって話だよ」
「……それは……」
「あぁ、やっぱりしてないンだ」
少しだけ機嫌良く、ノイジーが振り返る。「だったら文句でも言えば良いンじゃない? アンタがあの影を倒すために色々やったのは、まあ事実なわけだから」
「勿論報告はするわ、ミスター・ノーツも報告しているでしょうし。でも、それをどう受け取るかは相手次第だもの。それに、実際に倒したのは貴女よノイジー。私はただ、立っていたばかりよ」
「アタシはアンタの妹だからね。まとめて『ミザレットの功績』ってことになるンじゃないの?」
「でも、私は傷を負ったわ」
サラサ・レッスンのカップが尊ばれるのは美しいからだ、紅茶を注いで零れないからではない。傷一つでもつけば価値は大いに下がる、それが目立つのなら尚更だ。
貴族とは象徴なのだ、実績を伴えば勿論喜ばしいけれど、何よりも下々を圧倒し誘引するカリスマ性こそが必要なのである。傷だらけの無骨な戦士は戦場でこそ輝くだろうけれど、治世で民を安堵させるものではない。
「失明、それに火傷。それだけでも大きなマイナスよ。取り返すには多分――世界の危機でも救わないと無理でしょうね、娯楽小説のように」
「…………ふうん」
ソニアにしてみれば渾身の冗談だったのだが、ノイジーの心には響かなかったらしい。彼女は視線を再び窓の方へと向け、流れる町並みを眺めている。
全く、報われない役回りだわ。ソニアは溜息を吐いた、この子を不機嫌にさせないというのは相当の難易度な上、失敗したらそれこそ世界の危機だというのに。誰も褒めてはくれない、姉というのはこういうものなのかしら。
今度こそ話す内容を失って、ソニアは暗い気持ちで目を閉じた。そんな人工的な暗闇では、左側にわだかまる本当の暗闇が際立つだけだったけれど。
「…………良く来たな、ソニア・ミザレット」
「お招きに預かり光栄です、ガルネルシア候」
今日も今日とて慇懃なスーツ姿のガルネルシア候が出迎えた部屋で、ソニアは静かに膝を折り、頭を下げる。
下げながら、驚いていた――この幾何学模様の美しい絨毯をこれまで何度見たことがあるかしら。
貴族院地下十二階、【裁断室】。
六角形の部屋に敷き詰められたこの深紅の絨毯は、貴族院の中で最も権威ある一室の象徴だ。その部屋に並んだ椅子も棚も全てが最高級で、幼い頃に見ただけのソニアでさえ鮮明に思い出せるほどの威圧的な存在感を放っている。
価値で圧倒する調度品の中央には半円卓があり、それに向き合う形で大きな、大理石の玉座が鎮座する。【十三階段】第一位。彼女のための玉座。全ての貴族の頂点であるその席は、今日も空席だった。
その代わりに。
玉座の右に置かれた椅子に、ガルネルシア候は座している。ゆったりと、厳粛ながらもくつろぐ態度は正に、ヒトを下に見ることに慣れきった者の姿勢だ。
「面を上げよ、ミザレット」
ソニアは顔を上げる。
幸い他の【十三階段】は不在らしい――慎重な彼らだ、敢えての不在ではあるだろうけれど、断罪の席に敵が少ないのは喜ばしい。
敵、そう、敵だ。
右眼に力を込めて、ソニアはガルネルシア候を射貫こうとした。そうとも、目の前の彼は今や敵だ――ソニアからミザレットを取り上げようとするなんて、味方のすることでは無いでしょう?
老人の視線はソニアの挑戦を素通りした。
左眼、詰まりは包帯を冷ややかに眺めてそして、隠しきれない侮蔑に顔を歪める。
「無様な目にあったものだな、ミザレット。三段目の名が泣く」
「…………」
「ちょっと、話聞いてないわけ?」
無言で唇を噛むソニアに変わって当然、ノイジーが割り込んだ。「ソイツは化け物に果敢に挑んで、生き延びたンだよ! 傷なんか名誉の負傷ってヤツでしょ」
「発言を許可した覚えは無いぞ、リトル・ミザレット」
「そう呼んで良いって言った覚えは無いよ、じじい」
「黙れと言っている!」
圧力を伴う怒鳴り声に、【裁断室】が震える。
全身から怒気を迸らせて立ち上がるガルネルシア候は、最早普段の温厚な老人では無かった。裁く者、その対象は貴族ばかりでなく、見るからに卑しい無作法者へも例外なく及ぶらしい。
そしてノイジーは、そんな威圧を笑い飛ばす。
「アンタの命令なんて、アタシが聞く理由があると思う? アンタはソニアよりも力が無いし、ソニアみたいにお姉様じゃない」
「貴様……っ!」
「そうやって怒鳴るのだけが取り柄ってわけ? はっ、怒鳴る上に走れるあの化け物の方が、まだマシだね!」
ケラケラと笑いながら、ノイジーは円卓の端によいしょ、と乗っかった。「ご覧、アンタのご自慢なんて、アタシの靴より下なんだよ!」
「の、ノイジー!」
「良い? ソニアの動きを咎めるなら解る、まあ、結構無茶苦茶しちゃったしね。もっと穏便に、『お淑やかに』済ませるべきだって言うンならそれは解るよ」
急に熱を吐き出したような冷静さで、ノイジーはガルネルシア候へ語りかけた。
あまりの変貌ぶりに誰も口を挟めず、ただ、ノイジーの独演は続く。
「認めないのもまあ、ギリギリ解る。ギリギリだけどね? 理解できる考え方だよ、バカだけど。でも──認めた上で怪我したことを咎めるのは間違ってるでしょ。何、傷が付いたらみっともないから咎めるなんて、ワケわかんないじゃん!」
「貴族とは、誰よりも尊く完璧でなくてはならない。傷付いた貴族など誰も、尊敬しない」
「無傷で手に入るものなんて、たかが知れてるよ。それで満足な連中なら、ソニアは幾らでも尊敬させられるよ! アイツ、腹黒いもん」
「ノイジー」
「頭良いもん! これで良いんでしょ」
「馬鹿なことを……貴様に何が解る、貴族どころかこの国の者でも無いくせに……!」
「ははぁ、言ったね?」
ニヤリと。
笑うノイジーの横顔が、ひどく獰猛に歪む。いや、全身も歪んでいるような?
「え、衛兵!!」
老練なるガルネルシア候の決断は早かった。「そこの小娘を叩き出せ! そいつらはもう、ここの住人では……」
「叩き出せって?」
だがそれも──駆け付けた衛兵たちの対応速度も含めて──全てが遅い。「やってみなよ」
宣言と同時に、ノイジーの身体は大きく歪んだ。
痩せっぽちの四肢が丸太のように大きく膨れ、その四本を支えに肉体も山のように膨れ上がる。
背中に蝙蝠のような翼、尻尾。長く伸びた首の先にはあらゆる肉食獣の頂点に立つ最悪の権化が、ぞろりと生えた牙を舐める。
全身を黒い鱗で覆われた巨躯を、その偉容を誰もが見たこと無くとも知っている。
空想の世界でしか存在し得ない幻の存在が、半分の円卓を踏み潰しながらそこに出現していた。
「ばっ、馬鹿な……!」
『言ったでしょ、じじい』
凶悪に歪む牙の奥から、重低音が鳴り響く。『アンタのご自慢は、アタシの足の下だって』
「ノイジー、なの……?」
竜はちらりとソニアを見下ろして、独特な笑い声をこぼした。
『リトルって呼ぶなって言ったでしょ。さ、アンタは下がってお茶でも飲んでなよ。アタシは──試さないといけないからさ』
「試す?」
『あの連中が、無傷で何を獲られるかってねぇぇぇぇぇッッッ!!』
言葉の後半は、最早咆哮だった。
寧ろより正確には、それは兵器の一撃に等しかった──竜の雄叫びにどんな効果があるかは知らないけれど、そもそもあの巨体が息を吐きながら叫んでいるのだ。空気のハンマーのように声は彼女の眼前で炸裂し、殺到した衛兵の大半を蹴散らした。
急に目の前に現れた化け物に怯える彼らにとって、それは致命傷だった。芸も品もないひめいを上げながら彼らはあっという間に逃げ出して、そこにはたった一人の老人だけが残るばかりだった。
威厳を吹き飛ばされた様子でへたり込むガルネルシア候へと、ノイジーの前足が爪を伸ばしていく。
「ひっ、や、やめ……」
『アンタの命令は聞かないっての』
「や、止めろ、止めさせろミザレット!」
その叫びを聞く前に、ソニアはノイジーの
「止めさせろ、と言いますと?」
服従の姿勢から脱して手近な椅子に座りながら、ソニアはわざとらしく小首を傾げる。「何をでしょうか? 私の妹はただ、子供らしくじゃれているようですけれど」
「貴様!」
「ノイジー、御老人のように手加減するのはガルネルシア候に無礼よ。もっと、若者にするようにしてあげるの」
『流石はお姉さまだ、社会の常識に詳しい』
「ま、待てっ!」
哀れな制止の声を聞く者はおらず、ガルネルシア候の身体をノイジーはひょいと持ち上げてしまった。
ゆらゆらと揺らされながら悲鳴を上げる老人を、ノイジーは愉しそうに高く低くと繰り返している。
「わ、解った!! ミス・ミザレット、今回の件は不問とする!」
「ふもん?」
「っ、勲章も申請しよう! そっ、それから、充分な恩賞も与えよう!」
『はは、じゃあアタシは肉だね』
ノイジーは老人をわざとらしく口元に運んで見せる。『アンタをこのまま喰うよりも充分な肉を、しっかり用意してよね』
「ノイジー」
悪い方に調子に乗りつつある妹をたしなめつつ、ソニアは老人を静かに見上げる。「恩賞も勲章も不要ですわ、ガルネルシア候。ただ──二つほど約束してください」
「……なんだ」
「一つはもちろん、私の、ミザレット家の地位に関する事です」
「約束は出来ん」
揺られながらもガルネルシア候は即答した。「訴えは四段目、五段目から出ておる。一存で取り消させることは、出来ぬ」
「結構。代わりに、今回の顛末に伴う損害を、選考から外してください」
要するに、傷を無視しろということだ。
不当なハンデさえなければ、ソニアはこの逆境を打ち砕いて見せる。そう、宣言した。
「……良かろう」
老人は目を細め、一瞬だけ『ガルネルシアおじさん』に戻って直ぐ、不機嫌な貴族に戻った。「もう一つは?」
ソニアはニッコリと微笑むと、ノイジーの方を見ながらこう、願った。
「彼女に大量の肉を」
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